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いつもご機嫌でいられるのは




"自分の機嫌は自分でとる"




自分の感情に振り回されて

支配されるまで至っていたわたしが

そんなことを習得できたのは



ご機嫌じゃない自分をゆるしたことが

きっかけだったかもしれない








"疲れてるの?"



そりゃ人間だからね


生きてるだけで疲れるのだ



そういえば

疲れた時に
罪悪感なく「疲れた」
と言えるようになってから

格段と気持ちがラクになった。



昔は

疲れたなんて言える立場じゃない

そう思ってた。



その日の働きを
他の人と比べていたからだ。



いまは

もうただただ、あー疲れたーー

ってだけ。



そこに

自分を卑下する感情も

誰かを責める感情も

なーんもない




だけど

たまに
過去の私みたいなキミに

"ごめんね"って言われることもある



「誰かのせいじゃない、

 ただ疲れてるってだけなんだよ」



今はそう伝えるだけでいい

そこから
どう噛み砕くかは

本人次第のこと



別の対応が必要だと感じたら

その時また最善を探せばいい。








たとえば
「疲れてる」と言って

相手に自分のせいかもと思われて
"ごめん"と言われるからって


それを防ぐために
疲れてるを言わなくなって

分かりやすいご機嫌な様子を
自分に課してしまうと




ご機嫌であることだったり
笑うことを強制されてると
勝手に感じ始めて


相手の存在が
どんどん嫌になるような
おかしな循環がはじまったりする。



結局わたしは

自分にウソをついてると
自分のことも周りのことも
嫌いになってしまう


そこに気付いてしまってからは

無理矢理その場を
どうにかしないってことも

選ぶようになった。





自分以外の誰かとの
境界線を

それがどんなに近い存在でも

自分の中に明確に
ラインを引くことは

私がわたしを守るために
とても大事なことだったりする


自分がいちばん
自分のややこしい性質を

分かってるから。





元々ものすごく
あらゆることに気を遣ってしまう
私の持つ性質は

最近じゃ珍しくない



だから
変に自分を特別視することもなく

だったら
どうしたら
心地よくあれるか

に注力するだけと
方向性を決めている。



昔は
そんな自分を変に特別視して

卑屈になって拗らせていた



だけど


繊細か繊細じゃないかって

優劣がつくものでもなく

ただそうである、だけだった。




そんな視点で

自分を真っ直ぐ見つめると


世界は明るくなった。




笑いたい時もあれば
怒りたい時もあって

ぽけーっとしたい時も
顔の筋肉を一切使いたくない時だってある

なんなら
そんな時にそのままであれることこそが


最高に心地よかったりする。




周りから見て

テンション高めで
キラキラ笑ってるような

目に見えて分かるご機嫌な状態だけが

私にとって
"ご機嫌な状態"ではない

ということを

はやめに気づけてよかった。



そこまでいくと

不機嫌な時に
不機嫌でいられることですら

もう心地よく感じられてしまうから
おもしろい。




もちろん
誰かがそこに存在したら

またちがう話だけど


ひとりの時は
無理しなくていいよね




そうやってゆるしてると

不機嫌な時間は
次の瞬間には終わってる。






楽しくなさそうに見えて
楽しんでる時もあって


真顔でいられる自由を
ゆるしてもらえる
ありがたさよ




大袈裟かもしれないけれど

人がいると
愛想笑いが条件反射で出てきて

剥がそうとしても
剥がし方が分からなくて
沼っていた私を思うと


あぁ、よかったねえと
そして周りにありがとねえと


心の底から思えるのだ








「疲れてるの?」



「うん、今日はなんか疲れてるな」



「ゆっくりしてね」





どうやら

いい感じに消化してくれたようだ








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私のストレス解消法

"自分と真っ直ぐ向き合うこと" でより満たされた日々を送れるようなヒントになったらとこれまでの研究を言語化して公開を始めました ♔ 繊細で不器用で生きるのが難しい、そんなふうな私でもひたむきに今を生きてる…そんなことを表現できたらなと思ってますꪔ̤̫