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自分の感覚に目を向ける作業と意識の性質の探究



自分の感覚で選んでいく




といっても
自分の感覚が分からない


そもそも
自分の感覚ってなんなんだろう




好き、嫌い

楽しい、つまらない

心地いい、心地わるい

気持ちいい、気持ちわるい





隣の人が楽しくないことが
わたしにとっては楽しかったり

喋らなきゃと思いがちな沈黙も
この人とはなんだか心地よかったり




そうだ、そういうやつだ




それからわたしは
自分の感覚に耳を澄ませることを
はじめた。




"いま、わたしは何を感じてる?"







初めから
その感覚を言語化するのは
難しかったから

まずはおおまかにとらえてみることに。



心地いい感じがしているのか

心地わるい感じがしているのか。





そうやって
思い出すたび

自分の感じていることを
見つめることにした。





だけど
慣れていない間は
なかなか思い出すことがむずかしい




ふと、

1日が小さな選択決定の積み重ねで
できていることに注目した。



この選択決定のたびに
立ちどまることにすれば

後々、
この選択決定を変化させていく時に
繋がる作業になるんじゃないかと考えた。





はじめはその間隔が長くてもいい。


時が経つにつれ
自然と

そのタイミングは

どんどん短くなるから。





これは

自分の感覚に意識を向けること、

でもあった




"意識" についても気になって考えてみる。




例えば

友達から
自分の知らなかったもの、

それは
人でもいいし言葉でもいいし
物でも音楽でもいい 


「最近こんな音楽にハマってるんだ」


そうやって
その音楽の好きなところや
好きになったきっかけなどを聞いた
数日後には

友達のいない他の場面で
その音楽を耳にしたりすることは

誰だって
経験したことがあるのではなかろうか



ゾロ目を見るとラッキー
みたいなことを聞くと


ゾロ目ナンバーばかり目にしたり
パッと見た時間がゾロ目だった、


なんてこともザラだったりする。



そういった 
日常的な体験からしても 

"意識"
というものの性質として

意識を向けたもの=対象物
に対する情報を
無意識のうちに追うことや

意識すればするほどに
自分の世界における
対象物の存在感を高めていく、

ということがあることがわかる。




そこから興味が向いたのは
意図すること、について。

意識すればするほどに
意識したものの存在感が大きくなる
性質を用いて

"意図すること"を
もっと意識的にやっていけば

自分の望みを叶えることも
たやすいのではないか


ということだった。




そこからわたしは更に


"自分の本当の望み" について


深掘りするようになる。





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"自分と真っ直ぐ向き合うこと" でより満たされた日々を送れるようなヒントになったらとこれまでの研究を言語化して公開を始めました ♔ 繊細で不器用で生きるのが難しい、そんなふうな私でもひたむきに今を生きてる…そんなことを表現できたらなと思ってますꪔ̤̫