年齢


ひとに年齢を聞いてその人自身について何を知ることができますか?

その世代に流行っているものやその時々の環境は大まかに知り得るかもしれないけれど、それはその人自身ではないし、その人がその世代であるからその世代で流行っているものが好きでそのときの環境におかれているとは全く言えない。

大きなカテゴリーに分けて話をしたいのであればおおよその年齢は有効かもしれないが、それ以外には意味をなさないと私は思っている。

私より世代が上の人間の多くが、LGBTの問題に疎いというのはよく聞く話ではあるし若い世代は根性がないなんて言ったりもする。変わりゆく社会の中でそういう人間が多い傾向にあるのは確かかもしれない、ただそれは一つの傾向でありとても大きな世代というカテゴリーにわけただけに過ぎないと思う。だから私は当たり前のように自分の目の前にいる人間のことをまずそのようなカテゴリー分けから見るのではなくひとりの人間として見るのだが、そうでない人間は多いようだ。


〇〇歳なのにそれ知ってるの?
なんて、とてもくだらない言葉だと思わないか?
その人間は私を〇〇歳という目でしか見ていなかったから当然それを知らないと思っており、知っているなんてちょっとおかしいとすら言いたげだ。
逆に〇〇歳なのにそんなことも知らないの?も同様だ。皆それぞれ経験が違うのだから持っている知識だってそれぞれのはずなんだ。


私は父と二人暮らしだったのだが、 10歳くらいの頃に父親にこんな話をしたことがある
「こうしてパパと二人で暮らし家事や洗濯を一緒にして寂しさや悲しみも経験した私と20歳の何不自由なく育った人がいたとして、心についてのお話をしたらきっと私の方がたくさん大切なことを話せると思うよ」
私は幼少期からこんなことばかりを考えていたわけなのだが、このことについてはいまでも同意見である。
経験したことや、学習能力の差、物事に対して考えてきた時間、育ってきた環境、関わってきた人数によって本当にひとそれぞれなのだ
それを何歳だからまだ考えが足りないに決まっている、もう何歳なのだから立派な考え方ができるに決まっている、と何故そんなことをいう人間が大勢いるのだろう。何も考えていないとしか思えない。


いい歳した人間が若い歳の子を見下すことがあるが、その行為自体がもう年齢の無意味さを物語っている
ちゃんと経験し歳を重ねたのならそれ相応の態度や言動ができるはずだろう。若い歳の子と同じ土俵に立って口論しているくせに歳上だと踏ん反り返っている時点で、自分の学習能力の低さを露呈し、年齢なんて記号でしかないと証明している。たくさん経験し学ぶ機会があったはずなのに、その都度考え、成長することができなかったのだろう。

このようにダラダラと年月だけをただひたすらに過ごしている人間もいるのだ、そんな人間が何年生きていても変わりはしない。逆にちゃんと自分で考える力を身につけて、毎回その経験を活かせる人間はほんの数年でも驚くほど成長できる

また、大人になれば人格形成は終わり価値観は凝り固まるから言っても無駄。なんて、言う人がいるが私はいくつになっても自分の間違いを指摘してくれるひとを大切にしたいと思うし、言われればちゃんと考え改めるという姿勢を忘れずにいたいと思っている。そんな諦めたようなことを思われるのは悲しいし、いくつになっても成長し続けられる人間だっている。相手も、そして自分自身も、年齢を言い訳にしないようにしたい


年齢でその人自身をはかれるものなんてたかが知れてる。年齢なんかよりも先にもっとその人自身を見れる視点や質問は山ほどあるはずだ。視野の狭い人間やカテゴリー分けをして本質を見落としてしまう人間になる前に目の前の人間をフラットに真っ直ぐ見つめてほしいと思う。




#人生論 #コラム #年齢 #哲学 #持論 #人生 #生きるコツ #今日のコラム #育児 #ビジネス #エッセイ