学ぶということ〈補完〉

このnoteをはじめて1番に〝学ぶということ〟という記事を書き遺した。〈30秒で読み終わる記事なのでそちらを読んでから是非https://note.mu/sftull1/n/nbb4758c41ebb〉
その記事では学ぶということは、大切な人の悲しみを理解できるようにすることや無知であるというのはひとを知らず知らずのうちに傷つけかねないということを述べた。


そして、更に今回はひとに対してではなく、自分に対してのことを書きたいと思う。
学ぶということは誰かを理解できることだけでなく、すなわち自分の未熟さを知るということである

知れば知るほど無知を知るなんて言葉もあるがこれに通ずるものがある。

多くの人間の考え方を知ることは自分を客観視することにつながる。自分がひとに優しくできているのか、自分が他人を知らず知らずのうちに傷つけてはいないか、自分が差別的な表現をしていないか。客観視できないことには何もできない。ひとを大切にすることや優しさなんて程遠い。優しさとは主観ではないからだ。〈〝優しさ〟という記事も書いています。〉

無知な人間は大方、自分を客観視することができず、自分の無知さ、愚かさ、攻撃性について限りなく無自覚である

以前、私はこのような言葉を教えられたことがある。
言わないとわからない人間は、言ってもわからない
この言葉の意味を理解できるようになったのは私自身最近である。
私は昔からどんな人の言葉でも一度、なぜその人がそのような言葉を放つのかについてひたすらに考える人間であった。だから自分も他人に何かを伝えたいときは何度も言い方を変えたりわかりやすく説明して相手に自分の気持ちが伝わるまで話すようにしようと努めていたが、相手が無知であればそれは叶わない。

ここからは少し具体例を用いようと思う。誰しも何かしら経験があるだろう。列に横入りする外人は自分の国の文化しか知らずこの国では横入りが悪いことを知らないから、いくら説明しても自分に疑いを持つことはない。ツイッターでのクソリプに真摯に間違いだと諭している人間に同じ人物がまたトンチンカンなクソリプを返す。更に女の子だから殴らないというような発言に対してツイッターやその他ソーシャルメディアのコメントで、相手が男でも殴ったらいけないよね、男女共に暴力はいけないって思える考え方になるといいね、などの声がほとんどであるのを私は何度も見たことがあるしそれは当然だと思うが、それらを全く見たことない人間はきっと今日もそのような発言をするのだろうし、LGBTの問題に関しても彼らがどのようなことに傷ついているのか、どのような振る舞いを日頃しているのかなど彼らの心の声を知らない人間はその問題に対し自分の時間を割いてまで考えたことはないだろう。また、迷惑だ、やめてくれと子供がいくら言っても、その年代の子供がどのようなことを恥じらい、年代に限らずその子自身の性格を考慮しようとしなかったりして、周りや本人に目を向けずこれが愛だと疑わない親が子を追い詰めるたりもする。知らないから発言を疑わず知らないから改めようがない

それら一つ一つをこの発言や行動はおかしいよね、と言ったところで根本として本人が様々な問題に対して調べる癖や寄り添う姿勢を持って、自ら考え成長しなければ別の場面で同じような発言を繰り返すので意味はないし、現時点でその発言に疑問を持っていないのだから、言わないとわからない人間は言ってもわからないという言葉は多くの場合当てはまる。

そして当たり前のことだけれど、無知な人間でも傷つくというアイロニーが存在する。
どいうことかというと、無知な人間とは無知な人間同士で関わっていると楽なので、(いちいち相手にその発言は…などと言われることはないし、そもそも無知な人間は浅慮な発言をするのでちゃんと学んできた人間は離れるであろうから)無自覚のままお互いに傷つけるし、相手が何に傷ついているのかも心の底ではお互い理解することができない人たちなのでまた同じことを何度でも繰り返す。だから頻繁に喧嘩をしたりお互い傷つけあっているように思う。


最後に、まず学ぶということは自分を客観視する上でも、ひとを大切にする上でも欠かせないことであるということ。
そして言わないとわからない人間は学ぶという姿勢がないので言ってもわからない場合が多いということ。だから相手もそのような姿勢を持って接してくれる人間を見極めることが重要である。


蛇足※読んでも読まなくてもこの記事で伝えたいことにはさほど影響しません。私事だが、私は物心ついた小学校低学年の頃から知り合いや友人と喧嘩をしたことが一度もない。それは、相手がその発言を理解しようという姿勢を持っているか、そして理解できるほどの知識や視野があるかどうか(=学んできたか)、そのようなものを無意識的に考えて自分の話をするかしないか、知り合いにとどまるのか友人なのか、を考えてこれたからだと思う。だから、現在私の身近にいてくれる友人とは長い付き合いであるし私がはじめに(催促なしに自ら自然と)自分の考えや思いを話そうと思えた彼らは未だに信頼できるし、私もそのような姿勢で彼らと向き合うことによりとても素晴らしい関係を築けていることに胸を張れる。とても多くの友人にこんな私が恵まれたこと、それが何よりいま、幸福に思う。〉


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