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針のような痛みを見せたい/今泉力哉『アンダーカレント』

豊田徹也の漫画を今泉力哉監督が映画化した『アンダーカレント』。家業の銭湯を夫婦で営んでいたかなえ(真木よう子)は夫・悟(永山瑛太)に失踪される。そこに突然現れた堀(井浦新)とともに銭湯を続けるうちに、夫のこと、そして自らの心に隠し続けてきたことに直面していく。物語は静かに進み、じっくりと143分間をかけて心の深層/底流へと辿り着く様が紡がれていた。

かなえ、悟、堀の3人はそれぞれの理由で心の底流にある"本当"に蓋をし、偽ろうとする。そのために忘れたつもりになったり、嘘をついたり、他者と深く関わろうとしなかったりする。何を選んだのかはそれぞれであり、その選択が綻んだ時にどうしたか、どうなったかもそれぞれである。自分のため、他人のため、どのような"自分"であろうとするかを尋ねる作品だと思う。

自分や他人を騙すことは意外と容易だったりする。人間の精神にはストレスや危機的状況に対して防衛機制という心理的なメカニズムが備えられているからだ。不安を封じ込めて忘れようとする抑圧、ストレスから目を逸らし事実を認めようとしない否認、困難な状況そのものからの逃避。これらは無意識の内に発動し、"本当のこと"はまるでそこに無いかのように思えてくる。

しかし心に底流に溜め込まれた感情はなくなりはせず、様々な形で現れ出る。それが時に精神疾患に繋がったりするからこそ私は時に意識的に相手をその底流へ導いたりするわけだが、だからといって“隠し続けること”が悪いこととは全く思わない。これらの防衛機制が、その人を守ってきたことは間違いないからだ。”本当"を他者が暴き出す恐ろしさは自覚的であるべきだ。

そもそも、ここにいる自分自身についてすら"本当"を知ることは困難だ。人間は鏡などに反射する像や、写真や動画などレンズを通して結んだ像でしか自分自身の姿を捉えることが出来ない。この映画において窓ガラスや水面で曖昧に像を結ぶ顔が何度か描かれる点に、自分自身を分かることの難しさが示されている。この曖昧さこそ、『アンダーカレント』の核になっている。


スカートに「アンダーカレント」という同名の楽曲がある。どこまで内容がイメージされているかは分からないがこの曲にある《針のような痛みを見せたい》とはまさに心の防衛機制が解かれ、誰かへと”本当"を打ち明ける瞬間を捉えているように思う。自分から見えない自分を知ること、自分にしか見えていない他人を知ること。歪な僕らはそうやって補って生きていくのだ。


巷では今泉力哉らしくない、と言われているという本作。果たしてそうか。例えば「ちひろさん」で、彼女があのように生きるようになったこと。「窓辺にて」で、彼が自分の抱いた感情に戸惑ったこと。「愛がなんだ」で皆が自分の感情に振り回されたこと。今泉力哉はいつも歪な僕らの寄り添いを描いてきたではないか。これ以上なく、彼こそが撮るべき映画だったと思う。


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