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【恋愛エッセイ】26歳独身女とオーストラリアの夕日

私は牛乳を飲まない。
なんてたって母親が大の牛乳嫌いで家に牛乳があったことが一度もない。
小学校の給食なんて私にとっては地獄だった。
席替えする時には「どうか牛乳好きの友達と近くなりますように」と本気で願った。

あれから何年も経ち私はすっかり大人になったわけだが(アラサー)私は牛乳を飲まない。
その代わりに、時どき贅沢で買うアーモンドミルクやオーツミルクが好きになった。

だけど、なぜだかホットミルクの匂いは好きらしい。
赤ちゃんの香り見たいな、ポワっとした甘ったるくて少し動物臭い、あの感じ。
だけど絶対にホットミルクじゃないとダメ。
冷たいままだとあまりにも牛を感じてしまうから。


「ねぇ、あなたってホットミルクの匂いするって自分で知ってた?」
当時付き合っていたマレーシア人彼氏に問うてみた。

すると「この匂いが好きなの?」と聞かれウブだった私は喉がキュッと閉まったのを感じた。

「匂いは好きだけど牛乳は嫌い、知ってるでしょ」と言うと
「俺もミルク飲まないの知ってるだろ」と彼は言い返した。

私たちは牛乳を飲まない。


私は彼のことが大好きだった。
いや、そんな簡単な言葉で済ませてたまるか。

「彼のいない人生なんて考えられなかった」
文化も受けた教育も宗教も言葉も、なにもかも違うかったけど
そんなことどうでもいいくらいに、無視できるぐらいに、
彼に対するただ果てしない愛を私は確かに持ち合わせていた。

真面目なくせにホワホワしていて気が遠くなるほどに優しくてスイートで。
初めて「I love you」と目をみて言ってくれた人。

生まれ変わってもまたもう一度ぜったいに彼に出会いたいと思う。
本気で、心からそう思うのだ。

また、もう一度あの時と同じように、ガーデニング屋さんで野イチゴの苗を買って一緒にベランダで育てたい。
またもう一度神戸のモザイクの観覧車に乗って記念日を祝いたいし、
寒い雪降る深夜に公園で凍えながらカンカンの黒ビール飲み比べをしながらベンチに座って朝日が昇るのを待ちたい。

でも、もう私の隣には彼はいないのだ。
どれだけ願っても彼は戻ってこない。

電話で別れを告げられたのだが、それがたったの10分間で、
私たちが過ごしてきた濃い月日はこんな短い電話であっけなく幕を閉じてしまうなんて、誰が想像できただろうかと腹を立てたが、これで彼が幸せになれるなら彼の気持ちをリスペクトしよう、とも思えるぐらい私は大人になってしまっていた。

いまでも電話越しで聞く彼の声を思い出すだけですぐ涙を溜めてしまうのだが、これほど自分がフラジャイルだとは思わなかった。

いや、溜まる涙は「本当に一生懸命に彼を愛した証拠」だと言っておこう。
弱さからくる涙ほどくすみきっている水を私は見たくない。
この涙は当時のアンコンディショナルな愛から来たクリスタル。



広大すぎる土地が夕日のもたらすオレンジにすっぽり染まり切った午後5時。
私は埃臭い車のフロントガラスから見える果てしない、そのトキシックな蜜柑色にくらくらしていた。

私はオーストラリアで何をしているのだろうか。
あれだけ来たかったオーストラリアに私はいるはずなのに、
なぜこんなにも満たされない気持ちで心のコップが溢れているのだろうか。

乾ききった瞳はまだ焦点を合わしたくないそうだ。ぼんやりとオレンジだけを受け付ける。

プーーーーーーーーーーー

大きなクラクションが私を現実を引き戻した。

「あっぶね」
運転席に座るネパール人の彼(彼氏ではない、はず)が呟いた。

まつ毛をそっと触る私は彼の呟きなんて聞こえてないような、
そんなふりをしているうちにオンボロで埃臭い車は私の住む家に着いた。

買い物した荷物を車から降ろしてクラクションをププと鳴らし、
彼は勢いよく去っていた。

買い物した袋から食料品を取り出し冷蔵庫にしまう時、あることに気が付いた。

「あ、間違えた」

オートミールを食べるためにアーモンドミルクを買ったと思っていたら、
どうやら間違って普通の牛乳を買ってしまっていたみたいだ。
(スーパーでネパール人彼に取ってきてってお願いしたんだけど、もしかしたらアーモンドミルクって言わずミルクって言ってしまってたのかも)

牛乳。。。私が牛乳に手を付けるのは本当にいつぶりだろうか。

私は牛乳を飲まない。
なんてことは小学生の頃から自覚しているはずなのに、この時私は牛乳パックのキャップを回し開けてみた。

トクトク、とIKEAのマグカップに注がれるとろっとしたようなミルク。
最近寒くなってきているからと、私は電子レンジにカップを入れ30秒加熱した。

取り出すとやっぱり表面に膜が出来ていて気持ちが悪い。
本来であれば私はこの時点でお手上げなのに、なぜか私はフォークで膜を救った勢いでそっとカップに口をつけようとした。

「赤ちゃんのようなポワっとした柔らかく温かい、でもどこか動物臭くて甘ったるい匂い」

が鼻いっぱいに入ってきた。

私は白色の液体をそっと喉に運んでみて、その液体は私の体内にすっと溶け込んでいった。

飲めた。

もう十何年も飲んでいなかった牛乳。飲めた。
と普通なら嫌いなモノを克服したという嬉しさなどがこみ上げてきそうなものなのだが私は違った。

私は泣いていた。
このミルクの匂いが私の全神経を辿って記憶のデータフォルダへと届き、
半年以上前のファイルへと着地したのだ。

私は静かに泣きながらミルクを少しずつ飲んでいった。鼻に全集中して匂いを逃さないように。(ここまで来るとさすがに怖いかな)
すると時間はかかったがコップ一杯のミルクを私は飲み干していた。

私はミルクを克服出来たかわりに、時間だけが解決してくれると思っていたマレーシア人元カレへの思いがあまりにも鮮やかにあの時と同じように私の心に駆け戻ってしまった。

「いまさら」とマグカップをテーブルに置き、そっと目を閉じると、

一緒に育てた野イチゴの香りが、彼が作ったマレーシア料理の匂いが、そしてホットミルクの匂いが、いや違う、「彼の匂い」がサラサラと私の涙に代わって手に落ちていった。

あの時なんで私は、、、そして今なんで私は、、、

あの時の自分が嫌で変わりたくて仕方なくてオーストラリアに来たはずなのに、どこにいても、何をしていても、なぜこうも私は私なのだろうか。

ミルクは飲めないままでいいんだから、どうかどうか。
あの時マレーシア人彼と過ごした日々は私の中でこれからも色褪せませんように。。。そして彼がこの先もずっと幸せでありますように。

どうかあなたに届きますように。
日本から遠く離れた国より











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