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アンティークコインの世界 | シャルル6世のエキュドール金貨

今回は、フランスでかつて起こった長きに亘る戦い「百年戦争」の時代に発行された金貨を紹介する。取り扱うのは、表題の通りシャルル6世の治世下で発行されたエキュドール金貨である。

百年戦争期のエキュドール金貨は、近年、急激な高騰を見せ始めた注目のアンティークコインのひとつでもある。かつては市場にそれなりの量があり、価格も比較的手頃なものだったが、現在では徐々に入手困難な状態に近づいている。

シャルル6世のエキュドール金貨は美しさはもちろんのこと、その背後にある歴史背景も面白いものとなっているので、その点も併せて紹介していきたい。

France Ecu'Or 1380-1422CE
Charles VI FR-291

図柄表:ヴァロワ家紋章
図柄裏:百合十字紋章
発行地:フランス王国モンペリエ造幣所
発行年:ND(1380〜1422年)
銘文表:KAROLVS : DEI : GRACIA : FRANCORVM : REX
銘文裏:XPC VIИCIT XPC REGИAT XPC IИPERAT
額 面:エキュドール
材 質:金
直 径:28.0 mm
重 量:3.88 g
分 類:Fr-291; Dy royales 369-370; Delmonte; G-432

フランス王国でシャルル6世の治世(1380〜1422年)に発行されたエキュドール金貨。聖女ジャンヌ・ダルクなどが生きた時代の貨幣で、品位はほぼ純金に近い高品質な金貨である。

本貨は、百年戦争の最中に発行された。百年戦争は1337〜1453年に勃発した英仏間の戦争である。正確には116年間続いた戦争だが、切りよく百年戦争と歴史家たちは呼んでいる。また、終始戦争が行われていたわけではなく、幾度かの休戦もあって断続的に行われていたものだった。

百年戦争は、フランスの王位継承権をイングランド王室プランタジネット家及びランカスター家が主張したことを発端とする。イングランド王がフランス王も兼任できるというのがイングランド側の主張で、これを認めないフランスのヴァロワ家と約100年間に及ぶ激しい抗争が起こった。

本貨の表裏に記されたラテン語銘文は、下記の通りである。

KAROLVS : DEI : GRACIA : FRANCORVM : REX
神の恩寵を受けしフランス王シャルル(6世)

XPC VIИCIT XPC REGИAT XPC IИPERAT
キリストは勝利し、キリストは君臨し、キリストは命じる

シャルル6世の名と称号、カトリック国ならではのキリストを賛美する銘文が打たれている。中世ヨーロッパでは、キリスト教が絶大な力を持っていた。そのため、異端者を一掃する恐ろしき魔女狩りなどが行われた。

ヴァロワ家紋章
王冠盾に百合剣が描かれている

シャルル6世が属するヴァロワ家は、先代の王家カペー家の分家であり、フィリップ6世がヴァロワ朝の初代として君臨した。フィリップ6世は争いなく王位継承権が回ってきたため、幸運王とも呼ばれている。続くフィリップ6世の息子ジャン2世は善良王と呼ばれ、戦場で勇敢に活躍した。ジャン2世の息子シャルル5世は病弱だったものの、聡明な人物で賢明王の名で呼ばれた。そうした流れの中で登場したのが、狂気王シャルル6世だった。

ちなみにだが、ブルボン朝ルイ16世の治世下に起こった「首飾り事件」の首謀者ラ・モット夫人は、このヴァロワ家の出身であることを自称していた。没落した地位を取り戻すため、彼女は王妃マリー=アントワネットの名を利用し、不当な方法で160万リーヴルのダイヤの首飾りを手にした。

シャルル6世は賢明王シャルル5世の崩御により、11歳で即位した少年王だった。戴冠式は、ランスにあるランス大聖堂で伝統的に行われた。まだ少年ということもあって政治能力を持たないことから、父シャルル5世の弟ブルゴーニュ公フィリップ、アンジュー公ルイ、ベリー公ジャン、そして母ジャンヌ・ド・ブルボンの兄ブルボン公ルイが実質的な支配権を有していた。その後、シャルル6世はバイエルンから迎えられた美女イザボーと結婚。野心家のイザボーの勧めで、シャルル6世は1388年に親政を開始した。

シャルル6世は当初、親愛王として国民の支持を得ていたが、ある日突然発狂し、政治能力を失ったことから狂気王の渾名で呼ばれている。彼は「ガラス妄想」という精神病を患い、他人に触れられることをひどく恐れた。自分の身体がガラスのように脆く、粉々に砕け散ってしまうのではないかという恐怖心に常にかられており、奇行を繰り返した。衣服に鉄の棒を縫いつけていたこともあったと伝えられている。そうしたある日、彼は行軍中に発狂し、味方の兵士を突如切りつける大事件を起こした。周りにいた兵士で何とか王を押さえ込み、事態は収束したものの、4人の死者が出る大惨事となった。

百合十字紋章
四葉のクローバーの中に百合十字があり、
周囲には王冠が配されている

シャルル6世は発狂後、身近な人間の顔や名前も分からなくなった。稀に正気に戻ることもあったようが、あまりにも不安定で国政を任せられる状態ではなかった。こうした背景を機にシャルル6世の王妃イザボーが実質的な権力を握るようになった。百年戦争が起きていた当時、フランス内では政治的な派閥が形成されていた。対立していたイングランド側を支持する者たちもおり、イザボーはブルゴーニュ派(親英派)だった。この派閥名は支配地域に基づくもので、反イングランド勢力をアルマニャック派(反英派)と呼ぶ。

1422年にシャルル6世が病没。シャルル6世には後のシャルル7世となる王太子がいたが、イザボーはシャルル王太子は不義の子で、シャルル6世と自分との間にできた子ではないと主張した。ブルゴーニュ派のイザボーはシャルル7世の妹カトリーヌとイングランド王ヘンリー5世を政略婚させる狙いだった。また、トロワ条約というシャルル6世が崩御した際は、イングランド王のヘンリー5世がフランス王に即位するという条約まで取りつけた。これは事実上のイングランドによるフランスの乗っ取りだった。フランスは消滅の一歩手前まで来ていた。フランスにとって絶体絶命とも言える条約まで結ばれる中、ある出来事が起こった。トロワ条約の穴をつく形となった事件だった。なんとヘンリー5世が若くして病死したのだ。ヘンリー5世は、シャルル6世より2ヶ月ほど早くこの世を去った。これにより、ヘンリー5世がシャルル6世の後見人になることを大前提としたトロワ条約が崩れ去った。イングランド側にとっても、フランスのブルゴーニュ派の人間たちにとっても想定外の出来事だった。シャルル6世は精神疾患に苦しみながらも、長生きするという生命力で、意図せずとも抵抗しフランスを守る形となった。とはいえ、シャルル6世の妻イザボーを筆頭とするブルゴーニュ派の勢力は、いまだかなりのものだった。

エッジ部分
非常に薄く造られており、材質が純金に近いことから柔らかいので、触れる際は曲がらないように注意して扱う必要がある

本来フランス王位を継承するはずだったシャルル7世は母イザボーの力に屈し、フランス南部のブルージュに逃れ、隠れるようにひっそりと暮らしていた。そうした中で突如現れたのが、救世主ジャンヌ・ダルクだった。農夫の娘だったジャンヌはある日、シャルル7世をランスで戴冠させよ、というお告げを神から授かったという。彼女は幾度も語りかけてくる声を信じ、故郷ドンレミ村を出て、シャルル7世を戴冠させる使命に挑んでいく。数々の激戦を経て、幸運にもジャンヌはシャルル7世をランスで戴冠させることに成功した。

その後、彼女はイングランド軍に占拠されていたパリの奪還も目指したが、これには失敗。撤退後、他地域で連戦する中、敵軍に捕えられ、捕虜となった。法外な身代金と引き換えにジャンヌの身柄を引き渡す条件が出されたが、シャルル7世は身代金の要求には応じず、ジャンヌは見捨てられる形になった。その後、彼女はブルゴーニュ派のフランス司教ピエール・コーションによって異端裁判にかけられ、火刑となる悲劇的な最期を迎えた。ジャンヌの死から時が経ち、シャルル7世は彼女の異端裁判の結果を無効とした。ジャンヌのおかげで王になれたにもかかわらず、最後は見捨てる形となったことを後悔していたのだろう。その後、さらに時が経ち、ジャンヌは公式に聖人として叙せられ、フランスを救った英雄として現在でも語り継がれている。


以上、シャルル6世のエキュドール金貨を紹介した。この時代の登場人物や出来事は、ドラマ性があって本当に惹きつけられる。目の前にコインがあると、より想像力が広がり、当時の様子を思い浮かべられることだろう。いろいろなドラマがあり、いろいろな思惑が淀めいていた。そんな混沌とした時代だからこそ面白みがあり、そんな時代だったからこそ、きっと魅力的な登場人物たちが現れたのかもしれない。

以下、主要参考文献。出版年順に記載。

ジュール・ミシュレ、森井真・田代葆(訳)『ジャンヌ・ダルク』中公文レナード・ウルフ、河村欽錠一郎(訳)『青髭ジル・ド・レー』中央公論社、1984
ジュール・ミシュレ、森井真・田代葆(訳)『ジャンヌ・ダルク』中公文庫、1987
レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン、福本直之(訳)『ジャンヌ・ダルク』東京書籍、1992
ジャン・ファヴィエ、内田日出海(訳)『金と香辛料』春秋社、1997
藤本ひとみ『ジャンヌ・ダルクの生涯』講談社、2001
レジーヌ・ペルヌー、塚本哲也(監)、遠藤ゆかり(訳)『奇跡の少女ジャンヌ・ダルク』2002
高山一彦『ジャンヌ・ダルク 処刑裁判』白水社、2002
城戸毅『百年戦争 中世末期の英仏関係』刀水書房、2010
エーリック・アールツ、藤井美男(監訳)『中世ヨーロッパの医療と貨幣危機』九州大学出版会、2010
樋口淳『フランスつくった王~シャルル七世年代記~』悠書館、2011
朝治啓三・渡辺節夫・加藤玄『中世英仏関係史』創元社、2012
竹下節子『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活』白水社、2013
堀越孝一『パリ住人の日記 I』八坂書房、2013
コレット・ボーヌ、阿河雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子(訳)『幻想のジャンヌ・ダルク 中世の想像力と社会』昭和堂、2014
ジャック・ル=ゴフ、井上櫻子『中世と貨幣』藤原書店、2015
堀越孝一『パリ住人の日記 II』八坂書房、2016
佐々木真『図説 フランスの歴史』河出書房新社、2016
堀越孝一『ジャンヌ=ダルクの百年戦争』清水書院、2017
Guinea, Sovereign, Shillings『ヴァロワ朝百年戦争期における中世フランスおよび諸侯の貨幣収集』2017
Guinea, Sovereign, Shillings『王と乙女の身代金 ~ヴァロワ朝百年戦争期 フランス王家発行貨の通用価値~』2017
福井憲彦『教養としてのフランス史』PHP、2019
堀越孝一『パリ住人の日記 III』八坂書房、2019
竹下節子『超異端の聖女 ジャンヌ・ダルク』講談社学術文庫、2019
ギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー、鹿島茂・楠瀬正浩(訳)『フランス史』講談社選書メチエ、2019
浜本隆志『図説ヨーロッパの紋章』河出書房新社、2019
ゲオルク・シャイベルライター、津山拓也『中世紋章史』八坂書房、2019
スティーヴン・スレイター、朝治啓三『紋章学事典』創元社、2019
福井憲彦『一冊でわかるフランス史』河出書房新社、2020
菊池雄太『中世ヨーロッパの商人』河出書房新社、2022
加藤玄『ジャンヌ・ダルクと百年戦争』山川出版、2022
池上俊一『少女は、なぜフランスを救えたのか』NHK出版、2023
André Delmonte, “Le Benelux d'or” Jacques Schulman BV, 1978
Jean Duplessy “Les monnaies françaises royales” Maison Platt, 1999
Arthur L. Friedberg, Ira S. Friedberg, Robert Friedberg, Gold Coins of the World, Coin & Currency Institute, 2017


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