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ADHD、双極性障害の診断がおりるまで〜前編〜

どうも。シェリーです。

このnoteをやっていく上で、今の診断が下りた経緯というのは切っても切れないところではありますので、本日はその話でもしていこうと思います。

20歳〜現在までの話となりますので、めちゃくちゃ長くなってしまいました。
なので、前後編に分けて書いていきたいと思います。
まずは前編からどうぞ!

初めての病院

20歳の頃、初めて自ら精神科へ行ってみました。
毒親家庭だったのもあり、普通に虐待されて生きてきたので、もう精神が限界だと思ったからです。
診断は適応障害とのこと。ただ、これは結果的には誤診でした。
抗うつ剤を2種類、共に最高量処方されていたのですが、一向に良くならない。
それどころか、知らない人に話しかけて自分の連絡先を押し付けるなど、普段の自分なら絶対にありえない行動をとるようになりました。自分のことながら今思うと怖い。当時の私に話しかけられてしまった人には申し訳ないと思っています。
でも、じゃあいつも明るいかっていうとそうでもなく、希死念慮もある。
もうこの頃から双極性障害だったのではないかと思っています。平気そうに語ってますがバリバリ黒歴史です。

とまぁ、メンタルはガッタガタな感じでしたが、そこに突如彗星の如く現れた「精神科の薬なんて飲んじゃいけないマン」の登場により、自主的に(半ば洗脳され気味に)服用を止めてしまいました。

これにより副作用による強い躁転は治まったため、ごく一時的には楽になりましたが、治療自体は止まってしまったため、元の状態より良くなる訳ではありませんでした。

皆さんも主治医の処方に疑問を感じた時は、ぜひ別の病院で指示を仰いでみて下さいね!
勝手に辞めると、超簡単に危ない状態になり得ます。

ADHDの診断①

その後もなんやかんや向かい風激強な人生を送りつつも、あまりの自分のポンコツさに「これおかしい」と思ったのが24歳。
具体的にはどんなに頑張っても家事がやれない、忘れ物を必ずしてしまうなどですが「もう誰がなんと言って止めようと、殴られようと絶対病院行くし検査するからな」と思ったきっかけは、圧力鍋に火をかけたまま家を出たことでした。
その時は同居家族が消しといてくれたので事なきを得ましたが、このままじゃまっとうに生きていけないと悟りました。もう病院へ行かない選択肢はありませんでした。

なんとか都の支援センターから発達専門の病院の予約を取り、WAIS(だったと思う、ブロック並べたり数字聞き取って覚えたりするやつ……)を受け、よくやくおりた診断は「それぞれの知能に発達障害とされる程の落差はない、だがエピソードやあなたの喋り方はどうみてもADHD」とのことでした。
初めてADHDの診断がおりた瞬間です。まさかのプロによる「どっからどう見てもそう」という理由での診断でした。
ただ、その医師いわく「あなたは自分で工夫してやっていく力がある。だから薬は出さないけど、いつでもまた来ていいからね。」とのこと。
優しい先生ではあったものの、ADHDの診断を受けた上で放逐という、まさかの結果となりました。
薬とかもらって少しは楽になるかと思ったが、甘かった。ADHDの道のりは長く険しい。

その日は放心状態のまま家に帰りました。

〜後編へ続く〜

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