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『スタンド・バイ・ミー』(ロブ・ライナー監督)【映画感想文】

「12歳」とはなんとも絶妙な年頃ではないか。
思春期を迎える直前。
いや、思春期が始まり出している時期。
心も身体も大人になろうとしている。
とはいえ、まだまだ男の子。少年。
まだ小さい背中にランドセルを背負って、「バーン!」とか「ブーン!」とか、少年らしい擬音語を交えながらはしゃぎまわるし、外で遊んでいても、あんまり暗くならないうちに帰らないとお母さんが心配する。
保護者の管理下にある。

だけどだんだん、大人になることに憧れる。
作中でも少年たちは得意そうにタバコをふかし、
「食後の一服が最高だよな。」と分かった風な口を叩く。

この時期の人間関係の特徴といえば、短髪で身体の強い悪ガキも、ひ弱そうな文学少年も、みんな隔てなく交わって遊ぶことだ。
中学生みたいに不良は不良で固まって、優等生は優等生で固まるということが無い。

劇中でなんとも切なくなるシーンがある。
死体を見つけに行く途中の道で、家庭のせいで悪ガキ扱いされているクリスと、それとは対照的に家柄が良く賢くて物語を作る才能があるゴーディの会話だ。

クリス「中学の準備は?」
ゴーディ「まだ」
クリス「いよいよだ どう思う 君ともお別れだな」
ゴーディ「なぜ別れるんだ」
クリス「小学校とは違う 君は進学組だし おれやテディたちは工作室で灰皿作りさ 君は頭のいい友達ができるさ」

スタンド・バイ・ミー
(ロブ・ライナー監督)

中学生になれば身体的な強さや運動の出来具合、あるいは勉強の出来具合、そして生活態度などに大きく差が出てくる。そこに家庭環境なども加わり、小学校の友人同士はやがて関わらなくなっていく―――。

これは日本でもアメリカでも、20世紀でも21世紀でも共通の、普遍の真理なのかもしれない。

このあたりの機微が絶妙に描かれている。

***

少年たちは劇中で、死体を探す冒険をする。
子供は純粋であり、ゆえに残酷だ。
死体をまるで宝探しの宝のように思ってワクワクしている。

それもそのはずで、彼らはまだ死などというものについて一寸足りとも考えたことはなく、漫画やアニメ、小説といった虚構の中にのみ存在する観念的なものでしかないのだ。

しかし、ついに死体に直面した時、少年たちははしゃぎまわることなどしなかった。

死体を目の当たりにした彼らは、死というものを少しだけ実感として理解する。
彼らは遺体発見者として英雄になろうとはせず、おとなしく匿名で警察に届け出たのだった。

彼らは死への畏怖の念を覚え、死が自分たちの生の延長上に存在していることをぼんやりとわかり、少しだけ大人になった。

***

中学に入ってからは、やはり、彼らは付き合わなくなった。
もしも、「その後も彼らは永遠の友情を育んだのだ。」というエンディングだったら、シラケただろう。美しいことだけが真実ではないはずだ。

11歳でも、13歳でもなく、12歳という年齢。
思春期を迎えると言う事。
大人になるということ。
そしてそれぞれの道を歩みだすこと―――。
そういう誰しもが胸の奥にしまってある「あの日々」の思い出を回想させられる映画だと思う。

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