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「マトモ」と「当たり前」

「マトモ」や「当たり前」とは何だろうか。

 ドラマ「グッド・ドクター」をきっかけに故・手塚治虫先生の名作、「ブラック・ジャック」を読み返した。その中で印象的なエピソードのひとつ、『腫瘍狩り』について見ていきたい。

 東西大学医学部付属病院の教授・白拍子泰彦先生が、アメリカ・南プレメンス大学で開発されたCH(キャンサー・ハンター〔腫瘍の狩人〕)という癌治療のための医療機械をマスコミに披露した。癌は転移してしまうと治療が困難になる。しかしCHならば、どこに転移していようと自動的に探し出し、レーザーを照射して癌細胞を死滅させるという。白拍子先生は南プレメンス大学で研究に加わり、開発と同時に一台をもらい受けたのだった。
 しかしその後、南プレメンス大学から連絡があり、CHに重大な欠陥があることが判明する。CHのレーザーは癌細胞には有効だが、同時に正常な自律神経に影響を与え、少しずつ感覚――特に視覚と聴覚を冒すというものだった。
 すぐに患者をCHから出し、手術に踏み切る。が、癌組織と患部が固く癒着しており、切除は不可能だった。白拍子先生は悩んだ末、五千万円を手にブラック・ジャックの許を訪れる。しかしブラック・ジャックが要求したのは金ではなく、CHが不完全だったということを公の場で発表するという条件だった。
 白拍子先生は、「そんなことをすればマスコミは騒ぎ立てる。そうなれば私は恥曝しとなり、吊るし上げられるだろう。私はあなたと違ってマトモな神経を持っているから、耐えられるかどうか……」と躊躇する。だが、ブラック・ジャックはこう一喝する。
「マトモな医者ならなぜあたりまえのことができねエんだい!!」
 最終的に白拍子先生は条件を呑み、緊急記者会見を行い、CHに欠陥があったことを公表する。そして、ブラック・ジャックが手術を始めるところで話は幕を下ろす。

 エピソードを読んだ当初は、ブラック・ジャックのセリフは至極もっともだと思った。しかし他の方々の、「マトモ」や「当たり前」について書かれているnoteの記事を読んでいるうちに、冒頭の疑問が浮かんできたのだった。

 白拍子先生は大学の教授、つまり組織のトップを担うひとりだ。教授である以上、大学病院の運営についても考えなければならない。作中でも、「患者を死なせてもみろっ。それこそ大学病院はもの笑いだぞ」と発言し、箝口令をしくように指示を出している。CHが世間の注目を集めている中で欠陥を公表すれば、大学病院が被る被害は大きいと判断したからだろう。
 ブラック・ジャックの主張は確かに正しい。間違っていたならその場でそうだと認めるのが道理というものだ、といったところだろう。しかし現実には、「ありのままをすべて公表したら、病院(組織)は成り立たなくなってしまう」という声もあると思う。
 私が愛読している、海堂尊先生のチーム・バチスタシリーズなどは大学病院が舞台となっていることが多い。病院内では様々な事件が起こるが、その内容のすべてを世間に公表しているかといえば、答えはノーだ。その理由はやはり、病院の運営や存亡に影響を及ぼすからだ。もし病院がなくなってしまったら、そこにいるスタッフや患者、周辺地域の住民はどうなるか。答えは言うまでもないだろう。

 もちろん、不祥事をいつまでも公表しないわけにはいかないということぐらいは、白拍子先生もわかっていたと思う。だからマスコミの関心が下火になった頃合を見計らって、改めて発表するつもりだったのではないだろうか。その方が大学病院への被害もまだ小さくて済む可能性がある。
 そうした視点で考えると、あのタイミングで公表することは、本当に「マトモ」で、「当たり前」なことなのだろうか。

『腫瘍狩り』は病院の隠蔽体質への非難という向きもあるが、私はそうは思わない。ひとりの医者として、組織人としての白拍子先生の苦悩と葛藤を描いているように思う。それはとても人間味に溢れたものだ。苦渋の末に自身が敵視しているブラック・ジャックに依頼し、条件を呑むことを決断した先生は立派だ。そして、ブラック・ジャックよりもずっと大人なのだろう。――こう考えるのは、私だけだろうか。

 最後はこのセリフで締めくくろう。
「〝正しい選択〟なんてないんだよ。結局あとから、〝正しかった選択〟にしていくしかないの」(スマホゲーム「消滅都市」より)


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