今では線維筋痛症と適当に付き合いながら死ぬまではちゃんと生きようと思っています。

『「親友」も「オーガニック食品」もすべて異物で「自分」にとってストレスとなりうる。われわれはそのような「自分と違う外界」に囲まれた孤独な存在なのです。苦手と感じている人と合わせなければいけないときは、ストレスを強く感じます。このような時に自律神経が働き、からだにも変調を起こすのです。これは青年期や壮年期に限ったことではありません。老年期になっても、たとえば家庭内での嫁と姑の関係だとか、あるいは社会の中では高齢者同士の寄り合いやサークルの中でも起こりうるのです。異物は外界だけにあるのではありません。痛みやシビレといった感覚は、健康な生活をしている時には体験しない不快なものです。この感覚や情動も「体内に生じた異物」といえるのです。自分以外の異物との間に必ず発生するのがストレスです。しかし適度なストレスは、生活を活性化させます。異物に対して陰性感情を抱くだけではなく、自分以外の人やものという異物とうまく折り合いをつけて、生活を楽しく変えていくことに意味をみつければ、人生はとても価値あるものになるはずです。~治すことよりも慣らすこと。「からだを治す」という過剰な意識がかえって治癒をじゃますることがあります。腰痛と折り合ってうまくつきあっていける人は「周囲の環境に順応する」能力が高いのです。肩こりも腰痛も「動かして治す」ことが一番、と頭でわかってはいても、痛みやからだの不調は人の意欲をいちじるしく削ぎます。さらっと「痛みという異物と折り合いをつけて」と言われても、そう簡単に「動いてみよう!」という気分にはなれないこともあります。~破局的思考とはカタストロフィック・シンキングの訳ですが、「カタストロフィー」には大惨事とか破滅という意味があります。すべては悪いように解釈され疑心暗鬼となり、家庭や職場、そして医者との関係にも悪い影響を及ぼします。緊張しっぱなしになって交感神経ばかりが働いてしまいます。すると血流が悪くなって痛み物質が蓄積し、痛みは輪をかけて悪化していきます。破局的思考におちいりやすい性格があります。「病気の原因をはっきり、きっぱり求めたがる人」です。こういう人ほど、破局的思考におちいる危険性が高いのです。気が小さく、そのくせ怒りっぽい人。「自分は何も悪くないのになぜこうなるのか」と考える人です。人類の現在の力では、病気の仕組みをすべて説明できるものはほとんどありません。特に運動器痛は圧倒的にわからないことが多いのです。しかし、このことがどうしても納得できず、「何をやってるんだ、今の医者たちは」と、怒りの感情を持つ慢性疼痛の人がいます。冷たいようですが「あなたのからだはあなたのもの」です。「医者は何をやっているんだ」と考えること自体が他人任せもいいところでしょう。このような人ほど他人に対して厳しい態度をとる「他罰的」な傾向が強いのです。うつ病になると一般的に「自責的」な考え方になります。過度に自分を責めて「自分が悪い」「自分さえいなかったら」と思うのです。ところが最近は、これまでのうつ病とは違って、「自分は悪くない」「まわりの人が悪い」「誰も問題を解決してくれない」と考えるうつ病が現れ始め、ひところは新型うつ病などといわれていました。このようなうつ病は典型的なうつ病と違って他罰的な傾向があるのが特徴です。破局的思考、慢性疼痛、他罰的思考、うつ、自律神経が相互にからみあって、どうにもならないネガティブな循環に陥っていくのです。治療をしても運動器痛が治らない患者さんに「何かいい治療はないのか?」と聞かれると、私はこう水を向けるときがあります。「逆にお聞きしますが、自分では何かいい方法を思いつきませんか。自分のからだだからこそ思いつくいい方法がありませんか? どこかにいる『名医』を探すのは夢物語。自分でどうにかしてみよう、と考えてみたらどうでしょう」「それがわからないからここに来ているんだ!」と怒り出す患者さんもいますが「自分のからだだからこそ思いつくいい方法」に反応して、思いのほかいい案がでることもあります。こんな医者からの問いをきっかけに、患者さんと医者が「ああだ、こうだ」と相談を始められれば、これこそが治療のとっかかりなのです。ネガティブな傾向というものは、多かれ少なかれすべての人が持っています。「自分は楽天的だから」と思っていても、本当に楽天的で毎日楽しく、悪いことは一切考えず、ネガティブな考え方をまったくしない人なんていません。破局的思考が頭をもたげてきたら、それに自分自身が飲み込まれないことです。そのためには一歩引いたところから俯瞰して自分を見つめてみることが大切。すると自律神経は安定してきて、こころからからだへとポジティブな信号を送り始めます。~「考えても仕方がない過去」と「過度に心配な未来」。つまり「現在」この瞬間以外の過去と未来を、必要以上に考えることが破局的思考のはじまりなのです。「今」以外の、病因という過去、予後という未来についての思いわずらいが破局的思考のつぼみなのです。~人間は痛みに限らず、「やってしまった失敗」(=過去)や「これから起こるかもしれない心配」(=未来)を考え出すと、頭の中が堂々めぐりになります。考えるのをやめようと気をそらそうとしても、後悔と心配が頭をもたげて、同じことを何回も考えてしまう。考えないでおこうと思えば思うほど、なおさら頭の中に一つの心配が何度も浮かんでしまうのを自動反復思考といい、莫大なこころのエネルギーを消費します。一般的な悩みでさえそうなんですから、これに「痛みというやっかいな現在」がプラスされたらなおさらです。自動反復思考はストレスになり、自律神経を刺激して感覚神経が過度に敏感になります。このため腰痛などの運動器痛が悪化するのです。』

医療の原点は「自分の心身との対話」であり医師や薬剤師その他の医療従事者は「患った者」である貴方を救う事はできないのです。あくまでも「支援者」として個々の知識や技能の「お裾分け」をしているに過ぎません。原因も解らず治療法もなく死んだような生活をしている時に「1.否認と孤立、2.怒り、3.取り引き、4.抑うつ、5.受容」の5段階を経て私がたどり着いたのが「無理しない程度に頑張る」でした。今では線維筋痛症と適当に付き合いながら死ぬまではちゃんと生きようと思っています。

長年の痛みがどんどん消える自律神経「驚きの改良法」
谷川浩隆の「歩いて治す」診療室
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69102

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