見出し画像

わからないものを拒絶する人たち

君たちはどう生きるか?映画館で観た瞬間は、何かを感じることなく、無だった。どこか、もやもやする。何なんだろう、この感覚。同じく観たという友人に連絡を入れ、言葉にしていく中で色んな気づきや感情が芽生えた。賛否両論わかれるのは、なぜか?もしかしたら、この世の中多くの人が、わからないもの、不確かなものを受け入れたくない、向き合いたくないという拒絶感があるのではないだろうか?

ストーリーよりナラティブに語れるか?というnoteを書いたところだったので、自分なりの解釈で振り返ってみよう。

君たちはどう生きるか?

物語は、戦時中火事で母を亡くす子(まひと)のシーンから始まる。東京で工場を経営する父は、妻を亡くしてすぐ妻の妹と結婚し、お腹には新しい命が宿っている。戦時中とはとても思えない立派なお屋敷、家政婦のおばあちゃんたちがたくさんいる新しい家に引っ越すが、まひとの居場所はどこにもない。母を亡くした悲しみの中、誰にもその胸の内を打ち明けることもなく孤独で切ない。
そんな中、謎の鳥アオサギが登場し、お屋敷の奇妙な塔に彼を引き込もうとする。アオサギの描写がサスペンス感があり、気持ち悪くハラハラする。最初は、嫌悪と殺意を抱いていたアオサギだが、のちに出口のないゴールを目指して旅する仲間となっていく。アオサギに対しては唯一感情をむき出しにして、自分とも向き合っているような大切な存在。
その昔大叔父さんが姿を消し行方不明になっている、曰く付きの塔。亡くなった母に会いたいと、彼は足を踏み入れる。そこには生と死が混在した、別世界が広がっている。亡霊がいる一方で、新しい命が外の世界へと飛び立とうとしている。その命を食べて生きながらえている鳥たち。それを阻止しようと火を放って守る少女が、まひとの母だ。人間が創りだしてしまった悪、生命体のバランスの乱れ、今現実社会で起こっている環境破壊に思いを巡らせる。この塔を、石を積み上げ、絶妙なバランスで保ってきたのが大叔父さんなのだが、もう限界が近く世代交代だと感じている。だけど、まひとは後を継がず、新しい母(母の妹)とともに元の世界に戻ることを選ぶ。大叔父さんの覚悟と死への潔さ、まひとの揺らぎない決断、新しい母は死でなく生きることを選び、まひとの母はいずれ火事で死ぬことを知っても、それでも「まひとを生んでよかった」と扉を開ける。それぞれの決意と心境がぐっと来る中、何も知らないまひとの父親は、鳥の糞まみれで再会に手放しで喜ぶ姿がなんとも言えない。

答えのない道なき道を、自分で歩んでいけるか?

物語の終始、正解があるわけではなく、目に見えるわかりやすいものがあるわけでもなく、何なんだろうともやもやする。わからない、見えないものに対して、自分なりに解釈して、向き合い続けるのは簡単じゃない。よくわからないからいいやと投げ出すことも、おもしろくないと非難することもできる。それでも考えて考えて、何を伝えようとしているのか?自分だったらどう生きるか?書いたり、話したり、言語化してやっと少しずつ見えてくるものがある。このプロセスを面倒くさいと放り出して、なかったことにするのはもったいない。私は、難しい問いを突き付けられても、問うて、問われて、自分はどう在りたいか?を大切にしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?