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抜毛のときの細かいこだわり

しーちゃんのご主人さまこと、調 和緒(しらべ かずお)です。

小三の時から抜毛症で現在40代の女性です。
足掛け35年ずっと悩みの種で、解決方法には辿り着けず現在に至っています。

そんな私ですが、今年に入ってから本格的なケアや学び直しを始めており、このブログもその一環で始めました。

今日は自分の体験を記してみます。


抜毛のときの細かいこだわり


私は無意識で抜き始めてしまうことがほとんどなのですが、そうした行動の中で「自分なりのこだわり」があります。

その「こだわり」を満たせるとなんとも言えず安心できるので、繰り返してしまうし止めることができない…という事のようです。

・ 毛の太さ、手触り

抜くときは、指で一本づつ髪を摘んで引き抜きますが、そのときに毛を選ぶんですよね。
で、私は「太め」「ちょっとボコボコした手触り」の毛を選んでいました。(今はそんなに選ぶ余地がない毛の量です)

毛を触り続けるとわかってくるのですが、毛の太さや質感って思いの外バラエティに富んでいます。びっくりするくらいツヤツヤなものもあれば、ガッサガサだったり、妙に平べったかったり…

そんな中で条件にあった毛を見つけると嬉しく、抜くとスカッとする…とでも申しましょうか。そういう感覚です。

・ 毛根のつき具合

毛髪の根元には「毛根」ってついてますよね。毛の根本の湿った黒い部分と、白っぽい半透明の部分。

抜き方によってはそれも一緒に抜けますが、初めの頃はそれがついてくると「当たり」みたいな気持ちになってました。だから、それが付いてくるのはどんな毛なのか?と探るようになりました。

しばらくして、毛根がなくなるとヤバイ!と知り、さほどありがたく思わなくなったのですが…


毛を抜く上に、こんなこだわりが
ある自分が怖かった


どうやら上記のような意識の構造でやっちゃうっぽいぞ、と自覚できたのは結構な大人になってからでした。

子ども〜思春期にかけては
「なぜこんなことにこだわってしまうのか?私って変態なの??」
「どうしよう、こんな感覚は説明できないよ。言ったら怒られるよ…」
「やめたいのにやめられないよ…頭おかしいのかな」
といった不安ばかりが募っていました。

そして、その気持ちに反して抜毛行為がやめられないのは、本当に重苦しくて辛いことでした。

指先で何かに触れる、確かめる、達成する。
自分だけで完結できるそういう一連の行動が、安心感を生みストレス解消になっていたのでしょうね。

まだ詳しく書いていませんが、私はそういう「ストレスのはけ口」が必要な家庭環境で育った子どもでした。これも長い時間をかけて、ようやく自覚できた事です。

ですので、当時この悩みを真摯に受け止めてくれる大人は誰もおらず、見つかったらヒステリックに怒られて「なぜやめられないんだ」となじられるだけだったんです。本当に誰にも自分の気持ちを聞いてもらえなかったので、どうして解決していいかわからなかったんですよね。

いま私は40代で、大人になってからは親しい人や信頼できる人に打ち明けることもできました。(反応は人それぞれですよね…当たり前ですけど。打ち明けて救われたことも、傷ついたことも両方ありました。)

抜毛症に関する資料も改めて学び始めたところ、上記のようなこだわりは抜毛症の方は結構皆さん持つようですね。

自分だけじゃなかった、と安心するのは後ろ向きでしょうか。

こういう悩みについては、決してそうじゃないと思います。

自分に起こっている事が一体何なのか、理解してひとまず安心する。
その上で、対策を考えたり、トライしてみたり。
そういうプロセスをじわじわと踏んで行くのが大事だろうな、と思います。

私は子ども時代にそういうプロセスを経る事ができず、長い時間を過ごしてきてしまいましたが…

今はこうして、落ち着いて振り返ったり言語化できるくらいまでにはなりました。

(実は20〜30代の頃にも何度か試みたのですが、辛かった記憶や感情が溢れてしまい無理だったんです)

これをやったらすぐ治る!みたいなことではないので、この先に私の抜毛症の完治があるかどうかはまったくわかりません。

それでも、何だかこのような記事を書いているとすごく自分の中が整理され、納得していく感じがしていて、それは今までにない感覚なので、ひとまず楽しく記事を書いています。

ではでは、また!

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