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水の流れ 太陽のしっぽ

昨夜から続く長雨に、町は深としている。柿の老木はその雨に耐え、見事に芽を見せつけるので、ぼくはなんとなく穏やかな心地でいられる。無風の灰色の世界に緑は際立ち、もう勢いはなんであろうと落とすことはできないよ、といった生命力が伝わってくる。勿論、雨は老木にとって、昔から一心同体の仲なのだが。それは、それとして。

鳥も鳴いている。鳴いているから間もなく空は明けるのか、と期待しているがそのままだ。空腹に耐えかねた鳥が、空に対して文句を垂らしているんだろうか。湿気た空気の中でそれはとても響き渡ったが、時折通る車の水をはじく音には完全に消された。鳥自体はそんなこと、気にしてはいないのだが。

暖房をつけている。つけたり消したりしている。少し寒いな、程度の気温なのでその調整が難しい。自分が少し我慢するか、もしくは薄い何かを羽織ることの方が楽なのだが、つけたり消したりしている。しかも少し苛立ちながら。見えない汗が額から滴りそうになるのだ。はっきりした原因はわからない。ただ漠然とした原因になりうるものはいくらでもある。みんながそうなように。僕もそうである。そうでありたい。

別に雨に掛けて、湿気た話をしているつもりではない。ないのだが幾分初夏を1度錯覚してしまった身としては、ベールを自ら脱いで新たな皮膚、まだ薄ら赤い(湿った)、肉と皮膚の境目の表面でここにいる。いた。それがこんな長雨にさらされたとなると、この結末はどうしようもないものに見える。さしずめ、僕は何1つ悪くない。そうありたい。敏感な肌が痛んで、時々雨に当たった皮膚から赤い汗が流れるが、すぐどこかに流れゆくので、特に、なにもない。それを知らない方が怖い。海に、僕たちはいるのに。

川にはそこそこの人たちがいて、みんな海で合流するのだ。それはこんな話から通ずる。

それは、胃や腸を移植した人の話。提供した人の人格に似てくることがよくあるらしい。記憶は、意識は脳にだけあるわけではない。という説。
もう一つはトンネル効果。人間が壁をすり抜ける確率。壁の粒子と人間の粒子がちょうどお互いぶつからず、すり抜ける可能性はある。
それから、長年共に過ごす夫婦は顔が似てくるという話。
いずれも確定の話ではないのであくまで想定だが。とすると。
僕たちがお風呂に入ったり手を洗ったりして排水溝から流れるその水は、川に出る。近所の人たちの粒子がたくさんいることになる。海まで届いたらどうなるだろう。世界中の人たちの粒子が共にいることになる。

昨日握手した君の粒子は僕の体内にいるかもしれないし、そしたらおよそ99%が僕で1%は君なのかもしれない。とすると、僕と思っていた僕は。

とすると、僕と思っていた粒子の塊のこの僕は。だれだろう。

それが怖い話か、救われる話かは、この間読んだ本に書いてあるのだが。

フィクションやノンフィクションなんてこの際全く関係はないし。だって生命の神秘や宇宙の謎に今、誰一人たどり着いてはいなんだから。宇宙って何だろう?なんでそんなSFみたいな世界に僕らは、平然と過ごすことができているのだろう。

とか。

雨はこの後も降り続くらしい。深夜がピークだという。連休が続く僕は昼夜逆転になりがちで夜、なかなか寝付けない体になってしまった。そのせいで眠りも浅くなり、夢を見がちだ。昨日の夢は空から大きなUFOがやってきて、どうやら全員それに乗れ、とu0wtjiako人が言っているらしい。みんな家々から大きなバックを抱えて出ていく。しかし僕は怖くて窓の外を見つめていることしかできない。

時折その地球外の人と目が合いそうになり、早く終われ、早く終われ!と願ったところで目が覚めた。

ぼくは、何に対して、早く終われ!と、思っていたんだろう。その大事な部分だけ目覚めた後さっぱり思い出せないのだ。

僕、という、粒子のかたまり。と、意思。

思う前に脳は命令しているらしい。

自分で考えた、と思い込んでいる。

僕はめちゃくちゃに汚い、自分の部屋を見て、ほっと胸を撫でた。


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