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宇宙人ポール

マダム桑原の家は、簡素なアパートメントだった。

「ゆっくりしてくださいねえ」

白んだ氷が音を立てる、涼しげな麦茶を振舞われた。桑原さんの部屋着は、多分ユニクロのルームウェアだ。何だか想像と違った。一戸建ての豪邸でローズヒップティーを嗜む貴婦人、どこかそんなイメージを持っていた。冷静に考えれば私と同じ職場なのだ、そんな富豪な筈は無いのに…。

「さて、今日は何を観ますかねえ」

私と桑原さんは所謂映画友達というやつだ。普段は一人暮らしの私の家で鑑賞会に耽るのだが、悲しいかな、私の住まいもボロのアパートメント。現在隣地の駐車場が解体され新しいビルディングを建設中、納期が厳しいのか日曜日も工事に着工し、激しい騒音で映画どころではない。というわけで桑原さんの家にお邪魔したというわけだ。

「そういえば日曜ですけど、旦那さんはお出かけですか?」
「はい、映画観に行ってますねえ」
「え、すみません、私気を使わせちゃいましたか」
「いえいえ、日曜はいつも一人で映画を観に行くんですよお」

日曜はいつも一人で?嫌な予感がする。私の元夫と同じだ。まさか…

「本当に映画観てるだけですよお。大丈夫です」

桑原さんは笑った。私の頭の中を透視したらしい。失礼な事を考えてしまった。

「信頼してるんですね、旦那さんのこと」
「信頼というより、帰ってきたらあの人熱心にその日観た映画の感想を語るんですよ。寝るまでずっと、子どもみたいに。あの熱弁が嘘なら、とんだ名優ですよねえ。それならそれで私は嬉しいです」

私の恋愛対象に女性が含まれていたら、絶対桑原さんをアプローチするのに。彼女の旦那さんが羨ましかった。

「旦那さんも映画好きなんですね」
「ですねえ。でも一緒には観ないんです。彼、人と話しながら映画観るのが好きみたいで。それは正直鬱陶しいんですよねえ」
「静かに観たい人にはそうですよねぇ」

そういえば意識してなかったが、桑原さんと映画を観るとき、お互い吐息ひとつ漏らさない。固唾を飲んでエンドロールを迎え、堰を切ったように感想を語らうのが常だった。それが当たり前に思ってた。

「さて、そろそろ始めますかねえ」
「今日は、これを観ようと思って」

私が用意したのは『宇宙人ポール』だ。映画好きには爆笑必須のコメディ映画、でも私達はエンドロールまでクスリともせず、その後恋に華やぐ乙女の様に怒涛のお喋りに花を咲かせる。思えば奇妙な光景かもしれない。でも、それが最高に楽しいのだ。

素敵な映画が巡り合わせてくれた貴重な友人、貴重な友人が巡り合わせてくれる素敵な映画、素敵なサイクルだ。テレビを点ける。音量を調節する。カーテンを閉じ、換気扇を止め、部屋の電気を消灯する。プレイヤーの電源を入れ、桑原さんはDVDを挿入した。今日も楽しい時間が始まる。映画を好きになれて良かった。

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