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喋るのが怖い

いま、喋ることが怖くなるときがあります。

26歳。小さい頃から言葉がよく詰まっていました。

吃音という言葉を知ったのは比較的歳を重ねてからで、確か高校生くらいだったように思います。

伝えたいことがあっても言葉が出ない。
同じ意味で違う言葉を使ったり、倒置法にしたりして何とかごまかしながらやってきました。

母親からは「吃音」という言葉は一度も聞いたことがなく、「頭の回転が早いから口が付いてきてないだけ」と言われていました。

僕はその言葉を本当に信じていました。
そのおかげか、周りからも頭の回転が早いことを褒められるときがあります。

大阪生まれ大阪育ちなので、ボケツッコミ文化が当たり前でそのなかでツッコミがうまく決まるときに言ってくれることがありました。

ただいまこの言葉を言えたら良いツッコミが出来るのに、上手く言葉が出ない。なんてこともよくありました。

国語の教科書読みなんてのは本当に最悪でした。
他の吃音の方はわからないですが、僕の場合はそこにあがり症も恐らくあるので、年々人前で話すことの恐怖感が増している気がします。

会社に入り、朝礼で日にちを簡単な進行をするだけの時間もストレスで、時間からすれば3分もありません。

それでも自分だけが話すというストレスを僕はとても感じてしまいます。

うまく言えなかったらどうしよう、詰まったらどうしよう。

これらが頭を支配して、本当に口が固まってしまいます。

そしてその固まってしまい言葉が出ない数秒のあの間。
他の人が一瞬、ん?とするときの顔がどうしても目に入ってしまいそれもまたストレスになってしまいます。

大人になっても吃音が治らない人はおよそ100人に1人だそうで、吃音に対しての認識がないのはいわば当然です。

それでも人前で話す、そして電話で話すということが社会人になって本当に苦手意識でいっぱいになりました。

そして最近だと僕のことを吃音だと知り、もう何とも思ってない友人らとも話すときも少し緊張している自分がいました。

これは今までにあまりなく自分でも驚きました。

常に吃音のことが頭によぎり、詰まることへの恐怖感がありました。

もうこうなれば、失恋を忘れようとするのと同じで、考えれば考えるほど忘れられない現象に陥ります。

なぜ今更こうなったのか自分でもよくわかりません。

ただ苦しさだけが付き纏い、どこかで捌け口を常に求めて、その一つとしてここで今書き殴っています。

いつかの自分が「こんなときもあったな。苦しかったけど、今は大丈夫だよ」と思えるときが来ることを祈って、今ここに書き記しておきます。

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