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同じ時間軸で生きているはずなのに


久々に文章を書いてみようと思う。

今日は、第一志望というか、そこの説明会に行ってきた。
もちろん毎度のことだけど、説明会的なところは鬼門である。

学生に交じって話を聞いたり、学生のいきがった姿や甘さを見ると
「なんでこんな楽に生きれるの?」って感じてしまうからである。

そんなことはないはず。それは偏見だ。

でも、バイブルになるような社会学の教科書や階層研究はあながち間違えではない。この職業は、これくらいの社会階層にいて、学校には普通に通えていて、そこそこ以上の家庭環境の子どもたち(この時点でばれそうだけど汗)が選ぶわけだから、僕自身が傷つくのは致し方がない。

でも、覚悟して受けているから我慢ができる。さすがに、どこぞの学生が「この試験はバカな一発逆転の試験方式だよな」とほざいたときは殴りそうになったけど。

ただそれが一番苦しいわけじゃない。学生はいきがるものだから。
何も知らない恵まれた赤ん坊は特にね。

僕が一番苦しいのは、
同い年の人間が登壇したり仕切っている姿をみることだ。

僕は27歳。もちろん13歳のまま止まっているけど。
普通に考えたら社会経験(大卒基準で5年目)なければおかしい。

5年目っていたら役職がついたり、大きなプロジェクトを持てる年齢だ。

そう、なにも知らないのに。僕が見てきたような地獄も、孤独も、死も、混沌も何も知らないのに、なぜ僕が行きたい地位にいるのか。悔しくなる。

同い年が、同級生が活躍する、前進しているというのは


「僕の生きてきた道や今までの苦しみがすべてバカにされている」

ように感じてしまう。

回り道や遠回り、挫折も絶望も、何も評価されないのが日本という世界。
だから、経験していない人が勝つ、経験すれば「終わり」になる。

僕の経験してきたことは、ドブに捨てられ、生きていく糧にもならなくて、馬鹿のすることで、社会でも世界でも無意味なもののように扱われている。
でも、負けたくないから戦ってきた。

散々、金にならない、誰も救えない、無意味だ、やめろ、消えろ
ずっと孤独だ、かわいそう、哀れ、気持ち悪い、ネガティブ・・・

そうやって言われても自分の信じたもの曲げずに来た。大切だと思っていたし、自分自身を否定しても”歴史”までは否定したくないから。

ただ年齢が上がるたび、本当にこのままどうしようと不安になる。
だから新しい道を見つけては挑戦している。

でも、こんなことを知らないあの子たちはなぜ評価される。

なぜ?なぜ?なぜ?

「同じ時間軸で生きているはずなのに・・・。」

知らないから評価されるというよりも

悲しみを知らない分、心に余裕がある。
苦しみを知らない分、綺麗な力がある。

だから評価されるのだ。

けど僕は思う。

悲しみを知っている分、心は大きくなる。
苦しみを知っている分、変革の力がある。

そう信じている。いや、そう信じたい。

僕はこれからどうなるのだろう。
半年後にはこの世界にはいないかもしれない。

もしも、僕自身に何かあるんだとしたら。
この気持ちを抱えたまま恵まれた世界に行って
恵めれた世界の人々と戦って

みんなにちゃんと恵まれが届くようにしたい。

ーps-

あんまり10代の詩を載せるのは”よくない”のかな。なんて
これからも載せ続けるけど、よかったら反応してもらえると嬉しいな。
あの時の自分も喜ぶと思うから。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。