過ぎ去った日々の写真の中の自分
僕の心が弱かった。それは真実だろう。
自分を擁護する理由は、いくらでも並べられる。でも、それは正しい行為ではない。
孤独に負けて、寂しさに嘆き、悪意ある人に惑わされ、自分を自分で苦しめた。いくら明るい未来を描いたところで、同じことの繰り返しになってしまって余裕がなくなった。
そうだったとしても、もしも僕がもっと強くなれたのなら変わっていたのだろうか。もしも失ったものを上手く言葉にできて、代替る方法を見つけていたら終わらなかったのだろうか。
自分のことが嫌いで、写真という世界は好きになれなかった。でも、その時を切り取って、ずっと残しておけるというのは素晴らしいものなんだね。
僕の心を通さず、相手の目線から撮った、自分自身と相手を客観的に見てみて初めて気がつく。
僕はちゃんと笑っていて、相手も笑ってて、同じ表情をしていてくれたんだと。同じポーズを取って、同じ目線でいたんだと。
そうか、だから居心地がよかったのか。
そう思える相手だったんだ。
先輩と先生がそうだったように、同じところから見ていてくれたからだったのか。でも、僕は相手の目線には合わせられなかった。
合わせようにも合わせ方が分からなくて、1番苦しい時期になっていた僕は、相手を傷つけていたのだろう。
安定していない僕の責任で、夢を叶えられなかった僕の責任で、悪意ある人々に負けた責任ということなんだね。
傷が癒されない限りは、僕はこのままなのだろう。でもそれを変えるために学んで、客観視するための方法を知った。それでもまだ完全にコントロールもできないし、ひとりぼっちは解消されない。
事実に打ちのめされ、その度に立ち上がる。悲観と楽観を行ったり来たりしていく。その心の有り様が、より心を追い詰めるらしい。
それでも諦めずに向き合っていかなくてはならない。それでも僕は進んで生きていかなくてはならない。
誰も触れてくれない手を、僕はいつまで支え続ければいいのだろう。世界は、平等に愛する人を愛してくれる人を巡り合わせる。
僕は僕を愛してくれる人には巡り会えない。会えたとしても僕の心が傷つきすぎて耐えられない。
そんな自分を愛してもらうには、自分を受けいれて夢を捨てなければならない。
生きていく道は、とても険しく長い。
多くの人は経験しないこの道を僕は生きなくてはならない。一人ぼっちで生き続けていく。
変わらなきゃ、変わらなきゃ…
あるべき世界を変えるために。
理不尽で、不条理な世界を愛して
ひとりぼっちの自分を追い詰めて変わって
そうやって生きた先に幸せがあるのだろうか
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。