ピアノを拭く人 第1章 (6)
「無理ですよ。歌っていたのは10年以上前です。大学を卒業してからは、カラオケに行ったときと、一万人の第九に参加したときしか歌ってません。トオルさんの素敵な歌を聴いた後では、とても……」
彩子は、トオルの突然の提案にしり込みし、歌えない理由を並べてみる。他方で、彼の伴奏で歌ってみたい思いがむくむくと頭をもたげていることも否定できない。
「第九を歌ったなら、歌えますよ。上手く歌おうとしなくていいんです。僕は、今のあなただから歌えるオン・マイ・オウンが聴きたい、今のあなただから