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『なんとかしなくちゃ。青雲編』恩田陸

奇しくも、本作品を読んだのは転職活動真っ只中。
一家の大黒柱である私は、今後の仕事をまさに「なんとかしなくちゃ」と思いながらしかし、押し寄せる面接とSPIの日々、
御社御社!弊社当方!志望動機は経験と挑戦と貢献!の面接の嵐、それに二語の成り立ちやら旅人算やらもう何年振りのSPIの勉強に疲れ果て、大好きな作家の真っ青な表紙を開いたのだった。

というのも、ここらで読んでおくかと読んでいた『ユダヤ人大富豪の教え』、
そこでゲラー氏から言われた言葉に従ってみようと思ったのだ。

周りの望むことを上手にこなす人生を生きてきたなら、自分が何者かわからなくなるのも当然だ。好きなことをやって生きるなんて見当もつかないだろう。言ってみれば、自分と他人との境界線がないんだな。それは、一種の病気だ。だから、リハビリが必要だと言ったんだよ。なにも、あまり深刻に考えなくてもいい。処方箋は、自分の好きなことを日常的に少しずつやることだ。小さい頃から自分が好きだったことを思い出して、それをやってみることだ

ユダヤ人大富豪の教え

さて、関西と東京由来のいわゆる太い実家に生まれた梯家4兄妹の末娘結子、彼女の幼少期から新卒で就職するまでがこの青雲編。
(とは言うが続編は現時点ではまだない。)

転職活動をしていると、とうの昔に忘れてしまった「大学を選んだ理由」「新卒の会社に決めた理由」なんかを執拗にしかも思いがけぬタイミングで掘り返されるものであるが、
梯結子の物語を追っていると、自分もたしかに家族親族や兄弟姉妹との関係の中で、幼少のみぎりからの「キモチワルイ」こと、「なんとかしなくちゃ」なこと、なんとなくずっと好きだったこと、みたいなものが確かにあったなあと浮かんでは消えてゆく。

それは全然大きいことである必要はなくて、例えば常連にしている公園がなぜかある時期混んでいるのはなぜなのか、だとか
エルマーの冒険に感化された少女時代だとか、
なんだか親族から聞く話の中で気になる先祖がいるだとか、
本当にそんなことでいいのだ。

結子の実家は確かに太いが、結子のなんとかする才能のはそのせいだけじゃない。
むしろ現実のリアルな生活にこそ目を向けるのが彼女。

大人になると、仕事での華々しい実績、成果の部分ばかりに自分でも目を向けて、そこから将来を考えたりするものだけれど
それは元を辿ればもっと小さかった頃の自分の「キモチワルイ」「スッキリする」「なんとかしなくちゃ」だったりするし、それで良いのだ。


そしてもう二つ。
今回語り手はどうやら作者本人である。
これは『月曜日は水玉の犬』等のエッセイシリーズを除き初めてのことではないだろうか。

エッセイの曜日シリーズ


全知視点ではあるものの、そこに明確な作者のコメントのようなものがそこここに入り込んで来ることに最初は驚いたが、
物語自体の軽妙さと相まってなかなか面白かった。



曜変天目

最後に茶道について。梯家の子供達は茶道を習い、義務教育の最後に茶会を主催する慣わしであるが最近作者の作品に茶道がよく出てくるなと思っていた。『愚かな薔薇』では同じようにキーアイテムとして茶室が使われ、『スキマワラシ』でも古道具のアイテムの一つとして登場していたように思う。

最近ハマっているモチーフなのか?と考えてみたが、「曜変天目の夜」があったじゃないかと思い出し、調べてみると『象と耳鳴り』に収録されており、1999年の刊行であった。

曜変天目茶碗が茶の湯のための茶碗なのかはよくわからなかったが、この頃にはすでに作者の興味の領域であったのであろうことは伺えるように思う。

音楽やら茶道やら建築やら、多趣味な人だなあ。
恩田陸と茶道、ぜひいつか紐解いてみたい。誰か論文にしてくれないだろうか。

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