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インド旅立ち前夜に、亡き父が夢に出てきた!

インド出発の夜、17歳の時に亡くなった父が夢に出てきた。



父とは、14年間会っていない。
今の自分を父が見たらなんと思うのだろうか?

父はカメラが好きで、よく運動会や自分の野球の試合にはビデオカメラを回して撮影してくれた。
病気になってからも、ビデオカメラを持って来て自分や兄弟を撮影してくれていた。

祖母が電気屋さんを営んでいたので、父は電気屋を継ぐことに。
本当はカメラマンになりたかったって言っていた。
そんなカメラ好きの父からの影響か、今、息子の自分はカメラを持って、インドへ行こうといしている。

父は一体どんな仕事をしたかったのだろうか?

父は祖父が営む電気屋を継ぐことを望んでいたのか、
そうではないのかは自分には分からない。
しかし、祖父は電気屋をやるのに借金をしていたそう。
その借金を父が返済をしたそう。

自由に自分の仕事を選べたか? 
住む場所を自由に選べたか?
自由に自分の道を選べるような時代ではなかったはず。

今、父が自分にアドバイスをしてくれるなら、
なんて伝えてくれるだろうか?


自由に選択ができる今の自分の状況を羨ましく思うかもしれない。
だったら、俺はカメラマンになったなって言うと思う。

今、自分は自由に自分の道を選べる。
そんな状況で、何かを言い訳にして自分の心がYESと言っていない道を選ぶことは父に失礼だし、父の本望ではないはず。

地元の兵庫県篠山に残って何かをやるって言うのが、
やりたいならやればいい。

しかし、それが何か義務感のように感じるなら、
それは違うような気がする。

父は息子である自分に何を望むのだろうか?


 これからの自分の生き方に大きな影響を与える旅でありたいと願う。
そして、何かこれから自分が生きていく上での指針になるような旅になるような気もしている。

いつも人生の大事な決断の時にはいつも父親の顔が浮かんでくる。
そして、頭の中で父と会話をする。
あと、長くても70年後には父のいる天国へ行っているだろう。

今、生かされていることに感謝して、自分の道を歩んでいきたい。

父が亡くなって、父の母である祖母と妻である母がいる。
その人達の近くにいることが親孝行であり、
おばあちゃん孝行であると思っていた。

しかし、祖母はボソッと出発の前にこんな事を言っていた。
私のことはなんとかなる。
あなたが幸せに生きることが、私の一番の幸せだ』と。


父も息子である自分が幸せに生きていくことを
望んでいてくれていると思う。

だったら、そんな自分にとって幸せな生き方ってなんだろう? 
少しでもそれがおぼろげでもわかるような旅にしたいなあと思った。

地元篠山で生きていくことが正義である。

そんな想いがあった常にあった。

しかし、心ではいつも篠山ではない場所へ住んでみたい、
もっと色々な場所へ行きたい、
もっと色々な体験をしたいと言う想いがあった。

しかし、ズーーと篠山に帰って来てから、
そんな思いは何処か触れてはいけないことのようにして
封印してきたように感じる。

篠山で何か生涯に渡って生きていけるような仕事をしようと思っても、
心がワクワクしてこなかった。

やっぱり、自分はここではない、何処かに行きたいと思っている。
しかし、義務感によって自分自身を縛りつけていたのかな

代々受け継いだ土地を無駄にしてはいけない。
親元の近くにいてあげたい。
知らず知らずのうちに、そんな思いが自分を縛りつけ、
身動きが取れないようにしていたのかな?

自分自身を自由に解放させてあげよう。


やりたいことをやり、住みたい場所に住み、
自分の道を進む
、それを許してあげよう。

今の自分の姿を見ても、父は喜ばないと思う。

誰に反対されようと、親に迷惑をかけようと、
突っ走していたあの頃を父は
天国から微笑みながら見てくれていたはず。

何か義務感に押し潰されそうな自分を見て、
父は助け舟出してくれたのかな?  今回の旅は。

お前はお前の人生を行ったらいいんだよ。
たくさんしんどい思いをする方へ。
それがたくさんの楽しさが待っているから。


死にそうな時は俺が守ってやるから、お前の人生を行け。
俺にお前の人生のドラマを見せてくれ。と言っているように。

苦しさのない事に楽しさは待っていない。
だから何か迷ったら、楽しい人生にするために、
大変だと思う方へ行きなさい。

何かを得ることは何かを捨てること

”何処かへ行くということは何処かを去る”
”新しい出会いは、人との別れ”

旅立ちの前にしてこんな風に感じた。
旅をするということは、生活してきた場所を去る。
今まで一緒にいた人との別れ がある。

今まで生活してきた場所を離れることなく、旅することはできない。
今まで付き合って来ている人達を別れることなく、旅することはできない。

自分が旅をやめる時は、
離れたくない人と離れたくない場所ができた時かな?

旅というものは、自分を一旦、ゼロにしてくれる。半ば強制的に。

航空券のフライトの時間が来ると、自分が住んでいた場所・人間関係・仕事・他者の自分に対する評価を一旦ゼロにしてくれる。

旅とは生まれ変わるきっかけをくれるのは、
一旦、ゼロにして物事を考えることができるからかもしれない。


ニュージーランドのワーホリ?

大いに結構。行ったらいいんだよ。
旅をする?
大いに結構。
行ったらいいんだよ。

何も義務感に囚われる事なくていいだよ。
地元の篠山に住む必要なんてないんだよ。
自分の心が躍る場所に根を張ったらいいんだよ。
好きなことをやったらいいんだよ。


たくさんの面白いドラマを見せてくれ。
たくさんの経験をして、たくさんの場所を訪れて、
素敵な人に出会ったら、好きな場所に生活しなさい。
シンプルなんだよ。

こうあるべきとか、こうだったら特かも? 
そんな道を選んでも楽しくないよ。


なぜなら、
その道を選んでしまうと、苦しい方を選べないから。
ワクワクする道を選ぶと、
ワクワクしているから苦しい方へ
向かうモチベショーンが湧いてくるんだよ。


未来というものがない。
なんの役にも立たない。
お金は生活するのに困らないほどの収入がある
じゃあそんな状態で自分はどんな選択肢をするだろうか?

そんなことから自分自身に問いかけてみてはどうだろうか?

篠山っていう狭い世界、
日本っていう狭い世界から飛び立ちたい。
もっと自由にもっと固定観念なく、
生きていきたい。
やっぱり英語を喋るようになりたいし、
英語を喋っている自分は好き。

ニュージーランドに住みながら、海外へ行ったらどうかな?

自分の心がワクワクする方へ!

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