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本当の「敵」

2022年10月17日からダイエットを始めてもうすぐ半年になります。
これまで順調にやせてきていたのですが、色々ストレスを感じて数日停滞してしまいました。(今は復活しています)
考えていく中である事に気付いたのでノートに書くことにしました。


1 祖父の死

先週の日曜日。
九州に住む祖父が急死してしまいました。91歳。
先週から祖父の入居先施設より「高熱が続いていて肺炎を起こしている」と話があっていたのを聞いていたのでそれなりに覚悟はしていました。
しかし亡くなる1日前に熱は下がり、元気にご飯を食べるようになったと母が言っていたので安心していました。
ところがその日に亡くなってしまったのでした。
原因は吐き戻しによる窒息だったとのこと。
こんなにあっさり逝ってしまうなんて・・・ショックでした。

私は新潟に住んでいるのですぐに駆け付ける事は難しかったのと、母が
「内内で済ませたいから。来なくていいよ。」
と言ってくれたのでお香典とお花だけ送って、家で読経することにしました。

赤ちゃんの頃からお世話になっていたごく身近だった祖父にお別れができないほど遠方に住んでいる事、祖父が施設に入ってからコロナが始まって会えなくなったこと、めったに帰省しなかったことなど思い返すたびに後悔や自責の念にさいなまれて数日涙が出て苦しかった。

でも、日々の刻々は待ってくれません。
泣いていても苦しんでいても一日は過ぎていく。普通にご飯を子ども達に食べさせて掃除をし、毎日をこなしていかなければならない。
私は普通に暮らそうと決めました。
自分が祖父の遺伝子を受け継いだのだからこそ誰にも迷惑をかけず、きどらずおごりたかぶらず日々凡々と過ごし感謝をして生きていく。祖父に対する最大の孝行ではないかと思いました。

2 妹による価値観と比較劣位の押しつけ

先日のブログでも書いたように、私が常に何をしても気に食わない妹は私に自分の価値観を押し付けて同調させようと画策します。

祖父が亡くなってから、遺体が火葬される直前に弟が祖父の最後の姿を写真で撮って妹に送ったそうです。私はその日、誰とも接したくなくふさぎこんでいたので携帯をミュートにして触りませんでした。
するとそれに構ってもらえず激昂した妹が仕事中の夫の携帯に祖父の遺体の写真を送り付けていました。

この遺体の写真を撮って送ってくれた弟の気持ちを察しろ、お前は長女だろ?そんなこともわからないのか。

と言われました。

私には理解ができませんでした。というかわかりたくもなかった。
それだけ自分の気持ちに余裕がない状態だった。
私が辛い以上に祖父を最後まで見送った九州の家族はみんな辛いと思います。だけど辛い度合い云々自体程度があるのですか?
でもやはり私も辛い。そこで家族の誰かの気持ちを察する余裕がどこにあるのか?と言いました。

更に妹に
「香典や九州に行くか行かないかなど、色々話したかったのになぜ拒否した。お前がそういうことするから恨みが募るんだよ!お前はダイエットして痩せたというけど、本当は癌なんだろ?
早く死ぬんだろ?(笑)
いつも裏でマウントばかり取りやがって、犬畜生と一緒じゃねーか。」


と言われました。

46歳にもなって別々の所帯を持ってすでに17年も経っています。私にも考える時間は必要です。更に私の家庭的な事情を妹に話して
「お前も兄弟だろ?同調しろよ。」
という筋合いなど全くありません。
人は人、よそはよそ状態なのに。逆もしかりです。

妹は祖父が亡くなった時の弟の気持ちを思慮する事を強制する以前に私の情報を引き出して自分と比較し
「自分は私と違ってこういう素晴らしいことをしてやった。」
と親や周囲に誇示したいだけだと感じました。
というか。
私が妹より劣っている生活をしていても。愚かであっても。事実ならそれでいいと思っている私にとっては寝耳に水の状態がここ10数年続いています。
私から自分の事を話しても、話さなくても親にも私にも根ほり葉ほり私の近況を探られて聞き出され、言いたくないことを黙り背を向けると「罪を償え」とか「死ね」と言われます。


そして10年前、私が地元九州からわざわざ上京してきた元同僚たち3人と数年ぶりに再会し東京で遊んだ後、帰りの東京駅で新幹線に乗る前にヒールが折れてしまったことをツイートしていたことに関して、隠れて私のツイートを監視していてそのツイートを発見した時から
「不倫していたんだろ?私をだましたな。裏切ったな。東京にきやがって。不倫していない証明をしてみろよ。」
と言われて続けています。

もちろん、今も彼女たちと交流があるので彼女たちに直接お願いしてその日何をしていたか説明をしてもらえます。チケットも取っています。彼女たちにも全部事情を話していつ話してもらってもいいようにしています。
でも私が東京で元同僚女性たちと遊んだことをなぜ妹に証明しなければならないのか全く分かりません。東京に行ったと言えば、何をどうしたのか根ほり葉ほり聞かれるのも正直苦痛だったのと言う必要がないと判断したので当時言いませんでした。
同僚だった友人と九州と北陸で離れてしまい震災後多忙の中ようやく皆で予定を合わせて会ったのでした。その楽しい思い出を壊されるような気がしたので。

未だ
「裏切った」
というのが意味がわからないのです。
いったい何を?妹に一切迷惑はかけていないのに。
東京に行ったことを黙っていた事が「裏切った」ことなのか?
だとしたらそれは10年以上も引きずる事なのでしょうか。

しかしこうしてずっとこの重たい足枷のような妹という悪縁を死ぬまで引きずっていかなければならないのであれば。
もう「辛い」とただ逃げるだけでなくこれからは徹底的に解明していこう、と思うようになりました。
祖父がせっかくくれた機会だから。

そこで妹に聞いてみました。
「あなたは母から私がどう生きてるかなど話を聞きだしたり、私に接触してきたりして情報を引き出し、比較しては私を馬鹿にするのはなぜですか?」

「私がこれまでした過ちが死に値するような罪であれば私は裁かれて死ねばいいと思うんだけど、何の過ちなのかが全くわからないのでどうしようもない。あなたの事も考えて距離を置いていたのにわざわざ接触してきて『死ね』『お前の罪を償え』と言ってくる。それはなぜですか?」

すると妹は
「お前自身に聞いてみろよ。」

と言いました。

この時点で矛盾が発生しています。わからないから聞いているのに。
最初は何気ない話をしていてもいつも話のつじつまがどんどん合わなくなってくる。そして
「お前は田舎の新潟に住んでる哀れな貧乏人」
とか
「お前の旦那クソみたいなおっさんの面と同じだな」
とか
「仏教の勉強?馬鹿じゃない。ただのキチガイ宗教かぶれ」
とか散々言われます。
今回は更に先日のブログにあった「妹を裏切って金を巻き上げた女とお前は同じ人間性だから気が合うかもね」と言われました。
ここ10数年で毎回このパターンです。
私自身の心はグチャグチャに潰されるまで罵倒されて、それでも話を聞いたほうがいいと思って聞き出そうとすると逃げて妹の夫が出てきて「精神疾患だから勘弁してやってくれ」と電話で言われそれをスピーカーで聞きながら(ざまみろバカ女)とせせら笑いをしている声が聞こえてそこで終わり。

私もいい加減学ばないと、と思います。
現在の時間で根本的に解決ができないことが妹を苦しめているのだとしたら私はそれを確実に知って何か行動を起こさなければならないと思っています。
だから今回は何度も質問しました。わからないとどうしようもないからです。

すると次に
「追い詰めないで。」

と言ってきました。また本音を言わずに逃げていきます。今までと同様また彼女の夫も出てきて、
「うちのは病気が治ってなくてまだ通院しているので。普通にそっとしておいてくれたらいいじゃないですか。」
と言われ電話が切られてしまいました。
また後ろでせせら笑う妹の声を聞きながら。

・・・ずっと地獄にいるようです。それは妹が望んでいることだから仕方ないことなのかも知れませんが。

私は妹が辛い思いをしないようこちらからは一切関わらないようにしています。
元々興味も関心も持つ必要がないと思っています。妹の人生だから。
好きなように楽しく生きていけばいいと思います。

でもわざわざ私に関わってきて私を罵倒することでその時しのぎの幸せを大きく感じるなら仕方ないと思っていました。
それも妹の人生だから。

今回も結局またうやむやにされ、今後もこの意味の分からない暴言に悩まされることが決まったのかなと思いました。
血の繋がった兄弟だからといってこの縁を保ち続ける事は無意味だと感じました。
そして同時に苦しくないのかな?と思いました。


3 ペットボトルの中の「カビたウーロン茶」


しかしこのままではやはりいけないと思いました。
そこでまずは自分の心の中にしっかり問いかけて考えてみる事にしました。
さっき「縁を切りたい」と書いたことに矛盾するのですが。
・・・私は妹がどうしても嫌いになれません。
こんなに十数年苦痛を与えられても。
「死ね」とか「私に子どもがいないのはお前のせいだからお前が自分の子どもを殺せ」とか「親の葬式でお前を殺す」と罵声を浴びせられても。
やっぱり姉妹で自分が死ぬ日までには普通に話ができるようにしたいと思ってしまいます。

おそらく、ですが。妹がこうなっている原因の一つは過去の出来事だと思います。若い頃に仲が良かった時代、たくさんトラブルがありました。他人様にお見せできるような話ではないような醜い争いもたくさんしました。
おおよそはそのことなのだろうと思います。
私は自分で決断してその道を進んできましたので、いろんな問題があった後の数年はこういう事態になるという想定もしていましたが20年以上経つ現在、自分たちが各々所帯を持っているにも関わらずまだ遺恨が消えていない。

何なのだろうか・・。と考えた時浮かんできた事がありました。

これは。
何年も前に飲みかけて放置しカビが浮いた状態のペットボトルのウーロン茶だと。

お茶が飲みたい欲求のままコップに注がず口をつけて飲み、喉の渇きが満たされたからと飲み干さずに放置していたら唾液の雑菌がお茶に入り込み、繁殖してカビが生えてきます。
カビが生えて埃だらけになったペットボトルを時々見つけて眺めては、

「ああ、ここにあったなぁまだ」と見て

「飲んで満足した後捨てておけばよかった」と思い

「こんなカビの生えたペットボトルをどうやって処分しよう?」と悩み

「今捨てるのも厄介だしまたしばらくここに置いておけばいい。いつかは片付けるでしょう」という結論に至る。

数か月後にまた放置していたペットボトルを見つけては、同じ思考を繰り返す。そうして腐ったウーロン茶は更に腐って手が付けられなくなっていよいよ目新しいゴミに埋もれて見失って放置されていく。
もう過去に飲みさして腐ったゴミが部屋の中にある事実は何も変わらないのに。
いよいよペットボトル自体に穴が開いて、部屋に腐臭と床にしみ込んだ汚い水になってしまい慌てて「捨てなきゃ!」となっても。もう床に染み込んだ汚い水は拭いても取れなくなります。
もしペットボトルに穴が開かなくてもウーロン茶に浮いたカビは乾いても残り続けます。そうなるとゴミとして捨てる事すら躊躇ってしまう。中を洗って捨てるのすら勇気が必要な状態になります。

妹の心の中にはこのペットボトルがずっとあるのだ、と思いました。


4 本当の敵

罪を憎んで人を憎まず、とはよくいいますが。
妹は絶対に敵ではありません。

まさに妹の心の中にある「腐ったウーロン茶の入ったペットボトル」が私や妹の本当の敵だと思いました。
これが妹の心の中にあるうちは、妹は苦しみから逃れられない。
私にはストレスが積み重なっていく。
そしてこのストレスがまた私の大きな「敵」であることは間違いない。

ペットボトルだから本来ならば簡単に捨てれるはずだと思います。
中のウーロン茶が腐る前に飲み干して無くすか、捨ててしまうかしてしまえば。
だけどそれをずっと大事に持っておいた理由は
「自分の心の整理整頓ができていないから」
自分の行動を見つめて反省をしないからです。
そういう考え方が精神の病気や性格でできない人ももちろんいると思います。そういう時は人の手を借りてでも捨てるべきだと思います。
放置すればするほどペットボトルのウーロン茶は汚くなります。そして上から重なっていく新たなゴミに埋もれていき、また時々見つける羽目になる。気づいたときにはペットボトルに穴が開いて床に染み込んで取れなくなってしまったり腐ったカビをペットボトルからこそげ取り、洗って乾かして処分しないといけないという面倒が不快や不安を増やしていくからです。

過去の事は全て、誰しも。
どうしても変える事はできない。
それが正しかった、間違っていたにかかわらずです。
ならば今、どうするべきかを考える。

床に染み込んだ汚れた水になったウーロン茶はもう消えないかもしれないけど。穴の開いたペットボトルにまだ残っている汚水と化したウーロン茶も、新たに積みあがってきてまだペットボトルに穴が開いていないものは私が手伝ってその汚水を処分する事ができないかなと思っています。
最終的にペットボトルを分別して廃棄するのは妹本人ですが。それでも私ができる限りの事はやりたい。

そんな事不可能だ、できない。
と思ったら延々とこのゴミに悩まされ続ける。妹と私の人生にゴミは必要ない。
強い意志を持って立ち向かっていこうと思います。


妹も私も心から幸せに人生を送るため。




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