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地球がミラーボールとなって光めく世界へ

愛の御目覺めエッセイ
【We are the BIG LOVE TIDE☀️❤️🌕】


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私の封印された宝箱は過去の闇の経験です。
45年間に及んだ闇の体験こそが宝箱。
この闇の宝箱が【氣付き】です。

この宝箱を開ける鍵🔑が
《闇を光で包んでいく経験》
つまり
【學び】
なのです。

宝箱ですから
中身はやはり御宝です✨

愛という御宝です。

封印されてきた愛の御宝が
今、必要とする方に届きますようにと
祈りを込めて💖✨


祭統 白宇 ➖Shirow Saitow➖

✴️❇️🌞❇️✴️🌝✴️❇️❤️ ✴️❇️🌞❇️✴️🌝✴️❇️


かつてマザー・テレサは
『愛の反対は無関心』
と述べられました。

魂の愛とは人間の考えや思いでは到底及ばない
大きくて制限が無く自由なもの
だと私は認識しております。

ですから
かえってその事で
愛の反対について誰でも自由に持論を有する事も出來得るもの
でも在ると💫


私個人としては基本的に
【愛の反対は無い】
と認識しているのですが、
強いて反対をつけるとしたら
【愛の反対は恐怖】
かなと。



愛とは巡るものです。

その愛を巡りを滞らせるのが
恐怖
だと僕は思うのですね😌


私が仕事で
通勤時や退勤時に立哨に当たると
行き交う人々に挨拶のお声掛けをするのですが、
私が
『おはようございます』
と愛のエネルギーを送ります。
そのエネルギーを受け取った人が
『おはようございます』
と愛のエネルギーを返します。

この時、
挨拶という
愛のエネルギーは循環🔁しているのですね💫
しっかりと巡っているのです。

しかしながら
私が
『おはようございます』
と愛のエネルギーを送った時、
挨拶を返さない場合とは
愛のエネルギーは循環していないのです。

私としては
挨拶を返せないその時の状況や状態が在ると分かっているので、その事を咎めるつまりは無いのです。

ただもしも他の誰かが
愛のエネルギーを返されない事で

愛を自発的に送る事、愛をそのまま表す事に
恐怖してしまったら・・・

と思うのです。


私の具体的な経験を挙げます。

中學2年生の時から
私は女性と接しないようになりました。

話す事もしませんが、
挨拶をされても無視をしていました。

この当時の事を立哨中に思ったのですね。


私に挨拶という
愛のエネルギーを送ってくれた女性は
どう感じただろう。


パターン①
・『私の愛を素直に送る事が無視された』

→『今の在るがままの私では愛を受け取ってもらえない』

→『もっと勉強を頑張って認められる人間にならないと私はダメなんだ』

パターン②
・『私って挨拶すら無視される人間なんだ』

→『私は愛される存在では無いんだ』

→『私は家にも學校にも居場所が無い』

パターン③
・『私の愛の表現が拒否された』

→『他の人は受け入れてくれるのに』

→『挨拶もできないような人は人として失格』

パターン④
・『女性の私の愛が無視された』

→『私は女性として魅力が無い』

→『魅力的になるまで私から愛を発信するのは控えよう。私は傲慢だったのだ』

パターン⑤
・『異性への挨拶のアプローチが無視された』

→『女性からアプローチするのは、はしたない事なのかもしれない』

→『性的欲求は隠すものなのだ。私は自分が恥ずかしい』


愛に制限は在りませんから
私の憶測に過ぎないにしても
それこそ無限に彼女たちの心情を想像できるのです。


全てのパターンに共通して言える事は
私の無視により
彼女たちに
➖愛を自ら表現する事の恐怖➖
を植え付けている事なのです。

もっと非道いのは
私のした無視により
➖愛として在る事への否定➖
をしていたのです。

ですから
愛を表す事以前に

愛として在るがままで生きていられない状態

に追い込んでいるのですね。


私自身の幼少期に
大人に自発的に挨拶をして無視された体験から

自ら挨拶をする事に恐怖するようになった経験が在ります。

無視をした大人だけに留まらず、
当時、結構な数の大人に挨拶をしなくなったのです。

その事も併せて思い出したのですね。


愛を発する事を恐れさせる。

これは法律的な罪に当たらないにしても
魂の視点から見ると罪になると
今の私は感じるのです。

確かに愛を発する事に恐怖したのは当時の私自身ですので、私自身の問題なのです。

しかし
私個人だけで完結しないのは他者との関わりが在る為です。


で在るならば、
私が女性からの挨拶を無視した時、
明らかに私という他者が
彼女たち自身に関わっているのですね。


この世はワンネスですから
その視点から見ても
彼女たち自身の問題とは
私自身の問題に当たるのです。


とはいえ、
『たかが挨拶で大袈裟だな』
と思われた方もいらっしゃると思います。

つい先日までの氣付きの無い私もそうでしたから、そのように思われるのは分かるつもりです。


ただ氣付いた後の今の私から見ると
この世は愛のエネルギーの循環で出來ている
という認識が在る為、
“たかが挨拶“一つとっても
それは愛のエネルギーの循環を意識してしまうのですね。

そのような意識が在ると
挨拶を無視するという事は
挨拶という自ら発して下さった
愛のエネルギーを受けても
私が挨拶という愛のエネルギーを返さない事で
この世全体の愛の巡りを滞らせてしまっているのです。


目に見えるお金だって
愛のエネルギーの循環ですから、
必要以上に溜め込んだり出し渋りをする事で
この世全体の愛のエネルギーの循環を滞らせている事になるのです。

ですから
スピリチュアルな方の中に
『必要以上の貯金はしないで下さいね』
と仰る方が居られるのだと今の私は思っています。


挨拶という愛を発する事に恐怖させる
或いは
愛そのものとして存在する事に恐怖させる

この事を私はしていたのですが、
そもそもの当時の私が

愛そのものとして存在する事に恐怖していた
そして
愛を発する事に恐怖していた

という眞実が在るのです。


つまり

愛への恐怖が
負の連鎖を起こしていたのです。


負の連鎖は
アダルトチルドレン等でも言及されますが、
何も親子間だけで起きる事では無いのです。


『職場の先輩が私に挨拶しない人だけど、仕事ができる人だから、仕事ができない私への意味が在るのだろう』
と思い込んだならば、未來において仕事ができるようになった時、挨拶をしない事のみを(無意識的に)真似る

という事も在り得ます。


あらゆる関係性もまた
愛のエネルギーの循環で成り立っている以上、
あらゆる関係性において
愛のディセンション(次元降下)は起こり得るのです。

負の連鎖は個人間の関係性だけで終わらず、
恐怖が
渦の中心となって
周囲を巻き込んで大きくなっていく。

愛のディセンションが
バタフライ効果のように
この世全体に及んでいくのです。

私の挨拶の無視が
一羽の蝶の羽ばたきに過ぎなかったとしても
世界はワンネスですから
全ての存在にディセンションが波及するのです。


この事を罪と呼ばずして
他に何を罪と呼べば良いのか
今の私には分かりません。


天界の魂は
愛の聖長を求めている。
つまり
愛のアセンション(次元上昇)をのみ求めているのです。

その為になら
戦争でさえ赦す程の愛なのですが、
大前提に在るのは
➖愛を聖長させる為➖
なのです。


私がした事とは
私自身が愛への恐怖をした事で
この世全体の愛のディセンションを及ぼした
という事ですから、
これは魂視点での罪となる
という事なのです。


ですから私はこの事を有するのです。

【愛の反対は恐怖で在る】

と。


愛への恐怖から波及させた負の連鎖。
そして
この世全体のディセンション。

この事はたとえ魂の視点が無かった当時の私にあっても、無意識のレベルでの罪悪感を私に突きつけておりました。

結局
私自身への負の連鎖が一番大きなもので、
女性への愛の恐怖は
その後の人生全体へと波及して行きました。


私の話を聞いているだけでも

ゾッとしませんか❓😅


前回は
LOVEストーリーだったのに
今回は
ホラーチックな内容ですね。

もちろん
愛に関するお話しですから
LOVEストーリーに変わりは無いのですが、
それでもね😱


和他私たちは愛なのです。

愛に恐れるとは
自分に負けているのです。

優しさとは愛の表現です。

【優しく在りたければ強く在れ】
と言いますように
自分の恐怖心に負けぬ強さ、
愛に恐れぬ強さは大切です。


己に負けぬ事。
それは
己を信じ抜く強さ。
で在り、

その事が

優しさという
愛を受け入れ、愛を発する

愛としての自分軸を強く立たせるのです。




恐怖こそ
愛の反対です。

ですから
王になって
恐怖政治をしないように。
恐怖で支配しないように。

このように思い

愛で王となり
愛でこの世と共存する
一人一人が仁政を敷く事を
私は強く言及するのです。


恐怖こそ闇です。

この大きな闇を
和他私たちは
自身の光で包むのです。

光で包んで癒す。

恐怖する前に
恐怖する事になっただけの傷が在る。

ですから
その傷を光で手当てするのです。

それはそのまま
闇を光で癒す事(包む事)になります。


闇は光で包むもの。

闇と戦うのでは在りません。

ですから

恐怖を敵としない事。


それこそ恐怖ですから
恐怖心が癒えるまで
とことん光で抱きしめましょう。


そして
光で抱かれた恐怖は
やがて
大きな愛へと聖長を遂げるのです。


手前味噌ですが、
思い切り愛を恐怖してこの世をディセンションさせていた経験の在る私が言うのです。

そこに
一家言が在るのではないでしょうか🤗


大きな無数の罪を超えて
今の私が在るのです。


どうぞ氣を樂にして
愛を表現して参りましょう😘


微笑みを絶やさず歩く事すら
恐怖しがちだった先日までの闇の私は、
今日は顔を上げて
ニコニコと街を歩いています😊✨

はるか昔から
泣いて笑って怒って眠ってを繰り返し、
今日の和他私たちが
今、この地上で歩いているのです🚶✨


愛の聖長こそ
人類最大の進化です❤️✨


和他私たちが創造する地上の樂園が
アダムとイヴによる
恐怖政治の世界だったら
それは樂園では在りません。

そのような恐怖による支配が
いかに和他私たち自身を苦しめるものかは
もう十二分に氣付いてますよね。

歴史には
ヒトラーが強いた恐怖政治が在ります。

仮にヒトラーという支配者(王)を
闇とした時、
ヒトラーという闇を敵と見做さない事が大切なのです。

それは
ヒトラーという闇とは
和他私たちのパラレルセルフで在り、
和他私たちの一つの可能性をやり切ってくれた存在とも言えるからです。

ヒトラーという闇に支配された多くのパラレルセルフもまた、和他私たちのパラレルセルフとして、支配されるという一つの可能性をやり切ってくれた存在たちなのです。

大きな愛の視点から俯瞰した時、
この一連の闇の出來事を
《それでも人間に行わせ、それを見守った》
という事に
ただただ愛の聖長を願う愛の大きさを思うのです。

私個人の人生を振り返っても
好きでもない名前も知らない女性と
お金を支払ってSEXをさせた
という出來事を
《それでも私に行わせ、それを見守った》
というのは、
ただただ私の愛の聖長を願う思いからだと
今の私は思うのですね☺️

この出來事を
私は暫く受け入れられず
自分自身も天も人も呪いました。

しかし
この出來事で

・愛とはこの世の常識を超えるもの
・性愛という悦び
・欲求の意味と大切さ
・愛を表す事と受け入れる事の大切さ
・體を大切にする事
・愛には条件も上限も無い事
・陰陽統合の事
・日本國の過去と今現在と未來
・幸せとは何か

というような書ききれない程の氣付きと學びを得たのです。

つまりその事は
➖愛の聖長➖そのものなのですね☺️


一時的に闇に対して敵対する氣持ちが
私には痛い程分かるつまりです。

なんなら
天(魂の私自身)をも闇と見做して
叩き斬ろうと激怒していましたから、
これでも本当に闇を倒したい氣持ちが分かるのです。

しかしながら
今となって実感するのは
闇とはやはり
光で包むもの。

闇とは
愛の聖長の為にこの世に現れた
光の和他私たちの
➖ツインレイ➖
に他ならないのです💞✨


和他私たち光と
完全に真逆の性質を持つ闇とは
正に➖ツインレイ➖そのものです。

そして、
ツインレイの概念は
ほとんど日本のスピリチュアル界隈でしか
話題になっていないのです。

和他私たち日本人の為に
わざわざツインレイという概念が
この今の時に話題に上がっている事の意味を思います☺️✨




さぁ、今こそ
和他私たちアダムとイヴは
光によってこの世を照らす
愛の樂園を
この地上に創造するのです💞🌏✨


過去からの恐怖を超えて
未知への恐れを越えて
罪でさえ乗り越えて・・・

和他私たちは歩き出す時なのです。


もう夜は明けていて
道筋が鮮明に見えている☀️


恐怖による破壊から
愛による創造へ。


人と人を愛で結ぶ橋。
男性と女性を愛で結ぶ橋。
光と闇を愛で結ぶ橋。
破壊と再生を愛で繋ぐ橋。
過去と未來を愛で繋ぐ橋。
天と地を愛で繋ぐ橋。


もう一度、
破壊されてきた橋を。

二本目の新たなる橋を架けるのです。


伊勢原(天照大御神樣の子宮)方向への電車に乗って
大手町(王手待ち)経由で
押上(推し上げ)方面の電車に乗り換え
三越前(神を越える前)へ。

会社の在る隣の駅は
神保町(人間が神性を保つ事を待ち)。

現場の
ここ中央区(中央で愛の渦を回す)で
日本橋(二本目の橋を日本から)より
こちらの記事を書いています。

➖愛の聖長を祈りながら➖



新時代のアダムとイヴが
『愛とは何か❓』
とうんうん唸って考え込んでいたら、
これまでの愛と変わらないと私は思います☺️

今の内に
愛や光や闇について、
人生や命やこの世について、
そして
自分自身について
近い未來で思い残した事が無いよう
徹底的に考えながら向き合って下さいませ😊

完全に新時代へとシフトすると
その大前提を持ちながら、
より具体的な実践の世界へと変わります。

私へのメッセージが
今のところ、
『待ち』や『前』ですから
幕は開け切っていないのです。

今の内により多くの【氣付き】を✨

幕が上がり切ったら、
あとは
愛を遊ぶだけ🪩🕺✨

舞台上で演劇論を考え込んでいる場合では無くなるのです。

愛を遊ぶ実践が
新時代のアダムとイヴの在り方です。

これまでの時代に
十二分に闇の氣付きを経てきたアダムとイヴなのです。

なのでこれからは
氣付きで得た闇を
光へと転じていく
愛の遊びの時間が
いよいよ始まるのですね👏✨


開演前のドキドキ💓もまた
今しか味わえないものなのです☺️

モヤモヤより
ドキドキの方が心地良いでしょう❓🤗

そして
そのドキドキは
やがて
キュンキュンなトキメキへと変わるでしょう。

だって和他私たちは
LOVEストーリーを生きているのですから。

キュンキュンなトキメキで
アダムとイヴは愛の物語を紡いでいくのです。

古事記からの
伊邪那岐命と伊邪那美命から始まった
神々のLOVEストーリーは
和他私たち人間が創るLOVEストーリーへと
引き継がれていくのです。


新時代の担い手は
間違いなく
和他私たち人間なのです💃💖🕺


アダムとイヴは
愛を土台とした
王👑と王女👸として
この世を遊ぶのです🌏✨


➖この地球🌏✨はやがて
  ミラーボール🪩✨へと
    進化を遂げるでしょう➖


開幕前の舞台の頭上では
既にミラーボール🪩が
今か今かと
出番を心待ちにしているのです。

地球自体が
ミラーボールになる時代です。

完全にこの世は
光の時代として生まれ変わるのです。

闇を光で照らす時代は終わり、
光の種類や輝度や色で
その個性を発揮する
光オンリーの世界へと進化します。


舞台も役者も出揃っているのです。


あとは
和他私たちの氣持ち一つ。


準備が出來た方から
どうぞ舞台へ御上がり下さい。



➖主人公は和他私たちです➖




【追記】

実は私はあるヴィジョンを見ています。

一角を持ち
大きな翼を持った
白い體の馬。

ユニコーン❓
ペガサス❓


顔を覗くと完全に鹿でした。

それは白麒麟でした。

その白麒麟は
宇宙の中心でミラーボール🪩の下にいました。


この記事を書いていて
『ああ、地球がミラーボールに❣️』
とようやく腑に落ちました🙆‍♂️✨



Produced by
【地上の樂園クリエイター】
     ➖祭統 白宇➖
➖Shirow Saitow➖



これまでは記事が有料設定でも最後まで御読み戴けましたが、次回から一部有料になります。

全文無料の記事も織り交ぜて発信して参ります💫

エネルギーを巡らせたいので♻️💞✨

宜しくお願い申し上げます🤠✨

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