血だら真っ赤な自我
僕が僕たりえるには目を見開かなくてはならない。らしい。
目を閉じる僕は、僕ではない。らしい。両親曰く。
僕は目を閉じると別人になるのだろうか。正直、まったくそんな感覚はないけれど。でも、両親があまりにも自信たっぷりにいうものだから、心配になってしまうんです。僕の自我が取るに足らない瞼の上下に支配されているような気分になってしまって。
そもそも『自我』というものは、この上なく不安定なものだ。と思う。
これほど外部からの干渉に影響され、いとも簡単にゆらぐようなものが、人格形成の一端を担っている。そんな事が僕は不思議でたまらない。
「目を開けなさい」
またあの声が聞こえる。僕は閉じていたいのに。瞼に覆われた醜い血だら真っ赤な目。僕はこれが嫌いなんです。なぜ自身の恥部を進んで世間に披露しなくてはならないのでしょう。
目を閉じると僕が僕でなくなるからですか。
では逆に、全身の皮を剥ぎ、筋組織を丹念に取り除き、骨と内蔵だけになったとしても。僕の中にある眼球さえ無傷であれば、それは僕であると。そう言いたいのですか。
僕の自我は、そこに残っているのでしょうか。
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