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遺袋乙女。

 しゃりゅしゃりゅしゃりゅ……。
 洋梨を食べながら、湿った夜の路地裏を歩く。
 しゃりゅしゃりゅしゃりゅ……。
 ぬちゃ、ぬちゅ、ぬちぇ……。
 洋梨の咀嚼音と、スニーカーが泥濘んだ地面を踏む音が絶妙に重なり合って、鼓膜が心地よく震える。
 道の両側に並ぶのは、室外機と黒ずんだ壁を伝う凸凹の配管。個人経営の居酒屋、雑貨屋、占い屋等の小さなお店。そして、闇夜を照らす赤提灯と電飾看板。
 奥に進むに連れて、両側に並ぶ物達の外見が廃れていき、人がその場にい続けたいと思う空間ではなくなっていく。
 汚らしい路地裏を老婆のように背中の曲がった私が歩く光景は、傍から見たら気味の悪いものだろう。
 しゃりゅしゃ、しゃしゃしゃ……。
 洋梨を食べ終えた。
 途端に気分が高揚し、救いようのないぐらい不潔な湿気で淀んだ路地裏を、テーマパークのように感じ始めた。辺りを漂うどぶの臭いは、フランクフルトの焼ける匂いに。紫色の蛙の不快な鳴き声は、お化け屋敷に入った人々の絶叫に。身体が自然とスキップを始める。ポップコーンを片手に、楽しいが詰まった闇夜を、るんたるんたと進んでいく。
 道のど真ん中、こちらに足の裏を向けるようして、女が横たわっていた。黒色のパーカーを着た女の顔は、恐ろしい程に青白かった。
「発見ー」
 私は、右肩にかけていた黒色の袋を地面に下ろした。
 清掃の依頼があった遺体はこれだろう。黒パーカーの女の首元には、縄で締め付けられたような痕があった。
 地面に置いた袋を開ける。高揚した気分のまま、ステップを踏みながら遺体に近付く。鼻歌なんかも口遊んだりして。
 黒パーカーの女は微笑んでいた。微笑んだ状態のまま、死後硬直を迎えているようだった。
 こんな仕事をしているから、今までに何百体もの死体を見てきた。当然、死んだ人間の身体は見慣れた。ただ、死というものに対するイメージとは真逆の表情を浮かべる遺体を目にすると、様々な想像をしてしまう。
 彼女は死にたかったのだろうか? そうだ。依頼主は男だった。好きな人に殺してもらったとか? だから、こんな安らかな表情を? それとも自殺する勇気がなかったから、自分の殺害を殺し屋に依頼した? それかそれか、女は首を絞められることに性的興奮を覚えていて……。
 いつも仕事前に食べる特別な洋梨でハイになった頭は、楽しい妄想を生み出す為にフル回転している。
 黒パーカーの女の足元に近付く。彼女の両足には、美しい闇の色をしたスニーカーがあった。
「ラッキー」
 スニーカーを剥ぎ取って、地面に置く。今自分が履いているスニーカーを脱ぎ、奪ったスニーカーを履いた。
「ぴったー」
 体内で踊りまくるハイになれる洋梨に、美しい闇の色をした新しいスニーカー。うきうきでわくわくでにまにまだ。
 黒パーカーの女の両足首をそれぞれ左右の手で持ち、口を開けた袋まで前を向きながら引き摺って運ぶ。袋の上に遺体を乗せ、チャックで袋の口を閉じる。
「よいしょー」
 袋に入っている遺体の足側の方を右肩にかけた瞬間、ハイになれる洋梨の効果が切れた。途端に気分が沈んだ。
「あぁー……」
 あぁーあぁーあぁー全部どうでもいい。何してんだろ私。こんな薄汚い路地裏で、死体なんか回収して。私の人生、こんなことして終わるんだろうか。こんなつまらない人生なんだ。なら、死んだ方がましじゃん。こんなことして生きてくぐらないなら。生きてる価値なし。死んで楽になりたい。と言うか、死体重いし。あぁ、糞ー。洋梨屋の奴め、ケチりやがったなー。成分うっすい洋梨渡しやがって。あぁ、最悪。どうでもいい。もう持てない。
「……無理ー」
 担いでいる遺体を下ろした。どちゃっ、と袋が泥濘んだ地面の上に落ちる音が湿った路地裏に響く。
 もういいや。仕事放棄して、依頼主に殺されよう。そして、来世は湿気なんか微塵も感じない街で生まれて、青空の下、幸せに暮らすんだ。
「持とっか? 一緒に」
 背後から能天気な声が聞こえた。適当な喋り方なのに、妙な色気を感じる。憂鬱に押し潰されたまま、ゆっくりと振り向く。
 そこには、濃紺色のペストマスクを被った男が立っていた。右手に持った凸凹のバールをぶおんぶおん振り回しながら、首を傾けている。
「……何ー?」
 こちらも首を傾け返す。そんな小さな動作ですら、行うのに面倒臭さを感じる。
「いや、それ……。重そうだから、一緒に持とうかって」
 バールの先端をズボンのポケットに突っ込んだペストマスクの男は、私の返答を待たずに遺体の頭側に近付いた。
「俺、こっち持つから。君、そっちね」
 ペストマスクの男は、袋越しに遺体の両肩を持った。
「うわ、え、重っ……。重過ぎ」
 必死に持ち上げ、辛そうに叫ぶ。
「いや、やばいってこれ」
 そんな細い身体で遺体を持ち上げられるわけないじゃん。何で持てると思うの。どこからそんな自信が湧くの。
「いや、いやいやいや、あのさ」
 ペストマスクの男は突っ立ったまま動かない私を見て、遺体の入った袋を地面に下ろした。
「一緒に持ってよ。無理だよ、1人じゃ」
 手伝って欲しいとか言ってないし、今は他人と関わる気分じゃないし。
「ほら、早くー」
 勝手に手伝い出したペストマスクの男に苛立ちつつも、私の身体は勝手に動いていた。袋越しに、遺体の両足首を掴む。それを見た彼も、再び遺体の両肩の下に両手を入れる。
「せーの」
 ペストマスクの男の声を合図に、両腕に力を込めた。憂鬱なのは変わらないけれど、少し軽くなった分、遺体は持ち上がった。
「後ろに何かあったら、ちゃんと言ってよ?」
「……あいよー」
 後ろ向きに歩くペストマスクの男と向かい合いながら、狭くて汚い夜道を進んでいく。
「君、名前は?」
「……『遺袋乙女』ー」
「遺袋ちゃん、これどこ持っていくの」
「……廃墟区域ー」
 洋梨の効果は切れて、憂鬱で押し潰されそうだ。こんな汚れ切った路地裏を、テーマパークだなんて感じていたハイの自分を殴りたい。遺体を運ぶのは、アトラクションなんかじゃない。
「ってか、これ何入ってるの?」
「……遺体ー」
「うえおぉっ! まじかぁ……」
「知らなかったのー」
 けど、だけど……誰かとお化け屋敷に入るのって、こんな気分なんだろうか。
 ぬちょ、ぬちゃ、ぬちぉ……。
 ぬちゃ、ぬちゅ、ぬちぇ……。
 ペストマスクの男の足音と、闇の色に染まったスニーカーが泥濘んだ地面を踏む音が絶妙に重なり合って、鼓膜が心地よく震える。
「もっと早く歩いてー」
「怖いんだって! 後ろ向きだから!」
 救いようのないぐらい不潔な湿気で淀んだ路地裏を、ちょっとだけ、テーマパークのように感じた。ちょっとだけ。



【登場した湿気の街の住人】

・遺袋乙女
・ペストマスクの男

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