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動物の死を身近に感じることが

今の社会では死を身近に感じることは少ない。


昔は、鶏を飼って産んだ卵を食べたり


卵を産まなくなった鶏を軒先で絞めて食べたりして、動物の死が身近にあった。


若い人たちは鶏を絞めて食べたことなんてないと思うから


鶏の絞め方なんて知らないと思うし、みたこともないと思う。


人も今はコロナ禍を経て自宅で看取ることも増えたけど


コロナ前までは、病院で亡くなることがほとんどで


家で人が死ぬのを看取っていくことは少なかった。


ぼくのじいちゃん、ばあちゃんの時代は


死は身近にあった思うけど親の世代になると


社会が死をできるだけ感じないように遠ざけるようになった。


肉も魚もスーパーで、切り身になっているものを買ってきて食べて


牛や豚、鶏がどうやって絞められて、肉になっているのか知らない。


そんな中でペットと言われる共に暮らす動物の死は


ぼくら飼主にとって遠ざかっている死が直接、目の前で起こる。


それはショックだし、その衝撃は計り知れない。


そりゃーペットロスにもなるわなー。


生きていく中で、死は遠ざかっていて、死と向き合うことに慣れない。


人は入院すると治療は病院が全てやってくれて、見舞いに行く程度で


治療を家族がすることはないけど


共に暮らす動物の治療は、ぼくら飼主がやらなければならない。


動物の治療しながら動物が弱って旅立って逝く姿を目の当たりにする。


自分が一生懸命看病しながら動物が旅立って逝く。


人と動物では旅立ちまでのプロセスが違ってくるから動物の旅立ちの方がつらいのは当然。


ぼくら飼主は死と遠ざかっている社会から共に動物と暮らすことで、直接関わることになる。


しんどいし、つらいし、悲しいけど、動物から何を学び、次に活かすのか


死を体験するぼくら飼主は社会の中でも貴重な人になる。


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