『ラオス中国鉄道開通』のニュースを聞いて、かつて1人旅をした思い出が蘇ってきた
ラオスはかつてフランスの植民地であり、首都であるビエンチャンの街の建物にはその名残りがたくさんあった。
観光地として、人気の古都、ルアンパパーンにも2日滞在した記憶がある。
つい先日、「ビエンチャンからルアンパバーンまでラオス中国鉄道(Laos China Railway)が開通」され、同鉄道はラオス国内ではビエンチャンと中国国境のボーテンを結ぶ流通の架け橋となっている。
ビエンチャンからバンビエンまでの所要時間は1時間、ルアンパバーンまでが2時間、ボーテンまででもわずか3時間半。これまでのラオス国内の移動の大変さを知っている者にとっては隔世の感がでた。私が訪れた際は勿論なかった。
旅行中は、旧市街全体がかつてのルアンパパーン王国を伝える歴史的建造物に溢れ、その美しさに魅了された。
有名な托鉢をする僧尼の姿も旅情を感じさせた。
その一方で町には今どきのおしゃれなカフェも数多存在しており、中国やアメリカからの観光客も大勢くつろいでいた。
新旧の自然と文化と宗教のイリュージョン、どこか神秘的な空気に包まれている街だった。
ラオスはかつて内戦が起こり、ベトナム戦争に巻き込まれ爆撃で壊滅的な被害を受けた街も少なくない。
その影響は今も残り、地雷や不発弾による事故に悩まされている人々も多数いる。
民族問題も教育政策も難しく、識字率も中々上がらない。
それが都市部と農村部の差にも繋がっているのは明確だ。
そんな問題を抱えているためか、いまだ学校がないエリアや村も数多く存在する。
旅行前にラオスに詳しい友人に話を聞く機会があったが、『元々学校がなく、きちんとした教育を受けたことがない子供もたくさんいる』と聞いていた。
私は今回の旅の最中に、「せっかくラオスに来たのだからちょっとばかし冒険をしてみよう!」と決心し、町外れの田舎に足を伸ばしてみた。
そこには戦争の跡が色濃く残り、どうやらまだ地雷なども完全撤去されていないというではないか…。(話しで聞いていた通りだな…)
しかし、きてしまったものはしょうがない。
最善の注意を払い街中を散策、そして日本人ボランティアの人達の寄付(お金)で建てた小学校に通う、ラオスの子供達に会いに行くことができた。
子供達は皆無邪気な笑顔で迎えてくれた。
『学校ができてから、この地域の子どもたちが集まり、授業を受けられるようになりました。子供達は本当に学校が大好き。しっかりとした教育をうけ、将来大人になった時に仕事に困らないようにしたい。ラオスがこれからもっと良い国になるために必要なことだと考えています』とはその学校を率いる校長先生の言葉。
学校で学ぶ子ども達の笑顔を見たり、校長先生の話を聞いていると、私が日頃考えていたり悩んでいたりすることがとても些細なことに感じ、考え方を一掃されたような気持ちになった。
いく前は少し危険なイメージがあったラオスだが、実際に何日か過ごしてみると両局面の素顔を見ることができた。かつての戦争時代の名残が残る農村部の一面と、経済発展目まぐるしい都市部の一面とが。
しかし、総じてラオスの人たちは皆親切で、外国人旅行者も多い。
将来を見据えた「子ども教育」や「政治的施策」も施している様に感じた。
気候も穏やかで時間がゆっくりと流れているラオス。
短い滞在ではあったがこの国が大好きになった。
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