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読む時間、書く時間、生きていくための時間。

 積もり、積もっていく、本の山と、袋に入ったままの、本の塊を見ていると、もの悲しくなってくる。


 昨日は予定のなくなった休みで、それは本当に悲しくて残念なことなのだけれど、代わりに、ここ久しくなかった、一日中予定のない時間が生まれたはずだった。何をするのも、何を考えるのも、何を書くのも、自由にできるはずだったのだけれど。


 結果から言うと、私はどこにも存在しなかった。


 noteを書いて、少し本を読むと、うとうとして、ふと、アラームに気付いて、何の気なしに時間を見れば、朝の8時。出勤の用意をする時間だった。

 正確には覚えていないけれど、16時間以上は寝ていた気がする。

 読みかけの本はベッドから転がり落ち、寝ている間になっていたであろう着信が積み重なり、もちろん風呂にも入っていない、汗ばんだ体で、呆然と、時計を見ていた。

 微睡む楽しみがあってもいい。もう少しだけど二度寝の楽しみがあってもいい。だけど、気絶するように眠る、こんなものに、楽しみようがあるのだろうか。

 体と頭にとっては必要なものだったのかもしれない。このところ、毎日のように、仕事中は眠気が常に付きまとっていて、酷い時は、デスクワーク中に、舟を漕ぎそうになる危うさがあった。それに比べれば、確かに今日は、芯に残るような眠さはなかったけれど、望んだ眠りではなかったせいか、すっきりした気分でもなかった。

 圧倒的に、時間がない。

 作ればいいと、工夫すればいいと、聞こえてきそうなものだけれど、私程度の出来でどうにかできることならやっているし、そもそもの拘束される時間も長くて、調節できるようなものでもなかった。


 本が読みたい。本が読めない。


 読んでるそばから、眠気が来る。読んでるうちに、時間が来る。私の生を支えていた読書が、こんなにも、できないことに、悲しさを覚えたし、危機感を感じた。

 それでも読みたい本はあったし、欲しい本も出てくる。集めている続き物もあるし、仕事中に目についたものもある。本についてそれほど制限を設けない私は、一期一会の精神で買い漁る。

 そして家に帰って、思う。この、読めもしない本を、一体どうしようというのだろう、と。袋から出せないまま転がっている塊を、出したはいいけれど、本棚もいっぱいで、どうすることもできずに積んだままの山を、読みかけて、読めなくて、ベッドの横に転がり落ちてる本を。眺めているうちに、もの悲しくなり、誤魔化すように、天井を見る。


 たぶん、読めない理由の半分は、書いているからだと、思う。今まで読書に使っていた時間を書くことに使っているのだから、当然だ。私はそうまでして書きたいのか。生きるために必要なものを削って、そうまでして書いて、一体何を得ているのか。

 その答えがすぐに出ることはないだろうし、読むことを優先してもいいのかもしれない。けれど、多分書くことをやめることはないだろう、その時々の熱を、失いたくないと思うのなら、なおのこと。

 私の書くものは、相変わらず、暗くて、後ろ向きで、読んでいてどうにも陰鬱なものを感じさせたり、苛々とさせるのだろうけれど、それでも、これが私の自然だから、どうにも、変えることもできないし、共感してもらうことも難しい。寂しがりな私は、きっと耐えきれずに泣いてしまうだろうけれど、それでも、書く孤独も、読む孤独も、どちらも等しく、愛していければいいと、思っている。


 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫



いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。