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ラジオ書き起こし FM-Hi![特別番組・被災から防災を考える②]ゲスト:立命館大学 教授 村本邦子先生

こちらの投稿は2023年9月1日にFM-Hi! 9月の防災特番にて、立命館大学院教授であり臨床心理士の村本先生がご出演した際のラジオ内容の一部書き起こしになります。

約10年に渡り被災地に通い続けている村本先生のプロジェクトについても詳しくお話されています。
ラジオの内容がとても素晴らしかったので、一度きりで終わってしまうのがもったいない、もっと多くの皆さまと共有したい!と思い、ラジオの一部を書き起こしさせていただきました。
ぜひ、思い思いに読んでいただき、様々な気づきを皆様と共有できればと思います。


ラジオ FM-Hi!
[特別番組・被災から防災を考える②]
ゲスト:立命館大学 教授 村本邦子先生
 

村本先生の軌跡


女性ライフサイクル研究所
子育て支援 DV 性暴力などのケア
そのうちにコミュニティトラウマに目を向けるようになる
 
1995年以前 トラウマ心のケア 注目されてなかった
阪神淡路大震災以降 PTSDが知られるようになった
その後、トラウマや心のケアがブームのようになっていったことへの違和感
 
トラウマというものが個人の心にある傷で、
それを外側から誰かが修理するような、そんなイメージっていうものがないですか?
 
私の中に心というものがあって、それに傷がついて
専門家に持って行って修理してもらうような
個人を治療しなければないというようなイメージで浸透しているがそれは少し違うと思う
 
トラウマは個人の問題ではなく
社会がそのことをどう捉えてどう関わるかによるもの。

社会との関わりの中にあるもの
 
2000年の調査で分かったこと
何か傷つくことが起こった時
専門家に関われるというオプションはあった方がいいけれど
それ以前にその体験を身近な誰かに話せたか
その誰かが親身になって受け止めてくれたのか、
ということがその後に大きく影響を及ぼす
ただし、返って傷つくような反応を受けた場合
温かく受け止めてもらえなかった場合には一人で抱えていた方がまし
 
その当時はトラウマをみんなが知り始めたころ
 
だからこそ、専門家をたくさん作るよりも
みんなが、コミュニティのレベルで理解のある人がたくさんいれば、何かあったときに親身に聞いてもらえる、安心して繋がりを感じられる。
そういうコミュニティを作るのが一番だと思い、
 
2001年 "NPO法人安心とつながりのコミュニティづくりネットワーク"
 
を立ち上げた。細々だけど、一番大事だと思うのはそこ。
 
日常と非日常は緩やかに繋がっている
日常をよくすることで防災につながるし
取ってつけたように防災だけというのはあり得ない
日常よりも負荷がかかるのは弱い者

心理的な被災


東日本大震災
直後にアメリカ出張
長く日本を離れて海外にいる人たちの心理的被災を経験
大きな災害が起こった時ほど、当事者ではないと思う
「うちは食器棚が倒れて食器が全部割れたくらいだから大丈夫」
周囲がひどすぎると自分のことは軽く見積もってしまう
「被害比べ」
そうして歯を食いしばって頑張った人ほど、被害者に冷たくなってしまうことがある
大切に扱ってもらう経験を持たないと起こってしまう
 
大きなトラウマに対して
長期的な視点で細く長く援助をすることを考えるきっかけ
阪神淡路の反省ー災害を消費する周辺の人の心のうごき
心理的被災から短期的に熱量が注がれるが世間の移ろいにながされてゆく
先生は阪神淡路の時、半年通ったがその後に離れてしまった
 長い時間をかけて追いかけなければない
 
東日本の時は腰を据えて関わることを決めた
少なくとも10年、遠くから細く長く
専門家にできることはわずか
証人(あかしびと)になること
支援という言葉は使わない
 
クライアントの言葉
「先生だけは私がこんな目に遭って生きてきたことを覚えておいてください」
 
たった一人でもわかろうとしてくれている人がいることが励みになる。支援は何もできなくても、それだけはできる
 

「東日本家族応援プロジェクト」

家族=小さく親密な共同体(血のつながりではない)
阪神淡路の時災害時のカウンセラーのニーズがほぼなかった。
大学生の子供の遊びボランティアで入った方がうまく行った経験があった。
 
|小学生の男の子「僕、地震が起こった原因がわかったんだ」
|恐竜の絵 「しっぽをドンとしたから地震が起きたんだ。」


人はわけのわからない経験の意味を考え、自分なりの答えを見出すことでその体験を統合しようとする。
そこに意味を読み取る人がいれば幸いかもしれない。
訳のわからないことに対し自分なりの因果を生み出し答えを見出す
心理療法家からしたらものすごいこと。
その時必要なのは温かく受け入れること
 
日常的な出会いの場、装置
自分たちがやってて楽しいこと
どんなことでも良い。そういう形が一番良い。
作業している時の問わず語り。専門家がそういう場にいると役に立つことがある 
 
東日本の装置=「木陰の物語」を使った漫画展
初めから10年行くことを約束
季節が巡る、秩序感、日常感を取り戻す意味がある
展示は見たくない人は見なくても良い自由度がある
 
家族漫画展プロジェクト4都市
それぞれの地域で目の当たりにしたこと、違い
会場探しの時、むつでは元々作っていたゆるい遠い信頼関係が生きた。
岩手の沿岸部では、ナビには街が移るのに目の前には何もない。暗くなるのがとても早い。
福島では他の会場と異質ー津波には遭っていない。建物も無事、インフラも揃っている。捉えどころのない不気味さ。漫画展の感想ノートには哲学的なメッセージが多かった
 
家族漫画展の意味
小さな物語から自分の経験を思い起こす
「何もかも失った、けれど思い出がある」という感情を思い起こすきっかけ
 
周辺からの記憶
人生における危機を生き抜く力を学ばせていただく姿勢で被災地に関わる
その力をリスペクトする姿勢で話を聞き、フィールドワークをする。
 
学んだこと
専門家である前に人だし、その力を信じること。
専門家が何もかも知っていて何かしてあげるというのは本当に傲慢

地域で歴史を持った社会資源 例えば三陸鉄道等や旅館 日常で地域に根ざして関わりを持っていた人たちが復興の基地になった。
地域が元々持っている力、主体的で切実な力

伝承や民話に注目したきっかけ

土地には津波に何度も襲われながらも生き延びてきた歴史がある。
明暗を分けたこと。伝承を知っていた人とそうでなかった人。
三陸と津波は深い歴史がある。石碑や神社 
 
例えば山元町
常磐線越えては津波来ないとみんな信じていた。
ところが民話にはそれを伝えるものがいくつかあって民話の会の方が語っていた。
東北の民話にはどこどこの誰々さん(具体的)が登場する
民話にはちゃんと根っこがある
だが、常磐線越えてこないと信じたために犠牲になられた人がいた。
山元民話の会ー伝えきれていなかった反省から1年で3冊の体験談集を出版(2013年 小学館 巨大津波)
 
庄司アイさん
家と共に流された体験
流されながら、ああ私の人生これで終わりだ。でも語りをやってきてよかったな
民話をやっていたことで縦と横のつながりを思い起こすことでパニックにもならない。
「全てを失っても民話かある。」
 
鈴木善二さん
妻が目の前で流された体験
ふっと後ろを見たら妻が波の上で手を振っていた。
大勢の前で妻のことを話すのは気が重かった
でも、みんなが「お前の悲しみ半分こっちによこせ」というように真剣に聞いてくれて気が軽くなった。語りが活性化した。
 
語り部には型が身についているから恐怖体験を人に聞かせる形にして伝えることができる。
聴衆200人が一体となっている感覚
 
語りにはトラウマ=圧倒的無力感と孤立無援感 を和らげる
語ることができるから孤立しなくてすむ。ナラティブアプローチ
 民話の活動の力はすごい、と感動した。
 
現代の科学技術に頼った在り方よりも
しっかりとした先祖・過去とのつながり
それにすごく意味がある。
 
防災 = 過去や伝統に学ぶこと
たくさんの人々がたくさんの苦難を乗り越えてきたことを知ることで自分のオプションが広がる
 
オーストラリアの例
山火事災害 先住民の知恵に学んで山焼きをしている地域とそうでない地域がある。
 
プロジェクトを通して、土地の力=その土地の人々が先祖代々蓄えてきた知恵 に帰らないといけないということを学ばされた。

レジリエンスはどこで育んでいけるのか?

=先達に学ぶこと
何か災害の時に、支援に関わるということ
自分が当事者になる前に何か関わりを持っていくこと
小さくてもいいから、関心を持っていることが次のチカラになる。
 
日常でも大変なことが起きた時に人ごとにせずに自分でも何かしてみる。
なにかあったときに人に助けてもらう。
できることからちょっとお節介、ちょっと余計なことをする。
 そういう癖があると危機の時に心を閉じなくて済む。
 助け合いも練習
 
世代を超えて関わりを持つことは難しいか?
かえって全然知らない人だと繋がれたりする。それも一つの手。
 
関係のグラデーションを持っているといい。
近くの絆と遠くの緩やかな絆が助けになる。
近くはみんなが被災しているからこそ遠くの助けが必要。

村本先生と2.0との繋がり


静岡2.0では、昨年6月に村本邦子先生をお呼びして、”土地の力”を中心に静岡の皆さんへフォーラムという形でお話しいただきました。 (令和5年度フォーラム「私から私たちへ どんなときも折れない私たちの物語の紡ぎ方」)※投稿の写真はすべてこのイベント時のもの
その御縁で、今回書き起こしをしているFM-Hi! 9月の防災特番にも村本先生にご出演いただくこととなりました。
静岡2.0は日頃、レジリエンスを根っこに据えた活動、あるいは広めていく活動を行っていますが、先生のラジオのお言葉の中、 阪神淡路大震災に対してのご感想で「大きなトラウマに対しては、長期的な視点で細く長く援助をすること。また被災地以外の周辺の人の心の動きに着目し、心理的被災を受けて短期的に熱量が注がれるような状態への違和感」というような、長期的な視野でもって災害を捉える視点、あるいは心理的被災を意識する点。 また「語りにはトラウマ=圧倒的無力感と孤立無援感を和らげる力がある。語ることができるから孤立しない。(ナラティブアプローチ)」というところでは、人と人が言葉を交わす、対話することの意味を、トラウマやナラティブの視点でとらえていくこと。
近くの絆と遠くの緩やかな絆が助けになる。近くはみんなが被災しているからこそ遠くの助けが必要。だからこそ関係性のグラデーションを持つこと。

こうした災害との向き合い方は、2.0の目指すレジリエンスのイメージする形の一つだと思いますし、2.0が日頃、お互いのことを語り、聞きあえる関係性を重視する場を作ることと重なり、とても共感しています。


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