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必ずやってくる「空の時間」を作るという習慣〜気まぐれな力と安定した力を両立する習慣形成について〜

ここ1年は習慣についてよく考え、試行錯誤するようになった。なぜかというと、個人事業主になってから3年半経ち、最初こそ多くのことを自分で決めることができるということに喜びを感じていたけれど、同時に、何から何まで決めなくてはいけないという状態に疲れてきていたからだ。

世の中では、ここ1年で特にリズムを作ることを主張する人たちが増えてきたような印象がある。リズムは、自分たちの生活の背後にある、身体感覚。繰り返すことによってリズムは形成される。(音楽を想像すると分かりやすい。基本的なフレーズが繰り返されてAメロ、Bメロと続いたりする。)

こういう話の時、坂口恭平さんの著書はとっても役に立つ。彼が自身の躁鬱傾向について触れ、私たちの力の出し方には、気まぐれな力安定した力があると語っている。『自分の薬をつくる』という本で語っていたのだけど、とっても記憶に残った。

私自身、アイデアを生み出すことに頼った仕事をしてきた。たとえば、イベントの企画。企画には必ず、アイデアを生み出すことがついてくる。それを行うことができなければ、企画にならない。個人事業主になってから、そういう仕事を何本も受けた。アイデアを作ることは、どちらかというと気まぐれな力を出そうとすることで、精神はますます安定しなくなった。今よりもずっと安定感がなかったと思う。

今、安定感があると言えるかどうかは怪しいが、自分の精神を観察してみると昔よりかは安定している。今手掛けている取組みは「うつろい」をテーマに、つまり「変化すること」をテーマにしているから、ある意味、動的に生きるという宣言をしている。ただ、自分の中で感じる精神の不安定さは減ってきている。もちろん寝込むこともある。だけど、寝込んでも大丈夫な仕事の仕方や周りの人たちとの関わり方を着々と調えてきた。

自然も、社会も、人も、うつろう。もともと安定感のない世界の中で生きる技法を編み出していかないといけない。私たちに必要なのは、何の外的な影響も及ばない固定的な環境や関係を作ることではなく、動的に移り変わる環境からの健やかな影響の受け方を身に着けること、さらには動的な環境の中で、できるだけ精神的に安定しながらうつろい続ける術を見出していくことではないだろうか?

さて、変化の中でも安定してみるための実験について、私自身が実験していることを書いてみようと思う。私は、現在、月待講という上弦の月、下弦の月に実施する集いを開いている。それは、そこに集った人たちのための場だから、消費者マインドを刺激されてしまうイベントという言葉を使うことをやめた。月待講は、月の巡りに合わせて実施する。実施のタイミングは上弦の月、下弦の月のタイミングだ。昔、理科で習っただろうか?12月8日に開始して、これまで4回実施した。今年はあと22回実施する。

意思決定する、ということはエネルギーを喰う。特にイベントデザインの仕事をしてきた私は、イベントの日程を毎度毎度決めていくこと、打ち合わせの日程を決めることに疲れた時期がある。そういう中で、ある種、スケジュールを他の人に決められたいと思ったこともある。ただ、別の人にスケジュールをコントロールされている感覚が多くなると、違和感だ。そういうことをあーだこーだ考えた挙句、今回は月の巡りに応じて決めてみるということにした。満月と新月は、やたらと何かをする人が多い。では、移ろい続けるまさにその時を指しており、”途中”である上弦の月、下弦の月はどうか?と考えた時に、あまり人が多くなさそうだったので、そこにした。自分が決めているようで、月の満ち欠けのリズムが決めている。月と自分の間の確約だ。

そういうふうに月との間でスケジュールを決めてみると、結構、お誘いもしやすい。共に豊かになる習慣として「自身の変化について話すこと」を分かち合おうというコンセプトに共感してくれそうという人には気軽に誘っている。こういうことをお誘いすると、いつやるの?と言われることが多いが、月の巡りに合わせているので、次の会、次の次の会、さらには2ヶ月後、1年後の日程も伝えることができる。楽だ。ありがたい。

私はもともと、必ずその日にその場にいないといけないというふうに拘束されるのが嫌いだ。ただ、それはなぜだったのかというと、その日、気分ではないのに、その場所、時間に動員されるのが苦手だということが大きな理由としてあるのかもしれない。ただ、月待講の場合は、「うつろい」と「変化」をテーマにしているから、ある種、その日の気分でいい。そうなると逆にその時間を楽しく過ごそうというクリエイティビティも増していくし、そういう「空の時間」を用意しておくのは面白い、とそんなことを思っている。

話を戻すと、私のこのやり方は、安定した力を引き出すために、月の満ち欠けのリズムを借りながら「空の時間」を作るということをやっていて、その空の中に入るのは気まぐれな力だ。これまで4回月待講を実施し、それぞれに形容しがたく、毎回、集う人の組み合わせによって、色合いが異なる。それが自分の習慣にあるということは、何よりの喜びだし、その喜びを分かち合っていきたいと思う。

さて、そんな感じで、心がゆたかになっていく習慣作り、それの分かち合い方の探究を急速に進めている。今は、もっと重要な日々の習慣の再構築を実施しているところだ。日々のうつろい、月の満ち欠けと同期するうつろい、季節のうつろい、さらには大きな時代のうつろいとの同期。さまざまなリズムと共に流れながら、より良く変化していくことができたら嬉しい。皆さんも、必ずやってくる「空の習慣」を作ってみるのはどうだろうか?きっと、楽しいよ。


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