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『枕崎』  〜1999年 会社の2つ上の先輩の男〜 vol.1 (ゲイ小説)

Olivierと別れてロンドンから日本に帰国し、22歳になった僕は、毎朝スーツを着てラッシュの電車に乗りこむサラリーマンになった。

配属された課の2つ上の先輩に『枕崎』という男がいた。

枕崎先輩は穏やかな人柄ながら仕事はスピーディかつ的確で、普段は言葉が少なく、舌ったらずでゆっくり喋るけど、質問をすれば親身になって教えてくれた。

接していて、もっともストレスのない先輩だった。

見た目は「枕崎さんってああ見えてスポーツ万能なんだよ」と誰かが教えてくれたけど、たしかにガッチリ筋肉質で、髪は短く、笑うとよく垂れる目は黒目がちで、まつ毛も濃く、秋田犬とか芝犬を想起させる風貌だった。

課で僕の次に若いのが枕崎先輩で、他の人たちは年齢が離れていたから、僕たちの距離は必然的に縮まった。
一緒にランチへ行き、帰りの時間が合うとお酒を飲みに行ったりもした。

アルコールが入ると枕崎先輩は饒舌になった。
そして、結構な毒舌になった。
毒舌になった枕崎先輩と僕は、かなり気が合った。

「上原課長ってみんなに好かれているけど、俺は好きじゃないんだ」
「枕崎先輩の言ってることわかります!俺も、あの人って二重人格っぽくてなんか怪しいって思っていました」
「だよね!やっぱり、真文くんにもわかる!?」

僕は会社で自分のことを「俺」と呼んでいた。

ロンドンではフランス人の彼女と同棲としていました。
好きなタイプは華原朋美です。
結婚は、まだ全然考えていません。30歳を過ぎてからでいいかな?
今は、まだ、遊んでいたいし。


…なんて嘘をつきまくって、新宿二丁目の結界の一歩外に出たら、ノンケ(ストレート)のふりを貫いて暮らしていた。

だから枕崎先輩とも普通の男の先輩と後輩として付き合っていた。
ただ、僕は枕崎先輩にどんどん懐いていった。
あまりにも懐きすぎて、この人になら、カミングアウトしても大丈夫な気がした。
それに、なんとなく、もしかしたら、枕崎先輩もこっちなんじゃない…?と思い始めていた。
それくらい枕崎先輩は穏やかで、優しく、一般的な男性が持ちがちな品のなさや暴力性みたいなものが、一切なかった。

ある日のランチタイム。
焼き魚定食を食べながら、僕は枕崎先輩にカミングアウトした。

「実は俺、ゲイなんですよね。恋愛対象、男なんです」

僕は意を決して言った。
声が、少し震えていたかもしれない。
だけど、昼間の、お酒の入っていない枕崎先輩は春の陽だまりくらい穏やかで、ただひとこと「へー、そうなんだ」と、あとは、ごつい手をしているわりには綺麗な箸づかいで焼き魚を地道にほじくっていた。

「驚かないんですか?もしくは、気持ちが悪いとか?俺、今まで嘘ついていたから」
「いや、別に…真文くんが女が好きでも男が好きでも(笑)」
「それはそれで、なんか冷たくありません?」
「そんなことないよ。本当、どっちでもいいんで。どっちにしても、これからもよろしく」

そう言って、枕崎先輩は箸を持ったまま頭をぺこりと下げた。

「っていうか。っていうか先輩も、もしかして、そういう気、ありません?」
「え?俺がゲイじゃないかってこと?」
「そう、そう」
「ない、ない、ない、ない…」

困ったように笑いながら、枕崎先輩は首を振った。
それからおもむろに手帳を取り出し、裏表紙のポケットに隠されていた一枚の写真を見せてくれた。

「今の彼女。会社では面倒くさいから、彼女はいないっていうことにしているけど」

写真には、地味であまり冴えない感じの女が、枕崎先輩に肩を抱かれて笑っていた。
枕崎先輩のルックスなら、もう少し可愛い子と付き合えそうなものだけど、そういうところが地味で実直な枕崎先輩らしい気もした。

「なーんだ。そうだったんだ」

生まれて初めてのカミングアウトを終え、僕は晴れやかな気持ちだった。
残りの焼き魚定食を平らげた。


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