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【分かると分からないの狭間を考えてみる】Vol.2


作曲家のしょうたです!

皆さんは「シュルレアリスム(超現実主義)」
をご存知ですか?

一応きいたことはあるけど…
何が描いてあるのか、
どうしてあんな奇妙な扱い方や取合わせをするのかが

「よくわからない」ですよね。

例えば、胴体が空に飛んでいたり、時計がぐにゃっと溶けていたり

まるで夢の中の様で理屈に合わない!

これが一般に「超現実主義」と言われる傾向の絵なんです。

「愚にもつかぬ」、「狂気じみてる」、「あれでも絵なのか?」

とバカにする人もいるでしょう。

また、その中にとても深刻な意味や思想が『隠されているんだ!』

決め込んでいる人もいます(評論家が多い)

しかし、


超現実主義は「理性」「美」「道徳」などという、
人間生活の表面部分にあって、時代と場所によってつねに移り変わったり、基準を失う様なものを徹底的に疑い、人間性の奥底に潜んでいる本質をえぐり出そうとする芸術(運動)なのです。

簡単に言えば、常識的な約束事(当たり前と認識しているもの)に歪められない
人間本来の欲望や感情を生々しく作品に取り込もうとしたのです。


それによって、これは美だとか、理性、道徳、などを乗り越える事を信条としているのです。

抽象画(アブストラクト)」とは反対に非合理的であり、反美学的な立場です。


シュルレアリスムの創始者であるアンドレ・ブルトンは

「超現実主義とは自動描法である」

と言っています。

それは

「言語、記述、その他の方法」によって※思惟の実際活動を表現する。それは理性、美学、またはづ特的観念に妨げられることのない思惟の表現である」

※思惟(しい:考える事、思考の意味)

というわけです。

例えば、一本の線を引くとしても、色々な不純な思考に煩わされず、
全く素直に自然に線をひく事は、

よく考えてみると、とても難しい事です。

上手く描いてやろうという野心とか、
こういう形が美しいという意気込みとか、
また有名な作家がこういう風に描いていたとか、

色々な観念が働いたり、なんども描いているうちに腕の慣れという習慣的なものが
入ってきたり、いつも僕らの心を支配している、様々な常識、固定観念が、

たった一本の線を引くときですら、のさばって出てきて、

純粋な表現を妨げるのです。

そして、その線が組み合わさり、形態になり、意味を含んだり、思想が絡んだり、
する場合はますます「純粋でいる事は難しくなってしまいます」

この固定観念から、己を解放するには
強い意志と適切な方法が必要なのです。

超現実主義者たちは固定観念を取り去るために色々な事を試しました。

そして、、、、、

夢や狂気の世界などに、

常人よりもっと純粋な人間像や精神世界の本質を見つけたのです。


オーストリアの精神医学者

ジークムント・フロイトの精神分析学説
がシュルレアリスムに大きなヒントを与えたのです。

※精神分析学説とは、常識、固定観念、処世術などに縛られている人間は多かれ少なかれ、皆無意識の内に鏡面を繕い自分自身を抑えていると唱えた学説。


そして、シュルレアリスト達はこう考えました。

「例えば、夢の世界では、大人でも無邪気に濃いイマジネーションの世界に遊びに行ける事ができるので、そんな時こそ常識で押さえつけている力の弱まった隙をくぐり抜け、そこに隠れていた人間本来の欲望やイメージがあらわになって浮かび上がる」

それによって

「自分自身にもはっきりわかっていない心の奥底に生き続けている意識(精神分析学ではこれを下意識(かいしき)と呼ぶ)の方が、世間体だの常識などによって、無理に歪められた意識状のものより真実だ!!」

と言ったわけです。

超現実主義(シュルレアリスム)は、単に夢の世界とか狂気とかにとどまらずに
あらゆる技術を使い、生み出し、思いがけない組み合わせによって新鮮なドラマを作り上げます。

つまり、人間本能の非合理生を追求したのです。


それはさておき、

僕ら人間の精神は常に理屈では理解できない

神秘的なイメージや物語で豊かに潤されて培われています。

小さな子供の頃見た、SFや映画、ファンタジーが
大人になった今日の僕らを支えているのです。

ここでは、未来に行く車に乗ったり、絶滅した恐竜が人間を襲ったり、美しいお姫様が竹から現れたり、

普通では考えられない、理屈に合わない「超現実的」なイメージだからこそ、感動的なのです。

さらに言えば

神話や伝記は全部が非現実です。
様々な妖怪やバケモノ、想像を絶する夢物語です。

またさらに言えば、

仏像などで顔が十一もあったり、
体から千本の手が生えていたりしますよね。

でも僕らは別に理屈に合わないからと言って、怒ることもなく
逆に「ありがたい」「美しい」というわけです。

これらはいずれも人間精神のギリギリの表現であり、その結晶であって
ただの写実よりもはるかに強く僕らに迫って、訴えてきます。

しかし、現代の人々はどうして、そういうものを、
同時代人が新しく作った時にだけ、奇妙にケチをつけたり
評論したがるのでしょうか。

わかる・わからないなどと、余計な心配をしたりするのでしょうか。

遠い昔の物語よりも遥かに現在的で、切実です。

過去の芸術家が残してくれたものや出来合いのイメージに収まるのではなく、

豊かな精神で自分たちの『新しい神話・伝説』を作ることこそ

芸術であり、また現代人の宿命なのです。


では、次のコラムでお会いしましょう!

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