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赤ちゃんのカラダ

5年前の記事の紹介


赤ちゃんの体は正直


先日生後三ヶ月の赤ちゃんをみさせていただいた。
左ばっかり向いて、正面をたまに見る程度、全く右を向かないのだそう。まぁ確かにこりゃひどい。
深く考えずとも様々なリスクを負っていることは明白。

赤ちゃんの体の歪みはほとんどが親の設定した環境による。
多少は仕方ないものの、少し知っているだけで避けられるものは、実行すべき。
なんて話を具体的にお母さんに対策を伝えながら(ここが一番大切)
顔の形と動作を見て、そこからあたりをつけて、触診をして
ほんの少しの力で頭蓋骨の変位を戻し、再評価をして右を向くようにはなったものの、向くときに使われる筋に偏りがあったのでその筋に対する神経絞扼をとって終了。所要時間3分

足も動かしやすそうになり、表情筋の働きも変わるので、目も顔も均等に近くなり何より可愛さがさらにアップ。

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やはり赤ちゃんは戻りが良いし、変化も早い。
やりやすいですが、基本的には大人も子供やることは変わらないなと毎度思う。

ただ今回少し反省と気づきがあったのは
赤ちゃんは意識しなくても一目で全身が視野に飛び込んでくるので、全身の繋がりが非常に見やすい。意識せずともそれらが同時に見えるうえに、動きに考えがないというか、おそらく制限を意識的にしていないので運動連鎖がみてとりやすい。
動きを見てから改めて筋や骨の状態に目を向けるとなるほどなと思うことが多々あった。

普段からやっていても他の部位との関わりに対してまだまだ見方が甘い部分があったなぁと反省。
同時にまだ3ヶ月の赤ちゃんの場合、手足や体の動きにそれほどの勢いがあるわけでなく慣性などはあまり考える必要がないので、見てとれる運動連鎖はあくまで体の内部の組織的、力学的繋がりの話。おまけに仰向け。
大人で考える場合は、力学的な関係であって内部の繋がりではないものも重要になる。痛みの原因や現象を考える際にも大切にしなければならない部分と再確認。

考えてわからないことを、世界でいまだ解明した人がいないからといって、なにか自分ではわからない神秘的なもの、エネルギーや気や手技などが重要だと考えるのは早計。
スピリチュアル?も否定するつもりは全然ありませんが、論理的に説明がつかないことも多々あると考えるのはおかしい。
それは自分の頭の限界であって、論理的思考の限界ではない。
頭を鍛える努力をどれほどしたのかと問う。
天才でなければわからないのであれば、天才になるため、近づくための努力をすれば良い。

この業界の情報は矛盾だらけで成り立っているといっても過言ではないのに受け入れられるその脳みそに問題があるのであって、論理的思考で紐解けないことが存在すると考えるのは根拠に乏しい。

物理的に体から発している情報は膨大。
どれだけ気づいてその意味を読み取れているか。
それが論理的思考で人をみる際の程度を決める。

感覚を研ぎ澄ましてスピリチュアルと言われるような世界にいくのも一つの道だとすると

論理的思考で全てを解き明かすのもまた一つの道

もちろん私は後者で


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結局、論理的にみたいなら
扱う情報が膨大になり、それらを同時に処理できないせいで限界を迎えているのか、つまり脳を鍛えるべきなのか

扱う情報の質が悪いのか、つまり新しい情報を学んだり、取得できる情報の質を上げるためにスキルを磨くのか

そのくらいは考えて学ばないと先には進まない
そして、観察していると、脳が限界を迎えている人はスキルと最新の情報を欲しがり、スキルが限界を迎えている人は、考え方を欲しがっている印象

てことは、本当に足りないのは自己分析ということか


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あなたの日常にフィットネスを。

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