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対岸のひかり

たとえば、猫が空を飛んでいるような。
私はぼけっとして草むらに寝そべって、雲の流れを見ている。
意外と雲は早く流れているな、と思いながらミサイルの通知を無視する。
それで死んでもいいし、もしくは生きていてもよいのだ。
暑くもなく、寒くもなくて、風は体温よりわずかに低いので、このまま眠ってしまいたくなる。
しかし、猫が空を飛んでいるから、そろそろイワシが降るな、というような。

たとえば、宗教とか音楽や、旅行とか映画など。
そのような愛の教えが、生命に意味づけをしているに違いない。
産まれたら、死んでしまう。
このような虚しさは、愛という色眼鏡を通しては美しく描かれてゆくのだ。
そんなことさえも、時折虚しく思える。
だから、還る世界は、生も死もなく、ただ猫が空を飛ぶ世界だったらよいと思う。

たとえば現実は、対岸の火事みたいなものである。
とうとうと流れる黒い川は、無数の白い光の筋を揺らしている。
川の向こうの炎の中は、裸体がごろごろ転がっているのである。
悲劇なんかではない。
猥雑である。
私も一度は飛び込んだ。
しかし私の36度はあまりにも低すぎた。
炎に適応する者は炎と同じ温度を持ち、炎と生きているのだ。
誰に触れても私は火傷して、そして彼らは私を疎ましく思うのである。
私はすぐに逃げ出した。
彼らをくだらないと思ったし、同時に心底羨ましいと思った。

たとえば私は、肌寒い風を右から受けて、対岸のゆらめくオレンジの光を眺めているのだ。
本当に嫌なのに、目が乾いてもなお、目が離すことができない。
光る火の粉は暗闇にゆっくりと散らばり、爆発を繰り返すことで輝きを保つ、まるで小さく巨大な恒星みたいなのだ。
どうしても美しいのだ。
まるで矛盾ばかりだ。
排他が愛であるだなんて。
風を受けた私の前髪が、ふわりと揺れるとき、神さまが私を見つめていればよいのに、と思う。
暗闇の中で、目と鼻先と唇に、これだけ光を集めているというのに。

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