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「箴言と考察」 ラ・ロシュフコオ 訳 内藤濯


「われわれの美徳は、ほとんど常に、仮装した悪徳にすぎない。」



「箴言と考察」 ラ・ロシュフコオ 訳 内藤濯



印象に残ったテレビ番組がありました。



「小林麻耶の本にあいたい」



ある日のゲストに、資生堂・名誉会長 福原義春さんが出演されていました。その小林麻耶さんとの本をめぐる対談番組で、この本を知ることになりました


ラ・ロシュフコオ (フランス/1613~1680)


17世紀のフランスの貴族。 名門に生まれながらも内乱に巻き込まれ片目を失明するという悲劇にみまわれます。さまざまな人生の辛酸を舐めてきたロシュフコオですが、人々との議論の中から生まれた言葉がこの本に収録されております。


紹介されていた言葉に、すごく心をえぐられました。ジャブを何発も何発もくらわされました。心のやや内側にえぐり込むように。


福原さんは番組で、このように語っておりました。


「どこを読んだって衝撃のある本ですよ。人間はどういうものか。
人間の本質のことを1行~2行の文章で語っているわけですね。」


この本の中にある、福原さんにとって印象に残った言葉が・・・

われわれの美徳は、ほとんど常に、
仮装した悪徳にすぎない。

自分で自分をくさすのは、ただ、
人にほめられるためだ。


そして


福原さんは次のロシュフコオの言葉を出しました。

大部分の人は羽振りや地位によってしか
人間を判断しない


「だから名誉会長なんかいらないと、
僕は言ってるんですよ。」

と福原さんは言います。


「それはなぜですか?」
小林麻耶さんは福原さんに問いかけました。


「だって、そうじゃないと人間、たいしたことがないのが肩書きで威張ったりするじゃないですか。それじゃ、やっぱり働けないですよね。みんなが。

肩書きがつくと機能ではなく、権威になってしまう。それは恐ろしいことなんでね。本当に何を考えているか。何をやっているか。肩書きじゃないんですよ。」


その言葉に感得し、すごい方だなぁ~と感心しっぱなしでした。


さて、ラ・ロシュフコオの言葉です。


この本を読んで難しい言葉もたくさんあったのですが、心に留まった箇所に付箋を付けてゆきましたら、読み終わったときには付箋だらけになっていました。(付箋の意味がなくなってしまいました。)


その中から特に、
う~んと唸ってしまった
言葉をご紹介します。

一方だけがまちがっているのだったら、
喧嘩は永つづきしないだろう。

運命は、それに乗る人々にたいして、
一切を転じて福とする。

人間の幸不幸は、人その人の気質に
由るよりは、むしろ運に由るものだ。

沈黙は、自信のない人間のくみする
もっとも安全な方策だ。

智は、いつも、情にいっぱい食わされる。

人は通常、ほめられるためばかりに、
他をほめるものだ。

世間には、多くの場合、人気とか幸運だけ
を頼りにして、人間の品さだめをする。

偽善は、悪徳に向かってささげる賛辞である。

ほんとうの雄弁は、言うべき一切を言い、
言うべきことだけを言うところにある。

人は、他人の欠点をわけもなく非難する。しかし、
ひとの振り見て、わが振り直そうとは、ほとんど
しない。

恋する男は、恋の夢がさめてはじめて、相手の
女の欠点に気づくのである。


思わず手を鳴らしたくなったり、恥ずかしくなったりと、人間の本質が映っている鏡をみているような本でした。




【出典】

「箴言と考察」 ラ・ロシュフコオ 訳 内藤濯 グラフ社


いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。