反ひろゆきも程々に


昨今、論破ブームやひろゆきさん信者が暴れ回ってるというのは今に始まった話ではない

なんでも小学生のあいだで流行ってる言葉がひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね?」だとか

Instagramの投稿でも何度か言及したように建設的な議論・対話を行う上で論破目的、あるいは、自己主張したいだけの奴が対話の場にいることほど邪魔なものはない

有意義な対話を行う際に、主観や感想、そして矛盾があっても何ら問題ない
矛盾点に関しては、聞き手の側は相手の矛盾をどのように整合するかの姿勢が必要になる (この点は、戸田剛文共著『哲学をはじめよう』、ナカニシヤ出版、2014、山口の三章を読んで頂きたい)

それらの積み重ねが、新たな視点や発想の発見に繋がるのである


但し、データや出典が求められる時や、感想を述べる時ではない、あるいは論破してしまうケースも是認されるべきだ

例えば、相手が「○○は××だ!だから、△△と言える!」と主張してきた際に、何故「○○が××なのか」を理解していないと相手の主張を理解することができない(そうなっては話が進まない)

故に、「○○が××」であると主張しているデータや文献を聞いてみる、或いは、それが論者の感想であるのかどうかを確認してみなくてはならない

もし感想でないとするなら、その人に何故「○○が××」と言えるのか、理由や根拠を聞いてみる必要がある

でなければ話が進まないか、若しくは、変な方向に話が飛んで行ってしまったりする

もし感想であるとするならば、あくまでも「○○が××である」という「仮説」である視点で話を進めていかなくてはならない

また先程、相手の矛盾点を聞き手の側が整合的に捉えようとする姿勢が求められると言ったが、どうしても整合性が取れない場合もある

その場合は、相手が矛盾している主張を指摘して、相手の話を聞いてみる必要がある(たとえそれが論破という形になったとしても)

もし反ひろゆき主義の風潮が強まり、「何かデータや出典はあるんですか?」「それは、あたなの感想ですか?」「この点は、矛盾してませんか?」と言ったような指摘の言葉が抑圧されるのであれば、結局それも建設的な議論とは程遠いものとなる

何を言っても許される、批判を禁止する会社のクソミーティングと変わりない

ひろゆき主義がエビデンス偏重主義であるのなら、私が今ここで指摘している例は、「タチの悪い相対主義」と言える

反ひろゆき主義を伝えるのは問題ないが、行き過ぎるとタチの悪い何でもアリの相対主義になってしまうことを念頭に置いておく必要があるので、この点は気をつけて頂きたい

エビデンス偏重主義にもタチの悪い相対主義にも陥らないようにするには、どうすればよいか?

パッと思いつくのは、以下の点だ
・相手の感想部分や主観の部分があっても議論に差し障りのないものなら指摘しない、むしろ相手のその視線を自分に取り入れて考えようとしてみる
・逆に差し障りがあると判断したのであれば、指摘をしてみる(その際は煽るような口調では絶対しないこと)
・エビデンスや出典の提示を求めた人に対して、安易に「こいつひろゆき信者か!」と断定しない
・何でもかんでもエビデンスの提示を求めない
・話す側の場合、根拠や出典があるのであれば軽くでもいいから提示しておく
・感想や主観を話す場合は、「これは自分の感想にはなっちゃうけど」のように補足を入れておく(対話者がまともな人なら頷いて一緒に考えてくれるか、丁寧な指摘が帰ってくるであろう)
・相手が、誤解や勘違い、気付かぬうちに矛盾を主張している時は億さず(丁寧に)指摘してあげる

他にも色々あるかもしれないが、ざっくりこんな感じであろう

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