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「誰かのため」に生きる人生を手放す【毒親】

自分は誰のために生きているのか。そう考えたことは、あるだろうか。

私は先日ふとそのことを考えて、道を見失ってしまった。自分が「人のため」に生きている自覚はあった。最近は「自分のため」の行動も増えたが、それでも友人の相談役になったり、顔の見えないSNSでも人の相談を受けることしかしてこなかった。私には、相手の求める言葉が分かったし、最近は適度な距離の取り方もわかってきた。私に依存してしまう友人が出てからは、「ここまでは私も相談に乗るけれど、ここからは専門家に聞こうね」という線引きもできるようになった。

それは、全く苦ではなかった。寝る時間を割いて友人のために尽くすことさえ。
なぜなのか。その答えがわかった時、私は動けなくなってしまった。

私は、20年以上母のために生きてきた。母が欲しい言葉をかけて、夜中に母が私の部屋で泣き出したら、根気強く付き合った。母はこんな娘でいて欲しいんだろう。そんなことさえ、手に取るようにわかるのだ。中学生時代に保健室に行っているのがバレた時は、本当に怒られた。
「私はこんな人間を産んだつもりはない」と。

実家を出て母から離れた今、それでも私は母の代わりになる「誰か」を探していた。誰かのために生きるのは、自分のために生きるよりも、ずっと楽だから。結局は、無意識に過去に、母に縛られた人生を歩まされていたのだ。

このことに気づき、私は2人の友人と別れを告げた。「しろくろの隣しか居場所はない」と言っていた方と、私が好きだったあまり尽くしすぎてしまった方。1人目の方は、最終的に「誰とも付き合って欲しくないから、私と付き合って」というところまで依存させてしまった。2人目は、私が恋愛感情を持っているのを知りながら、「彼女と喧嘩した」という理由で私の部屋で寝ていた。もしこのnoteを見ていたら、私が悪かったと謝りたい。2人も私を利用していたかもしれないが、私も2人を利用していた。「母の代わりに尽くす相手」として。

「自分のため」の人生も、「誰かのため」の人生もどちらも素晴らしい。でも私の場合は、自分の生き方に実は苦しんでいたことに気付いたのだ。

私は、これからはできる限り「自分」を大切にし、「自分」を大切にしてくれる相手と付き合いたい。その一歩として、先週から1人で広い公園を巡っている。もともと自然は好きだったが、季節の移り変わりを感じるほど、心に余裕を持って生活できていなかった。風を感じ、木々のおしゃべりに耳を澄ます。そうすると、「なんか音楽やりたいなぁ」なんて思ったりもする。

それでいい。
私は、私の人生を生きたい。もう母の影に怯えたくない。


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