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2022年を拓いてくれた10冊の本

今年はずっとNEO晴耕雨読のような生活をしていた。

基本的に午前中に仕事を終わらせるようにしており、天気が良ければランニング・シューズを履いて河原を走り、時にどこかの畑のお手伝いをする。天気が悪かったり、あまり外に出たくないな、という日はコーヒーを入れて本を繰る。山奥とはいえ、遠野という街には素晴らしい図書館が二つあり、本へのアクセスに困ったことは一度としてなかった。夜には週数回お店に立たせてもらい、気の知れた常連客と共にビールを飲んだ。2022年は良い図書館、良い本屋、そして有り余るような時間と静かな環境に恵まれ、コンパクトながら幸せな時間を過ごしていた。

生活にも、旅にも、選択にも、いつも本があった。そんなこの1年間を拓く手伝いをしてくれた本たちを、ここにささやかながら記録しておく。

*便宜的にAmazonリンクで紹介するが、気になった場合は本屋さんを守るためにもできる限りお近くの書店で購入してくれれば嬉しい。

下北沢について

吉本ばなな

遠野に移住してきて最初に読んだ本。新しい場所、新しい職場、新しい人々のなかでいっぱいいっぱいになっていた最初の週に、はじめて吉本ばななさんのエッセイを読んだ。自分で選んだ道なのに、東京の友人の顔が浮かんだりして情けなくなっていたところ、ばななさんの隣人愛を感じさせる文章にとても救われたことを強く覚えている。

 あれほど確かに生きているものがあることがこわくなって、とにかく殺してしまう、そういう力が現代にはいっぱい満ちている。子供の持っている力も、アートの力も、日々殺され続けている。その弊害で実際に人間が殺され続けたりもしているんだと思う。
 いつか日本人もアートの力にほんとうに気づくといいと思う。成熟していく過程をちゃんと踏んで、分断されている仲間たちはたとえ遠くに居ても心強く力を合わせて乗り越えられるといいと思う。不可能ではない。私たちには、疲れた心を癒すそんなすてきなお店が、まだまだたくさんあるんだから。

下北沢について

わすれられないおくりもの

スーザン・バーレイ 訳: 小川 仁央

今年の僕の情報収集・読書・インスパイアの拠点であった「こども本の森 遠野」で出会った絵本である。遠野まで遊びにきてくれた友人が教えてくれたもので、僕もその瞬間に好きになってしまった本だ。

「本の森」が素晴らしいのは、新書から絵本、漫画から写真集まで、ありとあらゆる種類の本がテーマに沿って同じ本棚に並べられていることだ。決して子供だけの空間ではなく、創作を生業とする大人にも必要不可欠なセレンディピティ的な本との出会いがある。こんな図書館が近くにあるなんて、遠野の子供たちは何て恵まれているのだろうと何度も思った。

情報が咀嚼に先行し、感覚が認識に先行し、批判が創造に先行してしまっている現代社会において、立ち止まり、偶然の出会いを楽しめる空間。偶然性と楽しめる、受け入れられる余白を持つということ。僕もいつかこの場所に恩返しができれば良いなと思っている。

僕はダリ 芸術家たちの素顔

キャサリン・イングラム、アンドリュー・レイ 訳:岩崎 亜矢、小俣 鐘子

この本は、ダリの言葉として引用されている一節だけで気に入ってしまった。

朝、目を覚ますたびに、私は至高の喜びを感じる。そう、「サルバドール・ダリである」という喜びだ。そして、このサルバドール・ダリなるものが、今日はいったいどんな奇跡を起こすのだろうかと、驚嘆しつつ、私は自分に問うのである。

僕はダリ 芸術家たちの素顔

天才を演じ続けること、狂気を装い続けること。ありのままの自分を見つめながら、人生の演者として「天才」を装うことのバランス。

BUTTER

柚木麻子

この小説はとにかくカロリーが高い。実際にあった連続不審死事件を題材に、フェミニズム・女性としての幸せといった重いテーマを絡み合わせられている。なにより、食事や料理の描写が悪魔的だ。読んでいて居てもたってもいられなくなり、深夜にコンビニにバターを買いに走り、夜食にバター醤油ご飯をかき込んでしまった。

2022年は僕にとっての「料理元年」だった。時間があること(食う分だけ稼ぐ系フリーランスには時間が有り余っている)、いい食材があること(岩手県は食材の宝庫)、広いキッチンがあること(シェアハウスのキッチンはガスコンロ3口にどでかいシンクつき)。料理モチベーションが上がる三要素が全て揃っていた。この小説の料理描写は、僕の料理元年にさらなる拍車をかける。思いっきりバターを使って、こってりとした旨味が広がるようなものを、僕自身の幸せのために作っていきたい。(何の宣言だろう)

本なんて読まなくたっていいのだけれど、

幅允孝

ブック・ディレクターなる仕事を作ったBACH代表、幅さんの読書本。本の内容というより、自らの体験と絡めて本を紹介していくスタイル。ジャンプ婆さんのくだりが牧歌的でとても微笑ましい。

大変厚かましいのは百も承知だが、僕はこの本の著者である幅さんに勝手に親近感を抱いている。というのも、僕は「早稲田大学村上春樹ライブラリー」で手に取った本をきっかけに発酵・ビールに興味を持って遠野に移住し、「こども本の森 遠野」でさまざまな写真集を読み耽って写真集を作ること、写真家として活動することを決めた。そしてまた、次の移住地として先週視察に行った長野県大町市にて、拠点の一つになりそうなブックカフェを見つけた。この全ての選書を幅さんが担当されているということを、行ったのちに知った。なんという偶然だろう。幅さんもアーセナルのファンを公言しているので、いつかお会いできたら一緒にグラニト・ジャカの重要性について語り合いたいと思っている。

インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日

中村安希

旅行記の体裁をとったルポなのか、ルポの体裁を取った旅行記なのかは容易に判断はできないが、少なくとも僕が今まで読んできた「紀行文」とは一線を画した作品だ。徹底的に庶民の生活に寄り添いながら、問題意識を持った眼差しでアジア・アフリカの各地域を旅し、途上国の現実や格差問題を冷静に記録している。

GENESIS

Sebastiao Salgado

本のサイズも、コンテンツも、超ド級という言葉がぴったりな大作である。写真家セバスチャン・サルガドが8年の歳月をかけてありのままの地球、太古の時代から変わらない生活を営む人々を記録したもの。本と被写体のスケールのバカデカさもさることながら、注目したいのは世界中の全てが資本主義とインターネットに覆い尽くされたかのように思えるこの時代でも、GENESIS(創世記)の姿を残している部分があるということを発見できるという点だ。

「間に合った」という感覚。先人たちの旅行記やドキュメントを読むたび、僕は遅く生まれすぎたとばかり思っていたが、まだ僕らは間に合う。そう確認させてくれる。

走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹

僕はとある芸術家・作家の作品そのもの(村上さんだったら長編小説)よりも、その人の生き方や哲学に興味を持つタイプの人間である。この「走ること」では、いかにランニングが村上春樹という人間の小説家としての営み、自由業者としての生活の根幹を成しているかが綴られている。読んでいるだけで体が走りたくてウズウズしてくるようなエッセイ集だ。僕は今年初旬に早稲田の古本屋でこの本に出会い、それから枕元に置いてちびちび読んでいった。おそらくそういう読まれ方が合っていると思う。

Pain is inevitable. Suffering is optional.「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」

走ることについて語るときに僕の語ること

この本の冒頭で引用されている言葉だ。これを初めに読んだ時は「そうか、痛みは不可避的で苦しみはオプショナルなんだ」とそのままの意味でしか受け取ることができなかった。その後、今年のフィジカル的な目標の一つにマラソン完走を掲げ(僕はとても影響されやすい人間だ)、11月の寒空の盛岡を42キロ走った。その時に、このマントラがいかにマラソンという競技を簡潔に、そして完璧に表現しているのか、身に染みて実感したのだった。

そもそも、マラソンなんて何かしら唱えながらでないと走り切れるものではないとは思うが。

岡本太郎の東北

岡本太郎

ここに伝統的な日本的器用さはない。無骨である。叩きつぶされ、押しつぶされ、それはまるで全然ないかのように、光の外に置かれながらも、なお厳然と、民族のレジスタンスとして叫びつづけている。たとえそれと、はっきり自覚されなくても、暗く深い、もうひとつの美の伝統であり、生命力である。

岡本太郎の東北

岡本太郎は日本人の源流を求め、東北を旅した。その際に撮影された写真集である。躍動感あふれる写真もさることながら、岡本太郎は僕自身もうっすらと感じとった東北という地の「異世界性」に、言葉を与えてくれる。

驚いた。こんな日本があったのか。いやこれこそが日本なんだ。身体中の血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え上がっている。異様なぶつかり合い。これだ!まさに私にとっての日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ。

岡本太郎の東北

全ての装備を知恵に置き換えること

石川直樹

人を旅に誘うような文章を書きたい、と思っている。これは他でもなく、僕が本によって世界へ、山へ誘われてきたからである。石川直樹さんのこのエッセイ集は、そんな密かな思いを再確認させてくれる。純粋に自分の足を運び、自分の目で世界を見たい、そして知りたい。世界的な探検家であり写真家でもある彼の、シンプルな好奇心が清冽な文章から伝わってくる。

 今まで地球上のさまざまな場所を通して、旅の経験を書いてきたが、旅の原点はただ歩き続けることだ。何も持たず、黙々と歩き続けること。全ての装備を知恵に置き換えて、より少ない荷物で、あらゆる場所へ移動すること。自分の変化を、そして身の回りの環境の変化を受け入れて、楽しむことこそが人間が生まれ持った特殊な習性のひとつではないか。
 予測できる未来ほどつまらないものはない。道の先に何があるかわからないから面白いのであって、安心をもたらす予定調和など必要ないはずだ。大きな会社に就職、何歳で昇進して、何歳で結婚して、何歳で家を建てて…はっきりいってそんなことはどうでもいい。

全ての装備を知恵に置き換えること

石川直樹さんの凄いところは、どれだけの偉業を達成しても、どれだけの名声を手に入れても、根本にある純粋な幼心のような好奇心を忘れずに淡々と作品を作り続けているところだ。同じ哲学で、同じカメラの同じ画角で撮り続けている。圧倒的なオリジナリティ。

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20代は世界中のできるだけ多くの美しいものに触れることで、自分の中の無形資産を積み重ねていく時間である — 僕が勝手に唱えつづけているひとつのマントラだ。この「資産形成」が僕をどこへ連れて行ってくれるのか、今は想像もつかない。それでも、淡々と日々やるべきことをこなし続け、資産を積み上げ続けることしか、僕らにはできない。


追記:ちなみに、僕が今年読んだ本リストも共有します。何か貴方が読んだものと被るものがあったら、ぜひ語りましょう。

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📚写真集を出版しました。

🖋イラストを描いています。

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