見出し画像

65.「生きることが楽しい」ということを子どもに伝える大切さ

心理学者のユングは、人を思考型・感情型・感覚型・直観型の4つに分けるタイプ論を唱えています。

思考型とは思考が優位な人、感情型とは感情が優位な人、感覚型は感覚が優位な人、直観型は直観が優位な人ということになります。

僕の場合は、これまで圧倒的に思考優位の思考型だったということができます。

しかし、最近は徐々に感覚や直観、感情の領域を広めることができていて、思考する頻度を減らせています。

では、なぜ最近、思考型の度合い減らすことができるようになったかというと、生活の中でのストレスが減ったからです。

つまり、ストレスが減ったことで、いろいろなことを考えなくてすむようになったため、その分、感覚や直観、感情の領域が広がってきたといっていいでしょう。

ここからの話は、あくまでも僕が思うことであり、何の確証もないので、話半分で読んでいって貰えればと思います。

人は誰でも幼い頃は、感情や感覚、直観などの右脳を使って生きるものであり、成長に伴って思考能力を身に付けていきます。

そういった意味では、思考する能力は後付けの能力なのではないかと思います。

また、学校教育は、主に左脳を発達させる分野が多く、美術や図工、体育といった授業が少ないため、現代人は年齢を重ねるごとに思考する力を増していくことになります。

また、現代はデスクワークが多いため、思考することの割合が高くなってるということもできます。

しかし、だからといって、すべての人が思考型になるわけではありません。

世の中には感情型の人や感覚型・直観型の人もたくさんいます。

では、僕の場合、なぜこれまでの人生を思考型として生きてきたのか。

その理由は、幼い頃から「なぜ?」「どうして?」ということばかり考えてきたからということができます。

しかも、この「なぜ?」「どうして?」がポジティブな使い方ではなく、ネガティブな使い方だったため、思考する内容がマイナスになってしまう思考型だったということができます。

こういったことから、僕の頭の中で繰り広げられるおしゃべりは、常にネガティブなことが多かったといっていいでしょう。

もし幼い頃から「なぜ?」「どうして?」がポジティブ意味で使えていたなら、好奇心旺盛で探求心のある人間になって、頭の中のおしゃべりも、ポジティブなものになって積極的に生きられるようになっていたかもしれません。

けれども、残念ながらそうはなりませんでした。

僕が「なぜ?」「どうして?」といった疑問を、ネガティブなことに使っていたのかというと、制約の多い家庭で育ったからということがいえます。

同世代の友人たちと比べるとやらせて貰えることが少なく、そのため「なぜ、できないんだろう?」「どうして、ダメなんだろう」ということを考える癖がついてしまったのです。

もちろん、親が制限を多く作ったのは、僕の将来を考えてのことであり、遊ぶことよりも勉強することを優先させていたからです。

とはいえ、子どもには、将来を見据えて今のうちから勉強をしなければならないという理由を理解できるわけでなく、普通に友人と遊びたいと思うものです。

そこで「なぜ、できないんだろう?」「どうして、ダメなんだろう」という思考を働かせるわけですが、結局のところ、そういった疑問を解消することができずに、ずっとモヤモヤを溜めていくことになります。

しかも、友人たちが遊びとしてできていることができないため、自己肯定感は下がっていく一方であり、結果的に消極的になってしまいます。

そういったモヤモヤを抱えながら、思春期を迎えた頃に、たまたま尾崎豊の「卒業」を聴いて衝撃が走ります。

「この支配からの卒業」という歌詞に心が震えたのです。

そして、僕は18になり高校を卒業すると、逃げるように家を飛び出し上京することになります。

しかし、当然、幼い頃から培ったネガティブな「なぜ?」「どうして?」を簡単に手放すことができずに、モヤモヤを抱えたまま過ごします。

「なぜ?」「どうして?」の自動思考は、やがて「どうすれば?」に変わっていき、その解決方法として、本を読んだりネットを見たりしながら解決法を探す生活をするようになります。

そういった意味では、幼い頃から現在まで「なぜ?」「どうして?」「どうすれば?」ということを考えて生きてきたといえます。

とはいえ、ここ数年は「なぜ?」「どうして?」「どうすれば?」をポジティブな側面で使えるようになってきていているし、最近は「なぜ?」「どうして?」「どうすれば?」よりも、「今日をいかに過ごすか」ということを考えることの方が多くなっています。

こういった変化が起こった理由はというと、生活の自由度が広がったためであり、制限を感じることの少ない生活を送れるようになったからです。

しかも、制限が少なくなればなるほど、感覚や直観を活かしながら生活できるようになっていくものです。

人は元来、右脳を使って感覚や直観、感情を主に使って生きる生物であるということができます。

なぜかというと、右脳が感覚や直観、感情を司る脳に対して、左脳は思考のみであるため、比でいうと3:1であり、右脳を働かせた方が、より人間的であるといえるからです。

しかも右脳の活かしていけるようになればなるほど、人生が楽しく豊かになっていくものです。

そういった意味でも、僕の経験を通じて言いたいことは、子どもは子どもらしく、充分に今を生きた方がいいということであり、大人は子どもをのびのびとさせてあげて、生きることが楽しいということを幼い頃から感じさせてあげなければならないということです。

子ども時代は感性を豊かにする時代であり、豊かな感性を養うことができれば、知的好奇心が持てるようになるものであり、思考する力も勝手に身に付くものです。

しかも、強制的に何かを学ばせるよりも、自らの好奇心で学ぶことの方が、身を持って理解できるようになるし、子どものスポンジのような吸収力を好奇心に使わせてあげていったほうが、本人のためになるものです。

幼い頃から、自分の好きに向き合って夢中になって生きる経験ができれば、それが人生を通じての生き方の基礎を造ることになります。

人は結局のところ今にしか生きられないわけであり、「今を夢中になって生きること」の大切さを、子どもの頃に体感として知ることができるようにしてあげるのが大人の役割なのではないかと思います。

そのためにも、「なぜ、できないんだろう?」「どうして、ダメなんだろう」といった思いを、子どもには出来る限り持たせないようにしなければならないと思います。

子どもは、立場上どうしても受け身になってしまうものです。

しかし、子どもであっても能動的に生きたいと思うものであり、そういった思いを摘むようなことを大人はしてはいけないと思います。

大人が子供にすべきことは、「生きることが楽しい」という経験を与える事であり、それさえできれば、子ども自身が持つ力によって自然に育っていくものです。

そのためにも、子どもの生まれ持った能力を信じてあげることが大切なのだと思います。

子どもは、大人の愛情があれば「無為自然」に育つものだと思います。

「無為自然」とは、老子の言葉で「いっさいの作為を捨て自然のままに生きること」ということです。

つまり、子育てに、大人の作為は無用であり、子どもが持つ本来の能力を信頼してあげれば、あとは自然にのびのびと育っていきます。

ここ数日、左脳のおしゃべりである「自動思考」についての記事を書いていたので、今回は、こういった記事を書いてみました。

いつもサポートありがとうございます。感謝ですー😆👍💓