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【語り会#09】戦争の記憶と教育

 社会学の授業で書いたレポートです。昔から疑問だったことをしっかりと調べて書けたので、noteにも載せようと思います。

 8月6日。Twitterのトレンドに「広島」が上がっていた。日本人ならば誰もが知っている、1945年に原爆が落とされたからだ。あの日から77年。二度と同じ惨劇を繰り返さぬように、再びどこかで核兵器が使われることがないようにと毎年祈られている。子どもたちは夏休みに平和集会という名前で集められ、それを学び行っている。私自身もそうだった。しかしいざ振り返ってみると学んだ内容は原爆の被害と、その先にある戦争なき平和だった。まるで日本の戦争被害は原爆が全てというような感覚であった。私はそれが疑問だった。確かに日本は唯一の被爆国であり、原爆の被害は実際凄まじいものであった。それは実際に自分たちも学んだが、戦争の対となる平和を願う学習活動の中でそれを行うのだ。言い換えると、原爆被害の対となる平和は核兵器なき世界であるが、私たちが教えられてきた原爆被害の対となる平和は、戦争という概念の対となる平和なのだ。この戦争の記憶の残し方と教育について感じた違和感について詳しく考察をしていこうと思う。また、このレポートを書くにあたって、グーグルフォームにて作成したアンケートを中学、高校、大学の友人などにフォローされているインスタグラムのアカウントで回答の協力を募ったところ、16人からの回答が得られた。それらも取り入れて考察を行いたい。

 もう一度、私が感じた違和感について具体的に述べる。日本では毎年8月の6日には広島のこと、9日には長崎のことがニュースで報じられる。また、多くの小中学校では6日に平和集会が開かれる。アンケートでは13人が平和集会があったと答えており、内1人である長崎出身の友人は6日ではなく9日に行われていたと個別に語ってくれた。また、その集会で学んだ内容としては全員が原爆の印象が強いと答えた。平和集会という名前はあたかも戦争の対となる平和を意味しているように思えるが、実際には核兵器としての原爆について学ぶものだったのである。答えてくれた人々個別には聞けていないが、私自身の記憶としては原爆を中心に、おまけ程度に特攻隊や人間魚雷について教えてもらったくらいだ。それらを学んだだけで戦争の被害を全て学んだと錯覚し、平和を願うことは何だか違うよなと私は思った。

 原爆を学んだ後に願うべきことは核なき世界であり、戦争なき世界ではないと思う。核兵器の恐ろしさ、核廃絶に非核三原則、核抑止論など、核を取り巻く世界の現状を学ぶべきだ。原爆の被害は印象的だが、被害者の総数は戦地や空襲で散った人の方が多いはずだ。しかし後者の人々について記憶している人は少ないのではないだろうか。アンケートにて平和集会を含む、歴史に関する授業の中で何が印象に残っているか訊いてみた。選択肢にマレー作戦、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、東京大空襲、沖縄戦、ダウンフォール作戦、原爆投下、ポツダム宣言、特攻隊に加えその他の自由回答科目を作成し、三つ選んでもらう形を取った。また、その三つのうち最も印象に残っているものも訊いてみた。前者の回答では原爆投下が15人(93.8%)と最も多く、次点が真珠湾攻撃で10人(62.5%)。東京大空襲8人(50%)、沖縄戦・ポツダム宣言は共に5人(31.3%)と続く。票が0票だった項目は、マレー作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、ダウンフォール作戦であった。特にダウンフォール作戦は思った通りの結果で、印象に残っていないだけでなく知名度に関してもゼロに等しかった。それは日本の歴史教育の中でも、原爆教育の中でも語られないからだ。この件に関して私が思うことはまた後で触れる。二つ目の質問「三つのうち最も印象に残っているものは何か」の回答は、原爆投下が14人(87.6%)、真珠湾攻撃・沖縄戦各1人(6.3%)という結果だった。これらの二つの質問を通してみても、日本人の戦争イメージは原爆が大半を占めていることがわかる。

 これはやはり平和集会において原爆について学び、その先に核なき世界ではなく戦争なき世界を願うからだろう。悪い言い方をすれば、戦争被害のイメージとして原爆を刷りこまれているというわけだ。いくつか理由が考えられるが、アンケートの自由回答の欄に興味深いことを書いてくれている人がいた。丸ごと全て引用する。

 『佐賀県出身なので、隣県長崎の原爆が最も身近(?という言葉が適切かわからないが)に感じていた。学校教育では開戦の経緯は終戦に比べるとあっさり扱われていて、被害者感があると感じる。(開戦国であるにも関わらず)。また、沖縄戦や海外のことなどもさほど詳しく扱われない(特に中学まで)のも現代の政治的な意図を感じてならない。』

 政治的な意図がどうかはともかく、沖縄戦や海外のことが詳しく扱われないというのにはとても共感した。アンケートで唯一の本土戦である沖縄戦よりも東京大空襲の方が印象に残っていると答えた人が多いくらいだ。また海外のことに関しても、先程少し触れたダウンフォール作戦もそうだ。私は知識として知ってはいるが、学校の授業で習った記憶はない。ダウンフォール作戦はアメリカが原爆投下を決行する前に計画していたものである。沖縄戦を経ても降伏しない日本に対し、九州を制圧した後に東京を襲撃するという作戦だ。しかし、国家総動員法を行っていた日本は市民をも兵士とした。その人数で対抗されれば、アメリカ兵にも多数の死傷者が出るのは目に見えていた。もちろん日本軍側もそうだ。よって被害者数を抑えるために、アメリカ軍は原子爆弾を使用することに決めたという背景がある。結果的に二度の原爆投下で日本は降伏し、ダウンフォール作戦は決行されることがなかった。

 このような海外の背景が語られず、敗戦国として被爆国としての被害者感を全面に押し出しているのは否めない。また、本土戦である沖縄戦や日本のみが行っていた特攻隊(自由回答で印象に残っていると答えた人が一人いた)についての印象が弱いまま、戦争の被害は原爆が全てであるという感覚のまま平和を祈ってしまう日本の戦争教育体制に私は疑問を持つのだ。

 戦争という惨劇を二度と繰り返さぬよう、その事実を後世に伝え、平和な世界を望むことは大切だ。しかし、一部をピックアップすることで、意図していなくても印象操作が起きてしまう。その起きた事実をありのまま全て伝えるべきではないか。記憶の残し方を間違えると、偽りの記憶が生まれかねない。

【noteあとがき】
 戦争は多くの悲しみを生みました。その悲しみは見る視点によって異なります。つまり一つの視点からしか見なければ偏りが生まれます。世界を巻き込んだものだからこそ、一つの方向からではなくもっと俯瞰して全体像を知るべきだと僕は思うのです。

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