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シンプルに考えるととてもスッキリするものです(^^)。複雑に考えがちな人は、是非、ごく簡単に。そしてeasyに。人生を簡素化して見て見てください。答えもactionも、本当はごく・簡単なことのみです。ごく/簡単な行動のみを繰り返すことのみの中に、本当の思考の神は鎮座されています。
1.”赦し”とは-と、考えて見ます。都合のいい様ですが(-と言うより、都合よく考えるのを避ければ、frustrationがたまり、誰かに当たりたくなる。結果、赦せなくなります。)-「そこにある/在る=Be(ing)している」と、認識した時点で、「赦し/手放しています」。
2.対象化-とは、どんなジャッジよりも辛辣な-「反・同一性」の事なのです。結果、そこにかかるどの様なアプローチを取ろうと、「支配行動」でしかない。と言う事実を見逃さず見ることが出来る人こそ、ホンモノの”覚者(目が覚め/見えている人)と言えましょう。
3.支配行動について、ある有名なコーチにこんな話をされました。”ジャイアンみたいに、『本音』を包み隠し包み隠し---、攻撃性のみに逃げ続ける-『とっちゃん・ガキ大将』”---。辛辣な様ですが、それが事実と申せましょう。
4.一つ本当に-大切で本当に気付いた時は夜中まで腹を抱えてしまった事なのですが、「同一化」した全てとの関係性との距離が保てず「刺激-反応-抑圧-自己爆破→∞」と言う系譜をたどりがちな「冷たく燃える様な人々」の姿を鑑みるにつけ「炎を冷たく燃やす」と言う矛盾の膜の向こうにいます。
5.そう言った方々を見るにつけ、私はまだ、ユーモアたっぷりに分離して=統合して見つめられているからまだマシだなあ。と思った時はまだ気が晴れたものです(もう、20年近く前の20代前半の事でした---)。
疑い----→と、網膜のscreenに映るものと外にいる人の大切さ
こんにちは。
今日は、ふと。こんなこと思いました。
『疑い』と言うものがどれだけ不利益を生むのか?と言う事です。
『魔が差す』とでも言いますか…
英語で言うところの「疑い」とは-suspicious-と言う単語ですが、これは=
「容疑がかかる様な」と言う意味にもなります。
生きている事”自体”に罪はない。
と言う言葉を、尊敬する自然療法医が言っていたのを思い出しますが、
誰一人とし
ministopと言う言葉聞いて、「そうか、”jumbo-stop”は、AEONなんだな」と、思った事がありました。
外に行くと、インコがせっせと巣作りをしているのを見ました。時折、道路をトコトコと歩いているのも見ます。でも、あまり飛んでいるのを見た事がないのです。そう言えば、鳥って、いつの間にか天国に行って、死ぬ時も姿を隠しますよね。霊長類と違うのは自然そのものな生き様という事なのかな?と…。
仏壇を掃除しました。懐かしい品が沢山出てきて嬉しい限りです(^^)。家族はどの様な人であれ、とても大切な人たちですよね。以前書いた通り、とても上品で気高い性質の人ばかりでした。会うととても中身のある会話が出来ます。こう言う人はなかなかいないんです。ウチに生まれて良かったです^^
ナチュラリスト的生活と幸せ
こんにちは。
今日は曇天模様です。
冷たい日差しが雲の間から差し込んでいます。
ところで、、、
このところ、ゆったりと過ごしている毎日です(^^)。
朝日が昇ると共に起き、
夜は星空と暗闇の空と共に眠ります。
昼間になると、鳥がけたたましく鳴いたり、
外に出ると、蟻が這っているのを見たり。
風が吹けば、植物は揺れ、
水面に波紋を残します。
今日も、朝からインコでしょうか???
私の家庭は食事の作法にとても厳しい家庭でした。テーブル・マナーも幼い頃から教わり、その後とても役立っています(^^)。個人的に、食事についての精神性に学びを深めて来ました。一重に、喜び、美味しく食事をする事。そこに精神性の根幹があります。
十宮(とおみや)の所在地開拓より住んでおります。
こんにちは。
日本酒を盛り上げよう!と言うことで、、、
我が家のある街でも、古くからある酒蔵が欧州や米国などに輸出を企てて営業活動
をされているそうです。
以前、ある人に贈ったなら、すぐ飲んでくれた様で、確かすぐに、美味しい!と言
う感想を伝えてくれてとても嬉しかったのを覚えています。
私の住んでいる地方にはこう言う素敵な人が多くて、会う人会う人、ご縁がある
人、皆。
何かといい贈
以前、小学校の子供たちのために親が駄菓子屋をしていた事があった。良い子達だったそうだ。大人になったその後の子供たちもそれぞれ立派に成長している。母はそれを見てとても嬉しく思っている様子だった。営業ぶりなどから見ても、相当な陰徳を積んだ様子。毎日とても幸せを感じている様子だ。
人間的指向性の中に愛情の向きの答えがある。与える精神の中に愛情を見出す人は、いかなる場合も、愛情の提供の中に愛を満たすものだ。時にそう言う人々に出会うと、私は心が安らぐ。暖かい霧の中で、補填し・癒すことのみを求めているのが分かるからだ。その全てに恩恵と感謝の念を持つのである。
-真面目な話を一つ…-インドの習慣で「バクシーシ」と言うものがある。「奪う」事で浄化する。そんな働きです。コソ泥!と思う人がいたとして、よく見て見て欲しい。「乞食」そのものですね。論理を正常化しましょう。彼らに「リソースを一滴。投じた」どこかで花びらが芽吹くかも知れません(^^)