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1|パイナップルとバナナ

寿ジュから如翺ジョコウ先生へ

◇   鳳梨酥パイナップルケーキと高山茶


「お茶にしましょう」

 おみやげの鳳梨酥にあわせて、今日は「高山茶(*1)」をれましょう。
 台湾出身のお客様によれば、パイナップルを意味する「鳳梨オンライ」は「旺来オンライ」(繁盛)に通じ、とても縁起の良いお菓子なのだとか、また「元祖パイナップルケーキはハワイの日本人移民が考案した」という説もあるのだとか、あれこれ教えていただきつつ、楽しくお喋りしていた時のこと、
 
「日本には、なぜ、抹茶まっちゃ煎茶せんちゃと、二種類のお茶があるのですか?」
 
と、たずねられました。
 なるほど、外国の方からすれば「不思議」なのでしょう。
 茶は日本文化のシンボルの一つであり、手ごろな土産物でもあります。
 ところが、いざ土産みやげ物店で買ってみたら「違う」ということになりかねません。
 茶室で和装の麗人がてる茶――日本文化のイメージとしての茶は抹茶、土産物店に並んでいるのはたいていリーフティーの煎茶、ですので。
 
 それは、なにげない、ごく素朴なおたずねでしたが、私には刺さるものがありました。
 もちろん、今の日本に二種類のお茶が存在している経緯については、テキストなどでも解説されていまし、歴史的研究も進んでいます。
 それでも、そこにまつわる特別なニュアンス、それぞれの茶のオーラのようなものまでは、とっさに、うまくお伝えできましたかどうか……。
 
 ただ、以前、先生が教えて下さった「茶は南方の嘉木かぼくなり」という、京都の有名茶舗の包み紙にも印刷されている、あの詩句、陸羽りくう(733~804年)の『茶経ちゃきょう』の一行を彼女もご存知で、一緒に口ずさむことができたのは、嬉しい体験でした。
 ともに「お茶する」ことで、時空を超えてつながりを体感できた一時でした。
 

◇   日本の中の異国

 その時ふと私は、目の前のパイナップルケーキから、かつて自分が感じていた、もう一つの「不思議」を思い出していました。
 
 京都に暮らし始めて間もない頃のことです。
 外国人ならぬ東京人として京にのぼってきた私にとって、京都こそが日本文化のふるさと、中枢、聖地であって、「純然たる日本」がそこにある、と信じていました。
 ところが、実際に古寺巡礼してみれば、境内で頻繁ひんぱんに目にする南洋の樹木――椰子やし芭蕉ばしょう棕櫚しゅろ蘇鉄そてつ等々は「異国」情緒満点!
 およそ我が先入観とはミス・マッチだったのです。
 
 東京や鎌倉など、関東のお寺には現に南洋植物が少ないのか、あるいは迂闊うかつな私が意識しなかっただけなのか、不明です。
 東京より南だから、南方の木も風土的にあっているのかな、等と当てずっぽうの推測をしつつ、その後三十年、京都での日常の積み重ねの中で、いつのまにか当初の「不思議」は薄れていきました。
 
 当初の「不思議」、と言えば、祇園ぎおん祭もでした。
 日本文化を代表する都、その都を代表する祭の、なんとエキゾチックなことか!
 函谷鉾かんこほこ菊水鉾きくすいほこ鶏鉾にわとりほこ孟宗山もうそうやま郭巨山かっきょやま白楽天山はくらくてんやま伯牙山はくがやま鯉山こいやま蟷螂山とうろうやま、と、中国の故事にちなむ山鉾やまほこの多さよ。
 懸装品けそうひんには、唐の緞通だんつう、インド絨毯じゅうたん、果ては「ギリシャ神話」を描いたベルギーのタペストリーまで用いられています。
 歴史の重みをともなう絢爛けんらんたる「国際色」の迫力は、私の過去の「京=純日本」という先入観を打ち砕いて余りあるものでした。
 
 そこで、あらためて私は、自分が生まれ育った東京という都市が、近代国民国家の「ナショナル」な都であったことを再認識し、リアル日本は、東京人の私がイメージしていた日本よりはるかに「インターナショナル」であることに気づき始めていたのです。
 

◇   俳句の聖人、その名はバナナ

 パイナップルケーキに過去の「不思議」を呼び起こされたついでに、子どもの頃、かの松尾芭蕉の名前の意味が
 
バナナ
 
と知った時の衝撃も、数珠じゅずつなぎに思い出されました。
 日本の美意識の結晶とも言われる俳句。俳聖と呼ばれる人の名が、バナナ!

(もっとも、日本の本州で育つ芭蕉は主に糸芭蕉でその実は食用には適さず、同じバショウ科バショウ属ながら実芭蕉と呼ばれたバナナとは同属異種のもの、と、大人になってから知ることになるのですが…。)

 そういえば、京都のお寺だけではありませんでした。
 東京都新宿区立の漱石山房にも芭蕉が植えられています。
 この芭蕉については、夏目漱石自身『彼岸過迄』や『硝子戸の中』でふれていますし、芥川龍之介などの門下生も書き残しています。
 俳句歳時記にも、破芭蕉やればしょうという季語があります。
 能にも、『芭蕉』という番組がある! ということも、京都に来て知りました。
 お能『芭蕉』の舞台は中国、作品は室町時代のもの。
 そんな昔から、バナナが日本文化の一つだったとは!
 わが不明を恥じるばかりですが、それでもなお、どこかミス・マッチ、奇妙、不思議、という感覚は消えずにいたのです。
 
 そうした宙に浮いたままだった不思議の数々が、還暦すぎて文人花(*2)を習い始め、初めてすとんとに落ちたのでした。
 
  窓前に、誰か植えし芭蕉の樹。
  中庭に陰は満つ。
  中庭に陰は満つ。
  (李清照りせいしょう(*3)「添字采桑子」より)
 
 古刹こさつの南洋植物、バナナという名の俳人、京町屋のペルシャ絨毯、そして今も煎茶会の席飾りに登場する芭蕉、パイナップル……、
そんな、なんとなく、不思議、妙、面白い、と感じていた小さな断片の数々が、文人趣味という一本の糸で、すべて、つながったように感じました。
 
 しかし、そうしてみますと、「日本的」なるものとは、一体どのようなものなのでしょう? 

寿 拝

如翺 先生


■注
*1 台湾を代表する茶の一つ。高度千メートル以上で栽培される烏龍ウーロン茶。
*2 江戸時代文化文政期頃から、煎茶愛好者を中心に興った生花の一分野。中国明代の袁宏道えんこうどうの花書『瓶史へいし』の影響のもと、従来の生花の定型化を嫌った文人墨客ぶんじんぼっかくの間で、新しい風雅な趣味として流行した。
*3 12世紀初頭に活躍した宋代の女性詞人。その詞は日本でも愛された。


《筆者プロフィール》
如翺(ジョコウ) 先生
中の人:一茶庵嫡承 佃 梓央(つくだ・しおう)。
父である一茶庵宗家、佃一輝に師事。号、如翺。
江戸後期以来、文人趣味の煎茶の世界を伝える一茶庵の若き嫡承。
文人茶の伝統を継承しつつ、意欲的に新たなアートとしての文会を創造中。
関西大学非常勤講師、朝日カルチャーセンター講師。

寿(ジュ)
中の人:佐藤 八寿子 (さとう・やすこ)。
万里の道をめざせども、足遅く腰痛く妄想多く迷走中。
寿は『荘子』「寿則多辱 いのちひさしければすなわちはじおおし」の寿。
単著『ミッションスクール』中公新書、共著『ひとびとの精神史1』岩波書店、共訳書『ナショナリズムとセクシュアリティ』ちくま学芸文庫、等。

《イラストレーター》
久保沙絵子(くぼ・さえこ)
大阪在住の画家・イラストレーター。
主に風景の線画を制作している。 制作においてモットーにしていることは、下描きしない事とフリーハンドで描く事。 日々の肩凝り改善のために、ぶら下がり健康器の購入を長年検討している。
【Instagram】 @saeco2525
【X】@ k_saeko__