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アスペルガーな私が考える「作家っぽさ」と「断捨離」について。


理想の作家像とマルチタスク

作家って、「外界から遮断された世界に存在している人」だと、ずっと思っていた。
一心不乱に、ただただ書き続ける姿。
そんな映像が作家のイメージとして刷り込まれてしまっている私は、その姿に強い憧れを抱いているのだろう。

しかし現代は、情報過多の世界。
そこに身を置かざるを得ないのは、正直言ってつらい。

ASDだけでなくADHDの特性も強く持ち合わせている私の脳は、この世界に存在するあらゆる情報が視界に入ってしまい、目についたものにすぐ興味を引かれ、気をとられてしまう。
メモリ容量が普通の人よりちょっと少なめの私の頭のなかはいつもパンパンで、ぐちゃぐちゃだ。

拙著『アスペルガーな私のやらかし人生』をはじめ、これまでのnoteでもさんざん書いてきたように、私は「マルチタスク」というものを大の苦手としている。

複数のタスクを並行してこなそうとすると混乱して「うわぁ〜」となり、そして決まって何かしらミスる。
シングルタスクであっても、タスクが増えただけで混乱して「うわぁ〜」となって、途端に調子が悪くなる。

いっぺんにたくさんのことができないくせに、あれこれ手を出してしまうのはなぜなのだろう?
どうも、自分で自分の首を絞めているような気がしてならないのだが??
これまでだって何度も何度も失敗を重ねてきたのに、いつまで経っても自分のキャパが把握できないのはなぜ???

このような状況を、たまらなくしんどく感じるようになってきた、今日このごろの私だ。
会社を辞めてもうすぐ半年が経とうとしているが、いまがいちばんしんどい。
これ以上、やることを増やしてしまうと、私が破綻してしまう。

本当にやりたいことだけを取捨選択できる能力が欲しい。
喉から手が出るほど欲しい。

だけどよくよく考えたら、会社を辞めて自分のやりたいことをやっているはずなのに「しんどい」なんて、私ってアホみたいじゃない??
せっかく好きなことをやってるんだから、思いっきり楽しまなきゃソンだよな、という考えに落ち着いた。やっぱり前向きな私。

とにかく、自分にできることをやるしかない。
できるところから、ひとつずつでもいいから、楽しんでやっていこう。

そして、私は誓った。

「やるべきこと」と「やらなくていいこと」の見極めがちゃんとできるようになりたい。
もうこれ以上、「やらなくていいこと」に時間を消費したくない。
「本当にやりたいこと」だけに時間を遣うんだ。

そして、これからはもっとシンプルに、スッキリとした生活をするんだ!!!


時間の遣いかたと断捨離

無料でもらえる情報なんかを見つけると、ついつい飛びついてしまうんだけど、「それってほんまに必要なのかな?」と考えるようになった。
副業に関する情報やら何やらかんやら、会社員時代からとにかくいろんな情報を収集するのが好きだったけれど、果たしてそれらが役に立ったのかどうか、甚だ疑問だ。

たしかに無料であっても役に立つ情報は世の中にあふれているけれど、現在の自分には必要なさそうな情報まで必死にかき集めているような感じもする。情報を集めることで満足してるだけなのかも。

そのときは「いつか必要になるかも」って考えてしまうんだけど、その「いつか」って、いったいいつやってくるのよ?

それって、ただの時間の無駄遣いになってるような気がする。
こんな時間の遣いかた、もったいなさすぎない???
「ただより高いものはない」なんて言葉、よく言ったもんだなと思う。

これからは、むやみやたらに何でも飛びつかないようにして、いまの自分に本当に必要なもの、欲しいと思うものだけを選択しよう。

時間は有限。
人生は一度きり。
過ぎてしまえば、絶対に取り戻すことができない。
お金をいくら持っていても、時間だけは決して買うことはできない。

そんな大事なものを、こんなふうに遣って、私は本当に後悔しないの?
そう自分に尋ねてみる。

私もこの世に生を受けて、もうすぐ半世紀。
私は少なくとも100歳までは生きると決めているので、あと50年は生きられる。いや、「あと50年しか生きられない」のだ。

残り半分となった人生を、悔いのないように、しっかりと生きたい。
そこで私は、「断捨離できるものは思いきって断捨離しよう!」と決めた。

これができるようになったら、マルチタスクに負けず劣らず苦手な片づけや整理整頓も、少しはできるようになるだろうか?


私の切なる願いは

あぁ、もっと書くことに集中できる環境に、この身を置きたい。
毎日、ただただ書いていればいい。
そんな「いかにも作家な生活」がしてみたい。

そんなことを強く願っているけれど、そんな環境は誰も与えてくれるわけがないのだ。
ただ望んでいるだけでは、何も変わらない。
自分で自分の望む環境をつくらない限り、そんな夢が叶う日は永遠に訪れない。

じゃあ、自分でやるしかないじゃないか!
そんなにやりたいなら、やればいいじゃないか!

情報過多の世界から、少しだけ距離を置いてみるのも、いいかもしれない。


私は「ライター」ではなく「作家」でありたい。

依頼を受けて書くのが「ライター」で、自ら作品を生み出すのが「作家」である、と私は思っている。
もちろん、お仕事の依頼があればライターも喜んでさせていただくけれど、やっぱり私は「作家」でいたい。

そして私は、「Kindle作家」で終わるつもりはない。
だから「Kindle作家」ではなく、堂々と胸を張って「作家」と名乗る。

Kindle出版はあくまで通過点。商業出版も目標にはしているが、それが私のゴールではない。
私の最終的な目標は、私がこの世を去ってからもなお遺るような作品を書くこと。
この世に永久に遺るもの、後世に読み継がれるようなものを書くこと。

AmazonのKindleという世界最大の書店で売られているということは、ほぼ永久に遺ると思っていていいのだろうか。
だけどそのAmazonだって、もしかしたらいつか無くなってしまうかもしれないよね。
ペーパーバックが完成したら国会図書館に納本しようと考えているけれど、国会図書館だって大災害が発生してしまえば無くなってしまう可能性もゼロではない。

この世に存在するものに「絶対」なんてない。
カタチあるものはすべて、いずれは消えゆくのだから。

「永久に遺るものを書きたい」なんて、一見矛盾したことを言うようだけれど。
私の足跡を、生きた証を、どこかに遺しておきたいのだ。

私は子どもを持たない人生を選んだから、そういう想いがきっと余計に強いのだと思う。父と母から受け継いだこのDNAを、「作品」としてこの世に永久に遺したいのだ。

この命が消えてしまえば、肉体も魂も消えてなくなる。
だけど「想い」だけは、永遠に消えることはない。

私はそう信じたい。

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