見出し画像

物作りと出来る力の喪失

物作りと出来る力の喪失
solaoto

社会的にも、日常生活的にも、昔の日本より今の日本の方が圧倒的に暮らしやすそうなのは確かだけど、
物作りに関してはやっぱり昔の日本の方が良かったのではないか?と思う事が多々あるんだよね。
普通に暮らす人が、普通に物を作って生活してる。
衣服を縫って直して、カゴを編んで直して、物入れを作って直して、
自分たちで使うものは「自分達で作れる能力が普通にみんなにあった」
そんな中で、さらに上手く作れる人達が職人として
日々の生活の中での便利さや彩りを与えていて。
人が一つ一つ作るものだから、時間はかかるけど、
やっぱり丁寧に作られていて、
丈夫で、使いやすくて、直しやすい。
これを基本に、日本の物作りは存在していて、
一つ一つ注文して作られたものは、
それぞれの人に大切にされて、壊れたら直しながら
長く使うのが当たり前で。
芸術とかアートとか、そんなのではなくて
毎日使う工芸的なもののグレードが高かったような気がする。

どうしてそれがなくなったのかは、もう
資本主義的価値観が入ってきたからで、
それは、使い捨て文化でなければ発展しないシステム。
自転車操業みたいな世の中にしないと、
資本家が儲からないから、物は絶対的に使い捨てであるべきで、
300年保つ物が作れても、売るのは数年で壊れる物にしとかないといけない。
そんなあからさまに資源の無駄遣いをするための
物作りが始まったからなんだろうと思うけど。

で、資源が不足してる、環境が汚染してる、
とか、自分達でやった悪事を
さも誰かにもたらされた厄災のように大騒ぎして
エコだのなんだの頑張ってる風な、まるでサイコパスのような事をいいながら生活して物は使い捨ててる。

人間の出来る能力を奪うのが資本主義、
誰でも自由に使える物を、特別な物にしてお金を取るのが資本主義、
長く保つものを作らせず、すぐ壊れる物を売って、自転車操業のようにたくさん買わせるのが資本主義、

そんなこんなで、日本人も今まで誰にでも出来てた、
着物すら自分で着れない、
服も縫えない、
カゴも編めない、
釣りもできない、
動物を捌くこともできない、
次から次へと色々な事が出来なくなって
だから、買わなければいけない、
やってもらわなければいけない、
そんな状態になって、

そうするためには、お金を稼がなくてはいけなくなって、
やってもらう、買うために、
また誰かの言いなりになって働いてお金をもらわなければならない。

資本家は、製品を薄利多売するために、物をたくさん作る人材が必要で、
人間の出来る力が減ることで、やってもらいたい人を発生させて、雇用と称して人材確保も出来てしまう。

買う、お金なくなる、稼ぐ、買う、なくなる、稼ぐ、
延々と自転車操業から抜け出せない。

自分で作れればいいのに。
自分でやれればいいのに。

何にも出来なくなったら、
買うために、やってもらうために奴隷のような状態になる。

出来なくなってるから、やってもらえたら楽。便利。
それをお金で買う。
本末転倒な感じだけど、抜け出せない。

洗濯も自分でできるけど、洗濯機があれば便利。
自分の時間を有効に使える。
歩けば行けるけど、電車や車があれば早く行けて時間を有効に使える。
人間の限りある人生を、時間を、有効に使えるようにするための便利。
その程度の感じで止めておけばいいのだけど、

バッグ持つの面倒だから、スーパーにナイロン袋を。
水やお茶を持ってくるの面倒だから、ペットボトルを。
箸洗うの面倒だから、割り箸を。
ハンカチ持つと洗ってアイロン面倒だから、紙ナプキンを。
ちょっとした面倒さを、とても上手く利用して
資源を、「本当に絶対必要だから」ではなく
「面倒くさいの解消」に使って今の環境破壊に至る。

怖いね。資本家の企み。
物作りの衰退。人間の能力の剥奪。
決して資本主義の全てが悪いわけではないけれど
使い方と量の問題で。
欲を煽って発展する部分が多いから、色々問題も出てくる。

このシステムは、ある意味ドラッグのように人間を支配する。
支配されずに、自分を守りコントロールするには、
そのシステムを理解して、
自分の頭と心で考え、賢明な選択をするしかない。

だから、ちょっとでも、出来ることは自分でやる。
ちょっと不便、を楽しむ。
無いものは作る。
そんな感じで生きられればと、思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?