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子供の頃から25歳には結婚なんて絶対しないし死にたいと思ってたのに先月結婚式を挙げて26歳を迎えた話


 はじめまして、空乃と申します。

題名が長くてラノベのタイトルみたいになりましたが、割と濃い人生を送ってきたので自己紹介の見出しどうしようかと悩んだ結果こうなりました。(もっとあっただろ)

今回は、自己紹介がてら私の人生をさらっと紹介してノートに何を書いていきたいのかを書きたいと思います。

⚠︎さらっとか言いましたけど全然さらっさらっと読めないドスッドスッとした(?)人生なので飛ばしても大丈夫です⚠︎

▶︎幼少期から病気発症まで


両親の不仲により母も希死念慮があり影響を受けて、25歳まで生きたらもうそれで終わりでいいし、結婚だけはしたくないなと思って小学生から生きていましたが、それ自体は普通の感覚(親もそうなので)だと思っていたので人間関係は割と問題なく築けていだと思います。しかし親に褒められるためにずっと頑張ってきた勉強を受験目前に病気に連続でかかり落ちたことで大失敗に終わり、精神的に病気になりその後数年間入院を繰り返します。

▶︎夫との馴れ初め


時を同じくして20歳の時に高校の同級生で同じ部活だった親友付き合い始めました。それが今の夫です。夫は高校一年生から好きでいてくれたらしく当時も告白してくれたのですが自分に自信がなさすぎて、「この人私のこと好きなの!?ゴキブリ好きと同義よ!?」という感覚になりその時はお断りしました。そんな夫と付き合ってからも申し訳なくて頼れない時期が2年くらい続きました。その時夫は急かさず待っててくれました。それでも高校の時みたいに楽しく話せないできない自分が申し訳なくなり「心配かけるのが申し訳ないし、そんな私が優しくしてもらうのは申し訳ない」と伝えたら「死にたいって思ってね、危ないことをしたとしてもそれでもいいんだよ。悲しいけどその気持ちは仕方ないから。でも、一番近くで心配させて欲しい。それだけでいいの。」と言ってくれ「この人変な人だなぁ。そんなに人のことを好きになれるんだ。対象が私というその価値観は到底理解できないけど、私が死んだとしたらこの人が一番悲しんで、苦しんで、きっと後悔する…それは嫌だな」そういう気持ちが芽生えて段々と夫とは前みたいに話せるようになり、やがて主治医の勧めで実家を出て一緒に住み始め通院や治療も沢山支えてくれたおかげで先月には26歳で結婚式を挙げました。

やっぱり全然さらっと終わりませんでしたね。💦

▶︎こののノートで書きたいこと🖋

このノートではそんな家庭環境が要因で小さい頃から希死念慮が強かった私が今はほんっっっとに運良く人に恵まれ「死ななくてもいいかな」とは思えるようになったのでその過程や病気になってから書いてた症状日記などを振り返りながら、
『死にたいと毎日何十回何百回何千回思ってる
お子さん、学生さん、大人の皆さんが、「生きたいとはまだまだとてもならないけど、今日のところは別に死ななくてもいいか」と思えてもらえたり、休み時間に死にたいと検索してしまった時に暇潰しに読んで紛らわせられるようなもの』をかけたらいいなと思っています。

▶︎その上で気をつけたいこと

希死念慮を小さい頃から抱えてきた私はある程度落ち着いた今も「こんな幸せなことが私にもあったからあなたも生きてればいいことあるよ!」とはとても言えないです。

私は「何やっていても全てが苦しいから死にたい」というのはもし仮に心が元気な人にとって嬉しいと感じられることが起こったとしても、それを「嬉しい」と思えないくらい心が弱って壊れかけているからだと思っています。

まだそういう段階じゃない人に、ゴール目前の人が
遠く離れたゴールから「ここにゴールがあるから大丈夫!絶対走れるから!頑張れ」というのは少し焦燥で少し残酷だと思うからです。

もちろんそういう方々がいるから希望を捨てずにいられることも沢山ありますし、救われる人も沢山いて素敵なことだと思ってます。そう言ってくださってありがたいなと思っています。

▶︎でもその後の人生の大変さは本当に人それぞれで、どんなに大変な道でも乗り越えていくのは本人だから、当時の私自身はそういう励ましを「これを乗り越えなきゃ生きられないならとても無理。」と高い高い壁に頭を抱えていたので、私は今苦しんでる人に向かってそれは言えないのです。

しかも、その生きるための壁は当時の私にとっては高い壁ですが、「親に自分の意見を伝えること」や「学校に通うこと」「電車やバスに乗ること」周りの人はスイスイ乗り越えていくように見えた壁に絶望してる私なんかじゃとてもゴールまで辿り着けないと思っていました。

▶︎前置き長々になりましたが


そんな私は今はある程度回復できたものの、当時言ってもらいたかったことを、当時死にたいと思いながらも行動に移してはダメだとわかっていてその狭間に揺れてる体感がありえないくらいゆっくり進む時間の間少しでも気を紛らわせてくれた体験談のように誰かの暇つぶし程度になれるものを書いていければいいなと思います。

長くなりましたが、要はこのすごい長いノートを読んで数分でも死ぬの先延ばしにした人偉すぎ!拍手喝采!👏👏とか、家事の合間や仕事の合間の暇つぶしにでも!というノリで様々なことを徒然なるままにノートにしていきたということですね。

▶︎また他にも


私の回復には、訪問看護の看護師さん、主治医、カウンセラーさん、兄、そして夫、沢山の私にはもったいないくらい素敵な人たちが運良く私に手を貸してくれたので、その人達との会話やその時私がどう受け取れたからここまで回復できたかなどを、特に夫との日常を日記形式で書きながらその時の心情などをお伝えできたらと思っています。

▶︎このノートの方向性は
めちゃくちゃ暗くなるかと言われるとそうじゃ無くて…

高校の同級生だった夫との出会いやそのあと会えなかった間も5年間想っていてくれた夫との馴れ初めや、夫が言ってくれて私が自分の肩の荷がおりた言葉や、今の夫とのほのぼの日常や、過去のこと交互くらいに書いていけたらと思っています。

読んでる人も疲れちゃうかもしれないので💦
見出しにわかりやすく書いていくつもりなので

夫とのほのぼの日記だけを楽しみにしてくださる方や、他にもアニメとか漫画写真も好きなのでその投稿も楽しみにしてくださる方ができてくださるのもとっっっても楽しみにしていますし、頑張ろうと思います。



▶︎最後に

私は自分が回復できたのは私自身もたしかに色々やりましたが、

家を出られる年齢であったこと、それをサポートしてくれる人がいたことが大きな要因だと思っています。

だから、まだ学生さんだったり、すぐに環境を変えられない事情、地域柄、今のこの外に出らの自体難しい時期、沢山の様々な事情を抱えた人に、「こうすれば良くなるから教えるね!」という立場にはなれません。

だからこそ、辛い時間を少しだけ紛らわしたり、今病んでる人じゃなくても、暇つぶし程度に読めるものを書けていけたらいいなと思います☺️

まだまだ精神修行の身なので(言い方)頻繁に投稿できなかったり、投稿の間が空いたりら個人的な相談をもしいただいたとしても答えられなかったりしますがよろしくお願いします🙇‍♀️🙏💦


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