旅の記憶、巡礼│On the Same Journey
Jan.2024
2023年 は、自分自身にとって
あまりにも 大きな試練によって 幕を開けた。
決定的に身体を壊したことによる健康面の大きな問題、それに伴う仕事面・金銭面の危機、そして当初の予定とは大幅に異なる、引っ越し先の 壊滅的な住居環境 …
何をとっても八方塞がりで、どんなに手を尽くしても、それが 一つずつ潰えていく。少しずつ退路を絶たれ、とうとう状況を打破する手立ても なくなってしまった。
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1月。ただ 布団に眠るだけの日々を過ごしていた私に、対岸の 港町に住む彼女が 声をかけてくれていなければ … 今頃、どうしていたのだろう。
荒んだ 気持ちで、もてあましていた 長期休暇 。
彼女と はじめて、宮古島へ 旅立った 。
そこは 見たことのないほどの、大きな海だった。
海だけじゃない 。 岩 、水 、路 …
そのすべてが、人間の身体感覚では まったく量ることができないほどの、圧倒的なスケールの自然だった。
それは もはや、 感動を 飛び越えて…
恐怖さえ、感じるほどの " 力 " だった 。
長い旅で 身体のことが 気がかりだったが、「 歩くことに関しては 問題ない 」と 知ったのも、この島を 旅したからだった。
そして 戻ってきた わたしは、ずっと夢見た 島暮らしに別れを告げて、あたらしい 海のまちへと 旅立った。
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4月。それまでの 暮らしと仕事を すべて捨てて、あたらしい場所へと 旅立った。その 海のまちは、わたしが また、大好きになる街だった。
見違えるほどの 居住環境と 利便性が手に入り、新たな仕事は、自分にも負担のない、自由な働き方に 変えることができた。そして たくさんの友人が、会いにきてくれるようになった。
また、以前のように 遠くに 出かけることも増えた。
直島で 出会った、彼女と歩いた その場所は
どこまで行っても、永遠に広がる " 桜の海 " だった。
「こんなに 幸福な場所は、きっと ほかにないだろう」と思えた。それほどに、そこにいた すべての人が、幸せそうに笑っていた。
奈良の旅で、最後に 訪れたのは『春日大社』だった。
武甕槌命は 神鹿に乗って 相模の国を通り、この大和の国へ やってきたのだという。
神の使いである鹿たちの森のなか、はるか先まで参道が続いていく。鮮やかな朱塗りの社殿には、四方を巡る 美しい回廊があった。
そしてこの時、『 四国遍路 』のことを教えてもらった。
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5月。いまは 遠くなった 相模に住む友人も、
あたらしい場所へ 旅立つ準備を はじめていた 。
一年前、彼女と別れたあとに 一人で 旅をしたのが
天照に ゆかりのある『 戸隠神社 』だった。
それから ちょうど一年。ようやく 長年の念願だった 『 伊勢神宮 』を、二人で 参拝することが叶った。
" 式年遷宮 " と呼ばれる、神のために 社を取り壊し、あらたに社殿を再建するという、気の遠くなるような 壮大な神事。それが 千年以上も、行われてきたという事実。
俗世にありながら、何千年も 守られてきた《 神域 》。
雨に濡れた石段を ひとつずつ登りながら、その場所へ足を踏み入れた。
そして この伊勢から、《 紀伊路 》と呼ばれる 巡礼の路をゆけば、『 熊野古道 』に行くことができると知った。
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彼女と別れ、ただ一人で『 熊野古道 』に辿り着いた。
ずっと 見たいと思っていた、日本で最大の落差を誇る 『 那智滝 』と、荘厳な社の『 熊野三山 』。五つに 分岐した 広大な巡礼路は、吉野からも繋がっていた。
《 世界三大巡礼 》のうちの 二つこそ 、
ここ 『 熊野古道 』と、『 四国遍路 』である 。
世界には 様々な聖地があるにも関わらず、この日本に 二つも、それがあること。不思議でありながらも、分かるような 気がした。
バスを逃したことにより、最終日に《 中辺路 》と呼ばれる 峠越えをすることになった。またしても ロングのワンピースという格好で、険しい山を登ることになってしまった。
すれ違う人はトレッキングポールを両手に持った完全な登山装備をしている方ばかりで、こんなふざけた格好で山中にいるのは わたしだけだった(当然だが)。
どこまで登っても、道のりに終わりが見えない。そして 命の危険さえ感じて、来るんじゃなかったと後悔した。
けれど ある時に覚悟を決めて、ただひたすらに、足を振り上げて 山を登った。そうしてやっとの思いで、峠を越えることができた。
そして今度こそ「ちゃんとした 服を買おう」と誓った。
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6月。 無事に 熊野古道の 旅路から 帰ってきて、
また あたらしい 海のまちへと やってきた 。
ようやく mont-bell で しっかりと 装備を揃え 、
わたしは はじめて、『 四国遍路 』に 挑戦した。
《 逆打ち 》と呼ばれる、通常とは 反対回りに 四国を歩く巡礼である。「初心者には危険だ」と散々言われたが、それでも この方法で挑戦したかった。
はじめの頃は 苦戦したが、本当に たくさんの人たちに助けてもらったおかげで、一國参りを無事に終えた。
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10月。宮古島で すっかり 自然に 魅せられた彼女は、とんでもないハードルを 飛び上がってしまったらしい。
往復 12時間。正真正銘の " 巡礼の旅 " だった。
歩いてしか行くことのできない、太古の森をただ歩く。
毎朝 早朝4時に 出発して、ひたすらに山を登った。
これほど 厳しい道のりを、共に 歩いてくれる友人が できたことに、心から 感謝した。
そして 2日後の『宮之浦岳』の登頂は、その縄文杉より 何倍もハードだったと 思い知る。
標高は 1936m。" 九州最高峰 " と 呼ばれる山だった。
終わる頃には もはや脚を 引き摺るように歩いていて、頂上ではなく、下山を終えたときに あまりにも嬉しくて 涙が出たのだった。
きっと この経験は、これから先の『四国遍路』で 待ち構える 険しい山を登るとき、大きな支えになるだろう。
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一年を振り返ると、2023年は「 死ぬまでに行きたい 」と願った 多くの場所へ行くことを、たくさんの人たちに、叶えてもらった 一年だったように思う。
どの場所も、自分ひとりでは 見に行くことができない景色ばかりだった。人によって " 旅 " に 出会い、旅によって、" 人 " に 出会えた。
そして 偶然にも それらは 、聖なる地を めぐる
《 巡礼の旅 》だった ようにも 感じている 。
そして 一人でなければ、出会えない景色があった。それが 熊野古道や、四国遍路の《 巡礼の旅路 》だった。
わたしは また、四国遍路を 歩きはじめる。
今度は ひとつの國だけではなく、すべての道のりを歩く長い旅路だ。
総距離は 1400km。人生で これほどの距離を歩いたことがないので、どうなるかは まったく分からない。
途中で挫けるかもしれないし、もちろん 怪我をすることもあるだろう。
けれど 自分が こうして、" 旅ができる " ということを教えてくれたのは、たくさんの大切な友人や、出会えたひとたちのおかげだった。
ひとりで歩いても、 " ひとりではない " と 思えること。
この先に どんなことが あったとしても 、
きっと かけがえのない、" 旅の記憶 " に なるだろう 。
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お読みいただき、ありがとうございました。 あなたにとっても、 素敵な日々になりますように。