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Day5. 神様に出会う旅 │長野県立美術館

May 2022

 東山魁夷に初めて出会ったのは、2018年の東京
 国立新美術館での 回顧展だった。


会期は わずか 39日間。
日本画も観たことがなかった当時、この展覧会に足を運ぼうと思ったきっかけは、何だったのだろう。

ただ、『 行かなければならない 』という思いに駆られて、電車に乗ったことだけを覚えている。


そして わたしは  " 東山魁夷 " と、はじめて出会った。


*****

( ああ、ようやく ここに たどり着くことができた。)


 戸隠神社の 山頂にある『奥社』にたどり着いたのは、   麓の社から 歩き続けて、5時間が 経ったときだった。


 5つめである 奥社の社殿は、これまで参拝してきた
 どの社よりも 小さく、簡素なものだった。

 しかし何か、それが一層  胸に響くような思いがした。

戸隠神社 奥社


雪の残る長い山道に、ワンピースという場違いな格好で来てしまったのに、ここまで怪我をせずに済んだ。

山の天気は変わりやすい。神社を参拝するときには、雹が降ったこともあった。それでも参道を歩く間だけは、いつも空が綺麗に晴れていた。

まるで  麓から頂上までの道のりを、天から『天照』が見守ってくれていたかのようだった。



  山頂から、これまで 歩いてきた 道を見おろし、
  空を 見上げる 。

感謝を伝えるために 自然と両の手の指を組んだとき、
まるで祝福するかのように、空から白い雪が 優しく降ってきたことを、この先も 忘れることは ないだろう。

*****

来た道を、再び戻る


さて、唯一の心配は、帰りのバスのことだった。
奥社の麓まで戻る頃には、すでに最終のバスがなくなってしまっていた。

辺りは 夕暮れに差し掛かっている。さすがにここまで登ってきた道を歩いて戻るのは危険すぎるし、そもそも今から歩ける距離ではない。(なにせ 5時間 歩いてきたのだから)


バスの時刻表を見てみると、たしかに祝日はすでに最終のバスが行ってしまっていたのだけれど、「平日」であれば、あと 30分後に 最後のバスが来ることになっていた。

  今日は  5月2日 。
  偶然にも  GW中で 唯一の、中日の平日だった 。


とはいえ GW には違いないので、今回は当てはまらないのかもしれない。すでにスマートフォンの充電は 2% を切っていて、写真を撮ることも、誰かに電話をすることも難しい。駐車場に停めてある車の数も、もうほとんど 疎らだった。

  不安には 違いないが、もう仕方ない。
  腹を括って、最後のバスを 待つことにした。

参道入口の左側に、植物園の看板


バスを待つあいだに、奥社の入口近くにある公園へ、足を運んでみることにした。本来ならば時間もないため、訪れるはずもない場所だった。


 静かな森を 歩き、たどり着いたそこは、沼地だった。


 尾瀬のような  木でつくられた歩道が、遥か彼方まで
 どこまでも 続いている。


  その夕暮れの  日のひかりが輝く  水面に
  美しい " 水芭蕉 " の 花 が、一面に 咲いていた 。

奥社の入口のそばにも、咲いていた水芭蕉。


美しい景色だった。記録に残しておきたかったが、バッテリーがなくなったため、写真は一枚も残っていない。


けれど  今でも、その景色を鮮明に思い出せる。


   中社からの 途上で 、季節外れの 桜の海を見た
   あのときと  同じように
   この場所にも 、やはり 誰もいなかった 。


   これまで 歩いてきた   山々を 背景にして
   足元に咲く  数えきれないほどの 花々は 、
   まるで  " ちいさな星 " の ようだった 。

  どこまでも続くような、夕暮れに染まる 沼地を
  ただ 一人 、ゆっくりと 歩いていった 。


*****


(  … バスが 来なかったら どうしよう。)

バス停に戻ってきたときには、辺りはすっかり暗くなっていて、時折  車が、山道を走り去っていくばかりだ。

スマートフォンの充電は もう切れた。歩いて帰ることも、タクシーを呼ぶこともできない。

奥社に登る前に見た、バス停に列を作る人々ももういない。無人のバス停の椅子に腰かけ、まるで 何かの宣告を待つような気持ちで、ただひたすらにバスを待った。
到着予定時刻までの  10分間が、永遠にも感じられた。


 けれど 何故か、「 きっとバスは 来てくれる 」
 心のどこかで 信じることができたのを 覚えている。


そして真っ暗になった山道の向こうから 、明るい光 ─  バスの ヘッドライトが見えたとき、「 ああ、やっぱり導かれて ここまで来たのだ 」という、感謝の思いで
いっぱいになった。

たった一人だけの乗客を乗せてくれた バスの運転手さんに お礼を言って、戸隠山を あとにした。


*****


ゲストハウスに戻り、ふたたび 眼が覚めたときには、昨日と変わらない、晴れやかな空が 広がっていた。

 一日前の、思わぬ 戸隠への 参拝と
 その途上での、人生を変えるような  不思議な経験。

精神的な変化に加えて、一日中ずっと歩き続けたため、辺りがすっかり明るくなるまで、ぐっすりと眠ってしまっていた。

1日ぶりの、善光寺。


今日は東京へ戻る日。岐阜からはじまった旅も、今日で終わりを迎える。昨日 行くはずだった 長野県立美術館と、軽井沢にある 千住博美術館 に いこう。

ふたたび 善光寺の参道を通って向かうと、昨日と同じように、そこは大勢の人々で賑わっていた。あの戸隠での出来事が、まるで夢のように思えて、また無事にこの日常に戻ってくることができて安堵する。

7年に一度の、本尊の御開帳


昨日の わたしと同じように、7年に一度の「お祭り」を一目見ようと、遠くから ここに来たひとたちに、どこか優しい気持ちになりながら、彼らの横を通り抜ける。

そうして 訪れた  長野県立美術館 は、息を飲むほどに 美しい建物だった。

長野県立美術館



東京にいた頃から、ずっと来たかった 美術館。

初夏の木々が 風に揺れ、緑がその大きな窓に映えている。善光寺の隣であり、山々に囲まれたランドスケープは、これまで何度も足を運んできた東京の美術館では、けっして出会えない風景だった。

善光寺を臨む ランドスケープ
美術館を包み込む、《 霧の彫刻 》



わたしの目的はただひとつ。この美術館のなかにある、『 東山魁夷館 』に 行くことだった。

東山魁夷館


魁夷の生まれ故郷は 長野ではない。けれど10代の頃に その美しい風景のなかを旅して、彼は風景画家として開眼した。そのために、貴重な本制作の数々の日本画が、この場所に寄贈されたのだ。

美校一年生の夏に、初めて木曽川にそって 十日間のテント旅行をして御嶽へ登ったのが、私を山国へ結びつける第一歩でした

── 東山魁夷『わが遍歴の山河』


美しい " 谷口建築 " という箱に、魁夷の絵は よく似合う。まるで透き通るように、水の庭の ひかりと木々の反映が、空間いっぱいに降り注いでいた。

瀬戸内には、東山魁夷の木版画を展示する美術館があるけれど、それも谷口吉生の設計だ。友人と2日前に訪れた金沢の 鈴木大拙館 も 彼の手によるものだったし、
ほんとうに、今のわたしに ご縁があるのだろう。

東山魁夷せとうち美術館(香川県)


足を踏み入れた ちいさな展示室。そこには はじめて魁夷の絵に出会ったときの作品も、微かに記憶の片隅にある、ドイツの街の風景もあった。

 そうか。魁夷は 自然だけでなく、街も描くのか。
 けれど一貫して、そこには 人物が いない。

それが彼の作品の叙情を、物語っているように思えた。

《 窓 》 長野県立美術館


 
  そうして 信州の風景に やってきたとき、
  「 ああ、やっぱりこれだ 」と 思った。

 はじめて 出会ったときの 印象が、鮮やかに甦る。
 あれは 国立新美術館の、東山魁夷展 だった 。

《 緑響く 》 長野県立美術館


緑響く  、白馬の森  。


木々の狭間から見える、
人間の背丈からは考えられないような、大きな杉。

奥社への途上で、同じような景色を見てきた。

《 春兆 》 長野県立美術館


長野の風景を この眼で見て、旅をしてきて ─
彼の絵を観ると、本当に昨日みてきた風景たちが、そのままに描かれているのだと実感した。

昨日、偶然に 思い立って、戸隠に行っていなければ
信州の自然を、この目で見ることはできなかった。
こうして魁夷と、思いを同じくすることもできなかっただろう。

《 夕静寂 》 長野県立美術館



湖  、 木々  、 京都の風景  、 滝  ……

さまざまな風景と、ひとつひとつ 向き合った。




  そうして、魁夷の風景をみていった、最後の一枚。
  展示室内の 出口に 、 大きな絵が  飾られていた 。


 その 風景を 、自分は どこかで見たような 気がした。



東山魁夷 《 沼 》 長野県立美術館


     題名は 、《 沼 》

    それは 昨日 、  旅の 終わりに 出会った 
     戸隠 の  " 水芭蕉 "  を  描いた 作品だった 。



    ああ 、わたしは 神様に  会えただけでなく
    心から 敬愛する  魁夷にも 、
   こうして " 本当に " 、出会うことが できたのか 。




なんて 素晴らしい、天からの ギフト なのだろう 。

 導かれた 旅のすべてに感謝して、展示室を後にした。


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