見出し画像

『サピエンスとウマ全史』を描くために(メモ)

前々回に書いた『ケイバの壁』は検討中で、以下は現在進行中のもの。

①なぜ現在のサピエンスと馬の関係は主に「競馬」文化(娯楽)として活用されるに至ったのか。
②サピエンスと動物の関係は幾つかに大別される。それは「動物(サピエンスを含む)の進化の過程」とは別に「サピエンスと(サピエンス外の)動物の関係性においても何らかの諸変動があった」という事を意味する。
③狩猟の対象から移動手段(意思伝達、物資運搬手段)、家畜化(食糧、衣類=脆弱な身体の補助、栄養の補給)、農耕の友、愛玩動物(ペット:クレオパトラの猫、犬はサピエンス以外の動物としてサピエンスに最も早く利用された動物だが、機能性は馬に劣る)へと移行(分岐)する中で、サピエンスと馬との関係はもっぱら「帝国」の領土拡大、や「軍事力」の養成、宗教上の大遠征へと深く結びついた。一方で、馬は娯楽として古典的な競馬(戦死した仲間を弔う、競技→オリンピック)や戦車競走(ローマ帝国では主に奴隷が騎手)などで用いられた。原因は馬の強靭な身体と能力(脳力)、姿・形(乗り易い、馬具が取り付け易い)、草食系動物などの動物の進化の過程における「偶然性」の部分による。また馴致に適している(去勢の展開)。なお、馬の家畜化と馬具の出現、軍事能力化は比較的早い段階から展開されてきた。
④サピエンスと(サピエンス外の)他の諸動物との関係は「行き止まり」や「枝分かれ(分岐)」を経験する中、馬だけは特殊身分(多機能性ゆえに)を与えられて生き残った。
⑤生き残った生物は捕獲から大量生産、改良といったサピエンスによる「生命」の管理、「淘汰」の歴史を辿る(人の手による進化論)。食糧、伝達・運搬、農耕補助、戦力の観点は国家(近代においては「国民国家」、「主権国家」)の発展にとって重要な要素であった。
⑥サピエンスの馬への関心は高い。「速度」(時間)の観念や戦争の道具、領土(世界地図の現出)の拡がり、意思伝達手段、「想像上の空間」(共通の神話、歴史、宗教、言語、価値観=「知能」)」、道具による拡大(馬→車→船→飛行機→インターネット)等
⑦ただし、空間の拡がり(経験)やそれに伴う建国(統一)は地域により多少の違いがあった。そもそも馬がいなかったアメリカ大陸や日本の例(大陸のつながり・切り離し、気候変動=氷期を経験。居たのだけれども全滅したパターン)、日本列島に馬がやって来たのは古墳時代、朝鮮半島から。アメリカ大陸に馬がやって来たのはコロンブスの船(要確認事項)が上陸した時。これは馬による軍事、宗教的行為、娯楽利用の格差・時差をも意味する。
⑧なぜギリシャ・ローマ帝国で古式競馬が発展したのか。アジアでの競馬はどのような進化のパターンを描いたのか。
⑨近代競馬を誕生させたイギリスの特徴。「血統」や「記録」といった概念。「サラブレッド」の誕生。王侯・貴族、ジェントルマン(身分)による娯楽。スポーツの語源(ジェントルマンの娯楽=スポーツの時代があった、これを経過して今がある)。コーヒーハウス(クラブ競馬の源泉、およびレースづくり・制度構築、血統書、馬取引、改良にも影響)。議会制度、資本主義の発達、余暇の登場(芸術、娯楽の発展、「労働とは何か」が問われる時代に)。
⑩なぜ馬は「神」なのか。神話、馬頭観音、宮中(祭典)競馬、奉納競馬(作物豊穣を祈願、実馬のかわりに絵馬)、天候を司る馬の迷信(白馬は日照り、黒馬は雨)。日本の場合、おおよそ娯楽、宗教、軍事、作物。馬は献上物。
ステータスとしての馬は勇者と馬→皇帝と馬→王・貴族と馬→ジェントルマン(成りあがり商人含む)と馬→パブリックスクールと馬に、馬主と騎手(もともとの奴隷から「使用人」=「専業者」=「プロ」)、英雄(勇者)とは何か、シンボルと現実(権威の象徴としての白馬は軍事における駄馬)。アレクサンダー大王の愛馬ブケパロスは白馬ではなかったが、現在のマンガでは白馬。
天皇の御料馬である吹雪、白雪などは白毛馬。戦前の葦毛・白毛は軍事的には悪馬(目立つ、弱い)。
⑪現在の我が国においては馬=競馬=サラブレッド(データ的にも、馬術があるものの)という認識である。これは長い歴史の中で辿り着いた、ごく最近の出来事。
⑫日本競馬の大衆化(日本型競馬事業、筆者の定義では「天皇賞」を中心に「ツール」として発展、実践されて来た日本競馬界および帝国の政治社会、思想の諸関係から出現した産業・娯楽システム)。この系譜は「ウマ娘」まで続く。「メディア」に描かれる馬の状況は近代化以降、一変した。中でも、我が国では世界でも類例をみないほどになった。
日本在来馬(劣悪・貧相な馬)、じゃじゃ馬、荒馬(明治後期、大正の諷刺画、首相選び)、軍馬、戦後になり8、90年代辺りから価値観の大変革。風のシルフィード、マキバオー、ダービースタリオン、ウマ娘。漫画・アニメ・ゲーム。
⑬競馬の「大衆化」は馬に対するイメージ・取り扱い、ギャンブル観、つまり国策(天皇制も一部)も反映されている。特に「親しみやすさ」を生みだせる環境(装置)かどうか(国土の活用、四季、軍事振興もある意味では良い影響)。レース制度は国家による馬認識を反映。凱旋門賞と市民革命、民主主義。
「名馬」の登場はいつからか。アイドルホースの原初は?
⑮他国の競馬と日本の競馬はどの点が異なるのか。輸入され、混淆を経て、自文化として確立・登場。広義の競馬の定義にあたる古式競馬(中国、朝鮮半島から輸入)と近代競馬(幕末に欧米列強国から輸入)に挟まれて。
王侯貴族やジェントルマンの競馬は「現人神」(現代における新皇帝、「華夷秩序」の観点からみると日本の馬、競馬文化は中国、イギリスを倒して大勝利、世界一の馬券売上大国)の競馬(形式上の「超国家主義」、現実の「超個人主義」=ギャンブラー)で完成形をみた。戦後は象徴天皇像(人間天皇像)を(思想)構造的に支える競馬事業。JRA、経営委員会、農林水産省、農林大臣、総理大臣、天皇(宮内庁)までは一直線。JRA(ひとつの特殊法人)やマスコミ(一部)が天皇のイメージを操れる。最新の動向ではJRAの作ったイメージを日本国民が支えると同時に、日本国民(日本の企業、ゲーム会社、ユーチューバー)がJRAに影響を与え、ひいては日本競馬のイメージをも容易に変えられる時代に。大衆競馬がネオ大衆競馬化。
⑯世界各国の競馬。ドバイ(伝統的な王族支配)、イギリス(女王、階級文化を保持)、フランスやドイツ(戦前は娯楽より軍馬育成に力を注いで来たのでイギリスと日本の中間)、アメリカ(イギリスからの離脱・独立、大衆競馬、ダート化。バスケ・野球・アメフトなど大量に得点が入るスポーツを創造、野球と同様に国家より州に力がある。ケンタッキーダービー)、香港やオーストラリア(イギリス競馬をモデルにする一方で自主独立、クラブ競馬で局地的な香港国際競走、地域と大衆化が顕著なオーストラリア。メルボルンカップ)。シンガポール、サウジアラビアなどの新興勢力。植民地・独立(自立)や体制・産業の強化。
これらは国際競馬統括機関連盟の勢力分布(近代のヨーロッパ的な価値観による序列、パート1国)に関係している。アジアの思想的な問題とは別(ヨーロッパ思想が中心。経済、馬券売上は参考程度)。
イギリスに比肩し、時には乗り越え、フランスが盟主である理由は、フランス革命、民主主義、大陸国家、戦争、農業国家(現在でもEUで力を持つ)など(社会思想の観点)。
「凱旋門賞」はレースの伝統と成長(ヨーロッパの盟主への道を歩む)を備えながら、現在の民主主義、市民革命、国家と戦争、貴族社会から競馬の大衆化に至る道筋の中で「競馬の果たして来た役割、特徴を表す明確なシンボル」である。
馬・競馬文化を馬の虐待(多機能性から酷使された)史(性悪説的見方)、人と馬の織りなした5000年以上の友好関係の物語(性善説的見方)と見るか。
デッドヒート、政界のサラブレッド、ダークホース、出馬、ハンディキャップの言葉の始原は競馬。議会制度・選挙(投票)の観点からみると「民主化」、とくに自由(奴隷からの自由、国家権力からの自由。それぞれフリーダム、リバティー。ヨーロッパの自由は「個人の領域」上の問題であって日本的な自由の意味、身勝手・開放・わがままのイメージとは異なる)と平等(個人の自由を優先するのか、個人を支える共同体を優先するのか、その仕組みはどうあるべきか、正しさ(正義)とは何か、市場に対する考え方、宗教観、人種、ジェンダーの問題を孕む)。普遍的なスポーツのルール作りは政治制度(自由と平等)作りと繋がっている。。
⑲日本社会は江戸時代(伝統的な武家社会・将軍家や盛岡藩などに見られる容姿重視の馬の政治利用、見えない天皇)、明治時代以降(同時に天皇と馬の可視化。維新=日本の場合は下級武士による市民革命ではなく、天皇制に戻った=王政復古:厳密には帝政復権という名の政治体制の変動。馬の近代化。天皇と馬が政治・軍事などの社会的ツールとして振り回され始める)、戦後(象徴天皇像の代理人としての明治時代から続く「天皇の競走馬」、ハイセイコー、オグリキャップ、果てにウマ娘まで)と変わっていく。
男女の自由と平等は競馬界にも強い影響。雇用機会均等法とレディースデー、女性の社会進出。天皇のイメージと馬のイメージは日本社会の厳格さ、緩やかさを共に表し(共存共栄)、不透明な社会を反映している。天皇と国民の距離、馬と国民の距離のリンク。それは、近代以降、ほとんど変わらないといった特徴を持つ。軍馬(大元帥)から戦後のスターホース(アイドル・タレント化、庶民化:主に女性が作った皇室像)へ
⑳サピエンスと馬の関係に戻る。
猫・犬は愛玩動物(主にペット)、羊(衣類)、鶏・豚・牛・魚(食糧)、馬(競馬、馬術の娯楽)、昆虫(採集)、象・キリン・チンパンジー(動物園)。鳥・魚・昆虫をペットにすることも出来るが・・・おおよそのイメージ。
馬は人が操れる(かつて憧れた、憧れる)「はやさ」に価値がある。それは「身体の拡張」(マクルーハン)を意味(サピエンス以外の動物の最終形態=生き残り)
脆弱な身体を持つサピエンスはウマ科を発見し、馬の力(特に「軍事力」)によって歴史を塗り替えてきた。兵器としては馬(活馬)。「車」(馬と「車」両=戦車の形を縦にした文字)、「軍」は戦車の形が入っている。最終的には世界的に娯楽の動物、競馬で使うサラブレッド=馬に至る。
絵描きさんもカメラマンも動物好きも手っ取り早く馬に会える競馬場に行く。
競馬ファンという言葉の範囲は競馬場の中に居る人とは一致しない。ウマ娘好き=競馬ファンも完全には一致しない。きちんと「壁」があるから「ウマ娘から学ぶ競馬史」は「ゲーマーから競馬ファン(場合によっては賭博者)」に、という意味も含蓄している。

感想)

間違いを恐れずに思いついたことをメモしてます(笑)

(2022.6.30)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?