見出し画像

大人

金曜日の夜。中央線の駅は酔っ払いで溢れかえる。蛍光灯の切れかかったホーム。疲れ顔で立ちすくむ社会人と騒ぐ大学生。車内に入れば、口を開けて寝る人々の間に生暖かいアルコール臭が漂っている。

乗車扉の隅にもたれかかって、僕は真っ暗な窓をじっと見つめる。乳白色に結露したガラスが、色とりどりの街灯と感情を失った僕の顔とを、そっと重ね合わせる。手の甲で優しく触れる。ひんやりとした冷たさが伝わってくる。

大人は酩酊の中で他人との距離を縮め、気持ちを寄り添わせる。そのために車内の空気はいつもと違った重みを帯びている。でも僕だけはどこかずっとずっと遠くの景色を見つめている。

多分いろんなことを諦められるのがオトナなのだろうと僕は思う。大人たちが未来や希望を諦めて疲弊している社会、なんて言いたいわけではないんだけど。僕が言いたいのはもっと素敵な諦めだ。それは「なあ社会よ、お前も色々あるよなあ」なんて言って、世界と折り合いをつけていくための双方向的な譲歩なんだ。

僕らは長い時間をかけて世界と話し合うことで、だんだん上手い譲り合い方を覚えていく。そうして僕らはオトナになる。しかし一方で僕らは手の指からこぼれ落ちていった水の潤いをいつまでも忘れられないのだろう。それはやはり仕方のないことなのかもしれない。

吉祥寺の駅で降りる。改札を出て駅舎の二階から外を見やると、綺麗なイルミネーションがきらびやかに輝いていた。青色の光が僕の目の奥にぼんやりとした像を結んだ。それもずっと奥の方に。

商店街を歩いていて、若いカップルとすれ違った。彼氏の黒いPコートと彼女の白いスヌードは、二人の笑顔をより引き立てているように見えた。少しだけ僕も温かい気持ちになった。

インターネットカフェに入ると、メガネをかけた坊主の青年が物腰柔らかな口調で対応してくれた。焦げ茶色のブランケットと伝票を受け取った。ドリンクバーでコーンポタージュを注いでから、半個室になっているチェアーブースに向かう。

自分のブースに入ると、僕は椅子に座ってゆっくり身体を沈み込ませた。隣の席との間にある仕切りが僕の世界を小さく切り取っている。薄暗い天井を見上げながら、息を丁寧に吐き出した。

まあ明日のことは明日考えよう。そう思って眠りについた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?