【療育】ちゃん付けする大人ってなんなの

昔から感じていた疑問を実証してきてやっぱり思った。
【療育現場】に【ちゃん付け】を意味なく持ち込んでいることも発達阻害の因子だと。

発達障害の子供に「ちゃん」付けして関わってくる大人は総じて嫌い。
叱るときに「ちゃん」付けで呼んだことで全く怖くなくなってしまうというのが一つ目の理由。
二つ目は、犬を叱った時と同じ感覚になります。つまり普段から対象者を人間として見ているのではなく、動物として扱っているんだなと。

【言葉が通じる】相手であるなら【対等】に扱うべき。
敬意を持ったうえで対等な立場まで自分を下げて信頼を築くべき。
少しなりとも療育するつもり、良い方向に進んでもらいたいと関わっているのなら自分がどのように接しているのかを見直して考えて欲しい。
ボーダーラインとしては精神年齢が小学生満たすレベルかなと思ってます。過保護な扱いから自立できるよう対等な扱いに切り替えていくべき。

呼び方ひとつでそんなわけあるかい、大袈裟だなと思ってる人もいると思いますが、こと発達の障害ではそんなことが起きます。貴重な発達の芽をつぶしてしまってるようなものです。
対等な関係も築けずに療育やリハビリをしても意味はないんです。
対等な立場でやるリハビリは、同じ内容でも全然反応が違いますからね。発達や能力を引き出すためにリハビリを受けに来てくれてるのだからどちらが効率よいか考えれば一目瞭然。
世の療育関係者の皆様には、培ってきた経験を発揮し切ってもらうためにも、関係性作りが大事だというこの思いがぜひ届いてほしい。
その一歩目に【呼び捨て】がもたらす恩恵を理解して活用してください。

療育の場において、【言葉が通じる】のに「子供が言うことを聞かない」といって勝手に怒っている大人も多いですが、まず関係性が対等ではないんだと思います。
そして認められていないんだと思います。


※【言葉が通じない】相手も一定数いますよね。
重度の脳障害を持ってしまい通常の方法ではコミュニケーションが取れない、生存するだけでもいっぱいいっぱい、自分だけの世界観で生きているような子達もいます。
その子達の場合は、可愛がること・可愛がられることが最大のコミュニケーションのツールであり、またまだ多大な愛情を受け取ってこれからの発達を促さなければいけない時期なので、存分に「~ちゃん」「~くん」と呼んであげるのが一つの正解だと思います。

個人的には「動物は鳴き声で意志の伝達ができる」ここにそんな彼らへの療育がより意味のあるものに変わるヒントがあるような気がしてますが、既存の療育が絶対だと思う人が多いのかリハビリや療育がウリですというと場所で、違った視点でぶっ飛んだことを全力で考えるような人に出会えたことがありません。
そんな面白いことを考えている先人がいればどなたかご紹介ください!援助しに行きます!会って話してみたいです!

オワリ

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